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細かく言うと、香港のRey Chawと韓国のChung Moo Choiは映画でも素晴らしい批評を展開。2人ともフェミの観点から鋭い批評を展開してるけど、映画批評の観点から2人を交差的に論じてる日本の研究者っておられるのかなぁ。おられたなら読んでみたいよ。
要は欧米韓日のフェミニズムの中に曾根崎ばかりか『カルメン』や『春香伝』、香港のRey Chowあたりの批評も視野に入れて東アジアと欧米の作品をフェミの観点から読み解くという実践、こりゃおもしろそうじゃないと、我ながら。
韓欧米日のフェミニズム⑤に向けて
日韓米のフェミニズムで④回書いたけど、曾根崎心中も2回まで書いたけど、曾根崎を論じるなら『罪と罰』ばかりかオペラ「カルメン」の方がより適切かもと考えて、「欧」を入れた。曾根崎とカルメンの比較、ちと面白そうと独りほくそ笑む夜中のベッドの上。
ウェ文章とは?
蜘蛛の巣のように周辺も中心もなく、ただ網の目のようにようにひたすら広がって行く言説群。〈中心〉という観念の検討でもある。〈フーコー以後〉なる時代があるとすればそれこそふさわしい試みかも知れないのだ。
安倍国葬阻止 by駒場東大
安倍国葬阻止という立て看が出たとか。「反対」でなく「阻止」なのがミソ。遠くから連帯のエールを送りたい。
全国の大学生の呼応することを期待したい。
かつてはペンクラブなどが敏感に反応して阻止に向けて声明を出したりしていたけれども、昨今はペンクラブも死に体ですね。弁護師協会も労組も然り。
Wikiには全国に「哲学カフェ」なるものがあり、アカデミズムの「外」で哲学しよう、思考しようという動きが盛ん
「国民作家」という装置
『創造された古典』や『創られた伝統』についてはかつて触れた。
ここではイーグルトンの[文学とは何か』を参照してみる。夏目金之助が英国に滞在していた世紀の変わり目、英国はボーア戦争に苦戦して民心の離反に苦慮していた。
そこで民心統合の装置として持ち出されたのがシェイクスピア。彼を「国民作家」と持ち上げ、国民に自分たちにはあの偉大なシェイクスピアがいるんだと。
「国民作家」などというのは民心統合
近松『曾根崎心中』を読む②
1996年の〈慰安婦〉たちの証言集会で、と哲学者大越愛子は語る。(97年9月号の雑誌『現代思想』、高橋哲哉との対談)
彼女たちは「自分たちは〈慰安婦〉ではない。自分たちは日本軍兵士に性的慰安など絶対にしなかった。、彼らは私たちを強姦したのだ」と怒りをこめて主張しました。
大越は日本の性風土には、女性が自らを犠牲にして男の欲望を受け入れ彼を救済するというようなものがあり、大越はそれを「日本的観音
美しい仮面よ、私はお前を知っている by Sainte-Beuve
竹田のこの陽水論は過去にセンター試験だったかに出題されたものだ。いやはや読んでいて気恥ずかしくなる体の文章ではないか。(読みにくいでしょうから、以下の文章で出来るだけ分かるように書いたつもりです。)
まず冒頭の陽水歌詞からして月並みだ。「笑顔で隠す男の涙/男は一人で旅するものだ/荒野をめざして旅するものだ」。女性についてもそうだ。「女は清くやさしく生きて/電車に乗れば座席を譲り/悲しい歌が聞こえ