大泉りか

SMショーやボディペインティングのモデル、キャットファイターなどの経歴を経て2004年…

大泉りか

SMショーやボディペインティングのモデル、キャットファイターなどの経歴を経て2004年に「FUCK ME TENDER」(講談社)を上梓。以後ラノベや官能小説、女性の性をテーマにしたエッセイなどを執筆。 近著はホストにハマった女性をルポした「ホス狂い」(鉄人社)@ame_rika

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  • トーキョー’90クロニクル

  • 大泉りかがこっそり教える『オンナノコの秘密』

    せっかくセックスをするなら、エロいセックスがしたい! って思いますよね。けれども彼女に「こういうことがしてみたい」とやってみたいプレイをリクエストしても「えー!」なんてイマイチ乗り気じゃない反応が返ってきたりして……。世の中の女の子たちは、いったいどれくらいエロいの? そして、男性の希望するエロいプレイを受け入れてくれるの? 気になる!!! というわけで、大調査しちゃいました! ※この原稿はかつてFANZAで連載していた【大泉りかがこっそり教える『オンナノコの秘密』】の再掲載です。

記事一覧

韓国といえば李博士(イ・パクサ)!ポンチャックディスコを探して

※この記事は2016年2月に渡韓した際のものです。たびのて( https://tabinote.jp/mailmag/ )というサイトのメールマガジンに寄稿したもので、当該のポンチャック・ディス…

大泉りか
3週間前
11

『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう?』 トーキョー’90クロニクル vol.15

17歳のわたしには定期で会う“パパ”が数人いた。そのうちのひとりとは月に一度か二度、食事やホテルにいく関係だった。食事だけの時は一万円、ホテルまでいくとプラスで三…

大泉りか
4か月前
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『いつかの(池袋の)メリークリスマス。ふたりはまだ、手をつないでる?』 トーキョー’90クロニクル vol.14

行きつけだった池袋のデートクラブの受付は、20代半ばくらいの、ストリート系のお兄さんだった。ぶかっとしたトレーナーに腰で履いたオーバーサイズのデニムからは、トラン…

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大泉りか
5か月前
14

『「売春はヤクザが取り仕切っているから、みかじめを払え」と言われた、いたいけなわたしたちは。』トーキョー’90クロニクル…

いたいけ……とはとても言えないとは思うのだけど、10代の女が援助交際という名の個人売春なんてしていたら、当然怖い目には合う。ある日、援交仲間のひとりが暗い顔をして…

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大泉りか
7か月前
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フェチフェス23で #女犯罪者ZINE をリリースします

今年の頭に始まった神田つばきさんとの共同プロジェクト、女性犯罪者をフィーチャーした自作自演の #女犯罪者ZINE を、ようやく校了して入稿いたしました!リリースは9月17…

大泉りか
8か月前
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女性たちに『あなたは、一回のセックスで何回イキたいですか』と、尋ねてみました。回答数179票、その結果は!?

せっかくセックスをするなら、エロいセックスがしたい! って思いますよね。けれども彼女に「こういうことがしてみたい」とやってみたいプレイをリクエストしても「えー!…

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大泉りか
8か月前
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「わたしたち、俺たちの好きな女性犯罪者2023」、決めよーぜ! #女犯罪者ZINE

みなさーん!女の犯罪者は好きですか?わたしは大好きです。犯罪者が好きとかって頭がいかれてるとしかいいようがないけれども、どうしてか惹かれてやまない。それは、女が…

大泉りか
8か月前
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『グンゼのショーツと、幼い僕と、ルビーフルーツ。』トーキョー’90クロニクル vol.12

90年代にあった女子高生デートクラブは、いま思えばよく出来たシステムだったと思う。お菓子食べ放題、テレビ観放題、漫画読み放題で、女子高生にとっての“居場所”という…

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大泉りか
11か月前
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『路地裏の捨て猫は、ラブレターを破り捨てる』トーキョー’90クロニクル vol.11

これまでの人生で、手書きのラブレターをもらったことが二回ある。二回というのが人と比べて多いのか少ないのかはわからないけれど、一通は高校時代に付き合っていた男の子…

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大泉りか
1年前
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『転がされているオジサンの、限りなく透明に近い精液』トーキョー’90クロニクル vol.10

ガジロウと呼ばれている“パパ”がいた。シンプルに役者の佐藤蛾次郎に似ているから、ガジロウというあだ名をつけられていた。 ガジロウは性的な行為をしなくても、お金…

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大泉りか
1年前
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『殴られたり首を絞められたり無理やりに姦されるリスクを、3万円では負えない』トーキョー’90クロニクル

かつてわたしは、売春婦でもあったし女衒でもあった。というのも当時、いわゆるウリをしていた女子高生たちの間には、“パパ”を融通し合う文化があったからだ。 マッチン…

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大泉りか
1年前
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『時代はあなたに委ねてる。選ばれる優越感と、ボーイ・ミーツ・ガール』トーキョー’90クロニクル vol.8

放課後、女子高生デートクラブに足繁く通うようになったのは、デート一回につき5000円という、高校生にとってはそこそこの大金が稼げるチャンスがあったことや、退屈な同級…

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大泉りか
1年前
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『痴漢は敵だけど、「痴漢に気をつけるのよ」という大人たちも味方ではない。』トーキョー’90クロニクル vol.7

高校時代は自転車通勤だった。だから、実のところ、痴漢にあったことはあまりない。学校が終わった放課後、池袋や新宿に行くときは大概、友達と一緒だったし、大騒ぎながら…

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大泉りか
1年前
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『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩した制服”こそが、その証でした。 制服を…

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大泉りか
1年前
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『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿にも池袋にも、吉祥寺にだってありました』トーキョー’90クロニクル…

上の世代の大人たちが『バブル』と呼ばれた好景気に浮かれる姿を見てきたわたしたちは『巨大な欲望』をうちに抱え、青春を迎えました。 シャネルのサングラス、MCMのショ…

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大泉りか
1年前
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『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなか…

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大泉りか
1年前
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韓国といえば李博士(イ・パクサ)!ポンチャックディスコを探して

韓国といえば李博士(イ・パクサ)!ポンチャックディスコを探して

※この記事は2016年2月に渡韓した際のものです。たびのて( https://tabinote.jp/mailmag/ )というサイトのメールマガジンに寄稿したもので、当該のポンチャック・ディスコは閉店してしまっていることが確認済です。ただ、そういう店が2016年にはあった、といことを残したくてアップしました。

最も手軽に行ける海外といえば、なんといっても、お隣の国、韓国。羽田からソウルまでは約

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『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう?』 トーキョー’90クロニクル vol.15

『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう?』 トーキョー’90クロニクル vol.15

17歳のわたしには定期で会う“パパ”が数人いた。そのうちのひとりとは月に一度か二度、食事やホテルにいく関係だった。食事だけの時は一万円、ホテルまでいくとプラスで三万円。たまにお金が欲しいとかの理由で、こっちから連絡を取って会った時は、一万円まけてあげて、合計で三万円の時もあった。眼鏡をかけていて小太りでたぶん40代後半から50代。知り合ったのは援交仲間からの紹介で、その子もその“パパ”とセックスす

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『いつかの(池袋の)メリークリスマス。ふたりはまだ、手をつないでる?』 トーキョー’90クロニクル vol.14

『いつかの(池袋の)メリークリスマス。ふたりはまだ、手をつないでる?』 トーキョー’90クロニクル vol.14

行きつけだった池袋のデートクラブの受付は、20代半ばくらいの、ストリート系のお兄さんだった。ぶかっとしたトレーナーに腰で履いたオーバーサイズのデニムからは、トランクスのウエストゴムが覗いていた。ロゴはTommy Hilfigerだったか、それともFILAだったか覚えていない。ツバをあげて被ったキャップに短髪。よく笑う人で優しかった。気のいいお兄さんという感じで、「聞いてよ、さっきの客、ヤバ―!」み

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『「売春はヤクザが取り仕切っているから、みかじめを払え」と言われた、いたいけなわたしたちは。』トーキョー’90クロニクル vol.13

『「売春はヤクザが取り仕切っているから、みかじめを払え」と言われた、いたいけなわたしたちは。』トーキョー’90クロニクル vol.13

いたいけ……とはとても言えないとは思うのだけど、10代の女が援助交際という名の個人売春なんてしていたら、当然怖い目には合う。ある日、援交仲間のひとりが暗い顔をしているので「どうしたの?」と尋ねたところ、こう相談された。

「昨日、テレクラで出会った男の人とホテルに行ったら、部屋に入った瞬間に態度が豹変してつめられた。売春はヤクザが取り仕切っているから、みかじめを払えって。学生証を見られて家の住所も

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フェチフェス23で #女犯罪者ZINE をリリースします

フェチフェス23で #女犯罪者ZINE をリリースします

今年の頭に始まった神田つばきさんとの共同プロジェクト、女性犯罪者をフィーチャーした自作自演の #女犯罪者ZINE を、ようやく校了して入稿いたしました!リリースは9月17日のフェチフェスを予定。いやー、長い道のりだったし、途中で離脱する人が現れるというハプニングもありつつ(当初は被写体として活動されている耐江さんも参加していたのですが、心身不調のため離脱とのこと)、完成まで漕ぎつけたことに感激もひ

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女性たちに『あなたは、一回のセックスで何回イキたいですか』と、尋ねてみました。回答数179票、その結果は!?

せっかくセックスをするなら、エロいセックスがしたい! って思いますよね。けれども彼女に「こういうことがしてみたい」とやってみたいプレイをリクエストしても「えー!」なんてイマイチ乗り気じゃない反応が返ってきたりして……。世の中の女の子たちは、いったいどれくらいエロいの? そして、男性の希望するエロいプレイを受け入れてくれるの? 気になる!!! というわけで、大調査しちゃいました!

セックスのクラ

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「わたしたち、俺たちの好きな女性犯罪者2023」、決めよーぜ! #女犯罪者ZINE

「わたしたち、俺たちの好きな女性犯罪者2023」、決めよーぜ! #女犯罪者ZINE

みなさーん!女の犯罪者は好きですか?わたしは大好きです。犯罪者が好きとかって頭がいかれてるとしかいいようがないけれども、どうしてか惹かれてやまない。それは、女が女であることを利用して犯罪を犯すしたたかさ、女でありながら男勝りに犯罪を犯す強さに憧れると同時に、世間に対して軽々と、もしくは潔い捨て身の覚悟で、我を行くというそのスタイルに憧れてしまうのです。

昨年、わたしの大好きな作家のひとりである中

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『グンゼのショーツと、幼い僕と、ルビーフルーツ。』トーキョー’90クロニクル vol.12

『グンゼのショーツと、幼い僕と、ルビーフルーツ。』トーキョー’90クロニクル vol.12

90年代にあった女子高生デートクラブは、いま思えばよく出来たシステムだったと思う。お菓子食べ放題、テレビ観放題、漫画読み放題で、女子高生にとっての“居場所”というか“溜まり場”としての条件を満たしていたし、しかもそこに集まってくるのは、少々エッジの効いた女の子たちだった。

自分には女としての価値があるという自負があり、オジサンと張り合う気概があり、若さを利用して社会を乗りこなしてやろうという戦意

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『路地裏の捨て猫は、ラブレターを破り捨てる』トーキョー’90クロニクル vol.11

『路地裏の捨て猫は、ラブレターを破り捨てる』トーキョー’90クロニクル vol.11

これまでの人生で、手書きのラブレターをもらったことが二回ある。二回というのが人と比べて多いのか少ないのかはわからないけれど、一通は高校時代に付き合っていた男の子からで、もう一通は同じく高校時代にデートクラブで出会ったオジサンからだった。

わたしがよく通っていた池袋のデートクラブはマジックミラー式で、わたしたちは指名されない限り、相手のルックスはわからず、外での待ち合わせで顔を合わせてようやく相

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『転がされているオジサンの、限りなく透明に近い精液』トーキョー’90クロニクル vol.10

『転がされているオジサンの、限りなく透明に近い精液』トーキョー’90クロニクル vol.10

ガジロウと呼ばれている“パパ”がいた。シンプルに役者の佐藤蛾次郎に似ているから、ガジロウというあだ名をつけられていた。

ガジロウは性的な行為をしなくても、お金をくれるパパだった。ご飯に付き合ったり、一緒に買い物に行くだけでいつもお金をくれる。女の子たちをはべらかしてチヤホヤされるのが好きで、だからいつも友達を連れてきて欲しがっていたし、友達を紹介すると、その子ともわたし抜きで会うようになり、さ

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『殴られたり首を絞められたり無理やりに姦されるリスクを、3万円では負えない』トーキョー’90クロニクル

『殴られたり首を絞められたり無理やりに姦されるリスクを、3万円では負えない』トーキョー’90クロニクル

かつてわたしは、売春婦でもあったし女衒でもあった。というのも当時、いわゆるウリをしていた女子高生たちの間には、“パパ”を融通し合う文化があったからだ。

マッチングアプリも出会いカフェもなかった90年代後半、援助交際の相手を探すのはテレクラ、ツーショットダイヤル、路上、デートクラブ、そして友達の紹介が主なルートで、そのうちテレクラとツーショットダイヤルは相手の姿かたちがわからないので、出来れば避け

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『時代はあなたに委ねてる。選ばれる優越感と、ボーイ・ミーツ・ガール』トーキョー’90クロニクル vol.8

『時代はあなたに委ねてる。選ばれる優越感と、ボーイ・ミーツ・ガール』トーキョー’90クロニクル vol.8

放課後、女子高生デートクラブに足繁く通うようになったのは、デート一回につき5000円という、高校生にとってはそこそこの大金が稼げるチャンスがあったことや、退屈な同級生たちとは違う刺激的な女の子たちと出会えて仲良くなれたこともあったけれど、それ以上に指名を受けた時の昂揚感がハンパなかったからだ。

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『痴漢は敵だけど、「痴漢に気をつけるのよ」という大人たちも味方ではない。』トーキョー’90クロニクル vol.7

『痴漢は敵だけど、「痴漢に気をつけるのよ」という大人たちも味方ではない。』トーキョー’90クロニクル vol.7

高校時代は自転車通勤だった。だから、実のところ、痴漢にあったことはあまりない。学校が終わった放課後、池袋や新宿に行くときは大概、友達と一緒だったし、大騒ぎながらメイクを直している女子高生の集団に眉をひそめる大人はたくさんいたけれど、近づいてきてその身体に触ろうとする男なんていなかった。

けれど、少しはある。小さい頃はマンションに住んでいたのだけれど、非常階段に露出系のオジサンがたまに現れて問題に

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『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩した制服”こそが、その証でした。

制服を身につけて道をただ歩いているだけで「いくら?」と声を掛けられ、電話ボックスで友達にポケベルを打っていると、ガラス越し指を三本突き立てられる。メディアで扇情された『女子高生=援助交際』というイメージを、脳内にすっかり刷り込まれた中年男性たち

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『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿にも池袋にも、吉祥寺にだってありました』トーキョー’90クロニクル vol.5 

『当時、女子高生デートクラブというものが、渋谷にも新宿にも池袋にも、吉祥寺にだってありました』トーキョー’90クロニクル vol.5 

上の世代の大人たちが『バブル』と呼ばれた好景気に浮かれる姿を見てきたわたしたちは『巨大な欲望』をうちに抱え、青春を迎えました。

シャネルのサングラス、MCMのショルダーバッグ、グッチのサンダル。いま思えば16、7歳の少女が持つようなものではない。しかし、わたしたちの欲望は、メディアによって煽られるとともに、ストリートで見かける、グレーのタイトスカートが妙に大人びて見える慶応女子校や、プリーツスカ

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『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなかった1994年、わたしたちの鞄にもまた、レンズ付きフィルム『写ルンです』と、お気に入りの写真を差し込んだミニアルバムとが必ず入っていました。

それらを持ち歩いていた理由は二つ。ひとつには、ストリートで知り合った同じ年の女子高生たちと

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