記事一覧
韓国といえば李博士(イ・パクサ)!ポンチャックディスコを探して
※この記事は2016年2月に渡韓した際のものです。たびのて( https://tabinote.jp/mailmag/ )というサイトのメールマガジンに寄稿したもので、当該のポンチャック・ディス…
フェチフェス23で #女犯罪者ZINE をリリースします
今年の頭に始まった神田つばきさんとの共同プロジェクト、女性犯罪者をフィーチャーした自作自演の #女犯罪者ZINE を、ようやく校了して入稿いたしました!リリースは9月17…
韓国といえば李博士(イ・パクサ)!ポンチャックディスコを探して
※この記事は2016年2月に渡韓した際のものです。たびのて( https://tabinote.jp/mailmag/ )というサイトのメールマガジンに寄稿したもので、当該のポンチャック・ディスコは閉店してしまっていることが確認済です。ただ、そういう店が2016年にはあった、といことを残したくてアップしました。
最も手軽に行ける海外といえば、なんといっても、お隣の国、韓国。羽田からソウルまでは約
『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう?』 トーキョー’90クロニクル vol.15
17歳のわたしには定期で会う“パパ”が数人いた。そのうちのひとりとは月に一度か二度、食事やホテルにいく関係だった。食事だけの時は一万円、ホテルまでいくとプラスで三万円。たまにお金が欲しいとかの理由で、こっちから連絡を取って会った時は、一万円まけてあげて、合計で三万円の時もあった。眼鏡をかけていて小太りでたぶん40代後半から50代。知り合ったのは援交仲間からの紹介で、その子もその“パパ”とセックスす
もっとみる『いつかの(池袋の)メリークリスマス。ふたりはまだ、手をつないでる?』 トーキョー’90クロニクル vol.14
行きつけだった池袋のデートクラブの受付は、20代半ばくらいの、ストリート系のお兄さんだった。ぶかっとしたトレーナーに腰で履いたオーバーサイズのデニムからは、トランクスのウエストゴムが覗いていた。ロゴはTommy Hilfigerだったか、それともFILAだったか覚えていない。ツバをあげて被ったキャップに短髪。よく笑う人で優しかった。気のいいお兄さんという感じで、「聞いてよ、さっきの客、ヤバ―!」み
もっとみる『転がされているオジサンの、限りなく透明に近い精液』トーキョー’90クロニクル vol.10
ガジロウと呼ばれている“パパ”がいた。シンプルに役者の佐藤蛾次郎に似ているから、ガジロウというあだ名をつけられていた。
ガジロウは性的な行為をしなくても、お金をくれるパパだった。ご飯に付き合ったり、一緒に買い物に行くだけでいつもお金をくれる。女の子たちをはべらかしてチヤホヤされるのが好きで、だからいつも友達を連れてきて欲しがっていたし、友達を紹介すると、その子ともわたし抜きで会うようになり、さ
『時代はあなたに委ねてる。選ばれる優越感と、ボーイ・ミーツ・ガール』トーキョー’90クロニクル vol.8
放課後、女子高生デートクラブに足繁く通うようになったのは、デート一回につき5000円という、高校生にとってはそこそこの大金が稼げるチャンスがあったことや、退屈な同級生たちとは違う刺激的な女の子たちと出会えて仲良くなれたこともあったけれど、それ以上に指名を受けた時の昂揚感がハンパなかったからだ。
もっとみる『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6
海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩した制服”こそが、その証でした。
制服を身につけて道をただ歩いているだけで「いくら?」と声を掛けられ、電話ボックスで友達にポケベルを打っていると、ガラス越し指を三本突き立てられる。メディアで扇情された『女子高生=援助交際』というイメージを、脳内にすっかり刷り込まれた中年男性たち
『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4
同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなかった1994年、わたしたちの鞄にもまた、レンズ付きフィルム『写ルンです』と、お気に入りの写真を差し込んだミニアルバムとが必ず入っていました。
それらを持ち歩いていた理由は二つ。ひとつには、ストリートで知り合った同じ年の女子高生たちと