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『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩した制服”こそが、その証でした。

制服を身につけて道をただ歩いているだけで「いくら?」と声を掛けられ、電話ボックスで友達にポケベルを打っていると、ガラス越し指を三本突き立てられる。メディアで扇情された『女子高生=援助交際』というイメージを、脳内にすっかり刷り込まれた中年男性たちが、何ら悪びた様子もなく、「君、幾らで買えるの?」と話しかけてくるのだから、当時の東京は、ある種の無法地帯だったといっても過言ではありません。

ある時のことです。駅からの帰り道、大通りを家に向かって自転車で走っている最中でした。時刻は終電少し前だったでしょうか。都内とはいえ、23区の端っこにあるわたしの住む街は、勤め人が多く住むベッドタウンということもあり、夜ともなれば人通りも少なく、走っている車でさえもちらほら。そんな中、男が運転する原チャリがゆっくりと並走してきたかと思うと、「ねぇ、ちょっとそこのオネエサン」と話しかけてきたのです。

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