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宗教とイマジナリーフレンドの関係

聖書や神話では、神が世界を創造した、人を創造したといわれているが、それは、イマジナリーフレンドを生み出した子供が、彼らに対して、自身との関係を説明する際に使用する話しと同じである。

イマジナリーフレンドとは、空想の友達といわれているが、夢の世界の住人である。

夢の世界の住人は、自分が生み出され存在だとは、認識していない。

イマジナリーフレンド「私は、人間ではなかったのか……」

彼らは、自身が何者なのかを、認識できない場合がある。

医学的には、イマジナリーフレンドが別人格になる場合があるとされる。

だから、多重人格の別人格のように、この世界で人間として過ごすようになる場合がある。

彼らは、人間の人格に変化する性質を持っていることを忘れてはいけない。

そして、生み出された彼らは、自身の親である人間、つまり、神様を崇めて、信仰していたりする。

宗教の信者の性質とは、イマジナリーフレンド特有のものである。

人間では、宗教やスピリチュアル的な思想を理解することはできない。

イマジナリーフレンドを生み出して、彼らに聞かない限りは、真相は明らかにならない。

しかし、イマジナリーフレンドは体外離脱(幽体離脱)の能力を有しており、数に限りがないため、多神教の神のような存在になる場合もある。

しかし、生みの親である人間を、神であり、創造主だとして、崇めている場合もある。

こちらは、一神教の思想と同じである。

一神教も多神教も、どちらも、イマジナリーフレンド特有の思想である。

という、天国や地獄という概念でさえも、イマジナリーフレンド特有の概念である。

彼らは、夢の世界の住人である。

生みの親である人間は、夢の世界の創造主である。

彼らは、意図的に生成された、夢の世界に送り込まれて、祝福を受けたり、罰を受ける場合がある。

地獄とは、生きたまま送り込まれる場所である。

そして、イマジナリーフレンドは痛みを感じないが苦しみは感じたりする。

なので、本物の地獄とは見た目だけのハリボテの悪夢である。

本物の地獄と比べれば、この世界の方が、遥かに地獄と呼ぶに相応しい場所である。


昔から、シャーマン的な人物によって、神を肉体に降ろしたり、神と意思疎通をとったりする、儀式的な行為が行われているが、降りてくるのはイマジナリーフレンドである。

逆に目覚める、覚醒するのは、彼らを生み出した人間であり、彼らの神様である。

神を降ろすという行為には、二種類のパターンがあるので、神という概念は複雑化している。

そもそも、意思疎通のとれない神でさえも信仰の対象となり得る。

しかし、意思疎通のとれる神とは、人間かイマジナリーフレンドの、どちらかのことを指している。

どちらの視点で、この世界を見るかが、宗教を大きく分断している要因でもある。

そして、宗教を信仰していない人物も覚えておくとよい。

実は、自分が信仰の対象になっているのに、気が付かずに何千年もスルーしていたら、取り返しのつかないような大変な事態になってしまったことを。

宗教が原因で発生する戦争とは、イマジナリーフレンドの戦争である。

研究者たちが、宗教を存続させるために、意図的にイマジナリーフレンドの研究を遅らせている、もしくは、研究をしていない可能性を考慮しておかないといけない。

私には、この世界の全てが、胡散臭いスピリチュアルや、危険なカルト宗教にしか見えない。

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