ひとりあそびひょうしCDM

【中編小説】インターネットであそぼ

原稿用紙換算枚数:70枚(23000字くらい)

たしか3年くらい前に書いた小説です。

上記にも書きましたが、作中のかなりの割合を、小説家志望の女・リナと、ネットライターの確変マチ子のDMが占めています。リナが無職バンドマンのセフレから抜け出せず、お金も返してもらえず…という状況をマチ子が叱咤激励するシーンから始まります。


……と書くと、あらすじはわりとえげつない感じですが、最後は激エモです。

「自分の書きたいことを書く←→売れるものを書く」「小説←→受注ライター」「創作←→ビジネス」など、葛藤がある人にも読んでもらいたい。

裏テーマは「書くこと」です。




@machikok「だからサブカルクソ無職バンドマンのセフレなんかやめろって言ったんだよ。てか、フツーに考えて、セフレに金借りるとかクソだろ」
@r_n86「元、セフレね」
@machikok「『元』? 何? 解約届でも来たん?」
@r_n86「…向こう、付き合い始めたんだよ例のあの子と」
@machikok「うわーーー―!! マジかーーーーーー!!」
@r_n86「うっ……ううっ……」
@machikok「ご愁傷様すぎるわ」
@r_n86「もういいけどさ……元から諦めてたけどさー」
@machikok「あの、前から好き好き言ってたあの子だよね? ミレイちゃんとかいう」
@r_n86「そそ」
@machikok「クソ無職バンドマン、『全然口説けねえー』って言ってたって言ってたじゃん」
@r_n86「ね。付き合えたらしいですよ、最近全然連絡ないなと思ってたらさー」
@machikok「リナとしこしこセックスしてる間にミレイちゃんも口説きーの」
@r_n86「うわあへこむやめて」
@machikok「てか、まとめていい?」
@r_n86「何を」
@machikok「リナとクソ無職バンドマンの顛末。
友達の友達として出会う
→クソ無職、ライブの日にリナをお持ち帰り
→セフレ化
→クソ無職、リナが惚れてるのを分かっててミレイちゃんの恋愛相談しやがる
→リナ、内心キレつつもセフレ関係は続く
→リナ、クソに金借す→クソ、ミレイちゃんと付き合う←new!
合ってる?」

@r_n86「わー」
@r_n86「やめてー」
@r_n86「死にたくなる」
@machikok「すまん、まとめグセはライターの性だわ」
@r_n86「しかもなんかさ付き合いだしたっていうの共通の知人から聞いて昨日。もう一ヶ月くらい経ってるんだって。うわー私のこと家に呼ばなくなったのもちょうどそれくらいからだーって思って」
@machikok「まじか」
@r_n86「なんかさあ、べつにもういいからさせめてさ、私にあれだけ恋愛相談したんだから、『無事付き合いました』ってひとこと報告してよって思う。。。」
@machikok「なんか後ろめたかったんだろうな」
@machikok「後ろめたさ感じるならリナが惚れてるの分かりながらセフレであり続けた時点で感じろという話だが」

@r_n86「でもそれは私も納得してるからいいんだけど」
@machikok「えでもリナ前言ってたじゃん。大沢君? とかいうセフレに告られた時『もうセックスしない。悪いから』って
@r_n86「あー……ほんとだー」
@machikok「ね、逆の立場で考えるとやっぱひどくね? クソ無職」
@r_n86「でも、会いたかったし」
@r_n86「会ったらやっちゃってたし」
@machikok「でもそれ、やるっつうかご奉仕フェラだけでしょ」
@r_n86「なんかさー、それさー、今思うと、あいつさー、ミレイちゃんが好きだから良心の呵責があったんじゃないかな……、他の女と最後までするの」
@machikok「知るか!!」
@machikok「じゃあ自分から『しゃぶって』言うな!!」

@r_n86「w だねーw」
@machikok「リナさん、気を確かに セックスよりフェラの方が好きって男はたくさんいるぞ。その理由の上位は『楽だから』だぞ」
@r_n86「う……」
@machikok「大丈夫か」
@r_n86「うん うーん だいぶ恋の病に侵されてると思う私」
@machikok「一刻も早い回復を願う」
@r_n86「あーでもさあ、いっとき週2とか3で会っててさー。もう超幸せだったよ」
@machikok「やってた?」
@r_n86「やってた」
@machikok「毎回?」
@r_n86「毎回」
@machikok「そりゃがっつり惚れるよなー……」
@r_n86「ね。彼女じゃなくてももうこんなに会えるなら彼女みたいなもんだし十分幸せって思ってたよー。『俺ミレイちゃんって子好きだから』って常に牽制されてなかったら『私たち付き合ってるのかな?』とかお花畑気分で言っちゃいそうなくらいだった」
@machikok「牽制、な……。巧妙すぎるわ絶対に自分を悪者にしないその手口」
@r_n86「なんかさそのミレイちゃんもちょいちょい彼のライヴ来てるらしいし共通の知人もいるからいつか顔合わすかもと思うと気が重いよね」
@machikok「いくら貸したの」
@r_n86「ええと……計6」
@machikok「6万?!?!」
@r_n86「ごめん正確には6.5万だけど」
@machikok「家賃かよw」
@r_n86「w 確かにw ぴったり同じ額だw」
@machikok「てかそんなに貸してんの? あんた月収いくらよ」
@r_n86「18とか」
@machikok「そんな貸せるタマじゃないでしょ」
@r_n86「あ、でも貯金あるからさ。退職金まるまる手つけないでとっておいてるし」
@machikok「でもそれは虎の子だろ。あーあ、つけいられてるなーサブカルクソ無職貧乏バンドマンに。アラサー夢追いサブカルクソ無職バンドマンに」
@r_n86「やめてよ アラサー夢追いは私も一緒だからw」
@machikok「リナは違うよ 小説のこやしのためにいろんなバイトして、ポリシー持ってるし、賞とか出して実績もあるじゃん フリーターっつっても退職金もあるし出版社のツテもあるし、食いっぱぐれない なんだかんだ言って世渡り力あるし、おつむもある」
@r_n86「ありがと。。。」
@machikok「で、一方クソ無職は無計画でさ、ただ単に働きたくないっていう夢を追ってるだけじゃん」
@r_n86「あー」
@machikok「てかそいつ、その金何に使ってるの」
@r_n86「たぶん普通に生活費 ほんと困窮してるから」
@machikok「なんて言って借りるの?」
@r_n86「なんか最近バイトやめたらしくて。てか元からほとんどバイトしない人なんだけど。『今財布に小銭しか無くて死にそうだからとりあえずお金貸して。来月の給料日に絶対返すから』みたいな」
@machikok「ダウト過ぎる」
@r_n86「うーん でもその時はすごく困った、捨てられた子犬みたいな顔してきて、で、かわいそうでとりあえず1貸しちゃって。それでまたしばらくしたら『ごめん今月も足りない』ってなって2万、みたいな感じで増えてって」
@machikok「あるあるすぎるわ。何貸しちゃってんの」
@machikok「クソ男vsダメ女だわ」

@r_n86「ダメだよねー笑」
@machikok「てかクソ男なんで働かないの? 男なら引っ越しのバイトでも深夜の警備員でも単発で何回かやればいい話じゃん」
@r_n86「なんか、『感性が鈍るから』って」
@machikok「ギャーーーーーーーーーーーーーーーー」
@machikok「ワーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
@machikok「もう手に負えない域だわ」
@machikok「クソ中のクソ、っていうかもはや一回転して爆笑の粋だわ」
@machikok「ある意味逸材だわ。そこまでのタマだとは思わなかった」
@machikok「サブカルクソ無職バンドマン名言bot作るわ」
@machikok「そしてそんな言葉を聞いても金を貸すのをやめないリナさんとは」

@r_n86「うーん 惚れてるし」
@r_n86「その、潔すぎるほどに働かないってとこも含めての魅力だし」
@machikok「うっわ。。相性抜群じゃん。バカップル」
@machikok「でもさ、リナだって小説家になるために正社員やめてるよね、でもそれでそいつに貢いで、自分の感性が代わりに潰されるとは思わないの?」

@r_n86「それは……うーん……」
@machikok「でしょ」
@r_n86「でも私は働けるからいいんだよ、あの人は、なんかもう、お金が嫌いっていうか……」
@machikok「働くのが嫌い、でしょ?」
@r_n86「ううん、それが違くて。大学の時に、なんか時間割アプリ? とか作って一山当てて一か月で3000万稼いだらしくて」
@machikok「ハッッッッッッッッッッ?!?!
@r_n86「『リシュトー』っていうアプリ」
@machikok「うっわ知ってるわ履修登録のアプリだわ ガンガンお世話になってたわ」
@machikok「てか当時大学生全員使ってたじゃんあれ」

@r_n86「そうあれ作った人」
@machikok「パネエマジで」
@r_n86「ね。で、儲けまくって、一通りの遊びは全部し倒したらしいんだけど、そしたら虚しくなってきて、鬱っぽくなって、『金があるからいけないんだ』ってなって、会社売って、そのお金を競馬で全部賭けて全部スッて、その後音楽始めたらしい」
@machikok「『リシュトー 開発者』でググったけど中野修司って人?
@r_n86「早ッ怖ッ」
@machikok「ライターなめんな」
@machikok「はーてか売却したその会社って今のプリゲットの前身なんだ。。。プリゲットって、今アプリで一番儲けてる会社じゃ……ハア時価総額1000億円て なんなんだこの人」
@machikok「リナそんなやつのセフレなんだ すご」

@r_n86「元、ね」
@machikok「可愛いんだろうなリナさん 本気出せば銀座でも六本木でもいくらでも女食いまくれた男に選ばれたんだもんな」
@r_n86「どーだろーね」
@machikok「ねー 彼、セックスもすごいん?」
@r_n86「え なんかいきなり中野君に興味持ち始めてきて怖いんですけど」
@machikok「いやここは恋愛司祭として聞かないわけにはいかない」
@r_n86「なんかね、おもむろって感じ」
@machikok「? おもむろ?」
@r_n86「なんか、ゆっくりで、深い」
@machikok「キャーーーーーーン」
@r_n86「何」
@machikok「濡れた」
@r_n86「ww」
@machikok「リナちゃん官能小説書けるよ」
@machikok「うっはーガゼン興味わいてきたわイケメンなのかなー てか過去の情報しか出てこない、今の写真見たい」
@r_n86「SNSは全くやってないよ てかネット使わない人なんだよ」
@machikok「ハ? 仙人かよ」
@r_n86「多分ネットも、昔の反動で嫌いになったんだと思う」
@machik「ネットが嫌いて。水が嫌いくらい意味分からん」
@r_n86「でもね~ネットしない人って最高だよ。流行りとかは疎いけど、かわりに本とか読んでるからすごい物知りだよ、ネットの変な噂も知らないし心汚れてない感じ」
@machikok「とかいう私達はインターネットでしか会えないお友達なのですが」
@machikok「でも分かる、ネットで心汚れるっていうのは。メンヘラとか非モテとか、人間を雑にディスる言葉は全部ネット発だし対面ではなかなか発せられない」

@r_n86「『サブカルクソ無職バンドマン』とかね、ネットライターさん」
@machikok「お、反撃された」
@machikok「でもさ、そんな心きれいなら『俺がお前に金借りてるの、人には言わないで』っていうのも変じゃね?」

@r_n86「はっ」
@r_n86「そうだった……」
@r_n86「なんなんだろあれ」
@machikok「うむ 変」
@r_n86「今度聞いてみる」
@machikok「聞いてみな。そして次会ったら絶対にお金貸しちゃダメだからな」
@r_n86「うん分かった」
@machikok「分かってる?」
@r_n86「分かってるよもうこれ以上苦しくなりたくないから」
@machikok「あげてもいいと思える額までしか貸しちゃだめ、っていうのがセオリーなんだけど、もう超えてるっしょ?」
@r_n86「うん超えてる」
@machikok「だからもう絶対これ以上貸しちゃだめだよ」
@r_n86「うん分かった、ありがとう」
@machikok「あ! そうだ全然話違うんだけど、リナ、ライターの仕事やらない? 恋愛教の信者のお悩みを、司祭様が聞いて助言を与える、的なウェブコラムなんだけど」
@r_n86「なんじゃそりゃ」
@machikok「いわゆる人生相談的な」
@r_n86「てか恋愛司祭の話ってそれなんだ」
@machikok「そそ」
@r_n86「私自身が迷える信者なのにさ。他の人の相談受けるとか無理でしょー」
@machikok「いやでも他人の話は別だし。リナさ文才あるし」
@r_n86「かなあ」
@machikok「全然さ、小説じゃないからリナのやりたい仕事じゃないかもしれないけど、リナは大衆ウケ狙える器用さがあるしネット民の動向にも詳しいからライターとか向いてると思う。私はリナにちゃんと文章で食っていってほしいと思ってるからさ、おせっかいかもしれないけど」
@machikok「ま考えといて」

@r_n86「分かった、どうもありがとう」
@machikok「んじゃ」
@r_n86「はい~今日本当いろいろ聞いてくれてありがとうマチ子さん。またね」
@machikok「うぃ」

 別に中野君のために生きているわけじゃないけど、平日だろうが休日だろうが大体家にいて文章を書くか在宅の仕事をしている私は結果的に中野ホットラインになっている。台風とか夕立が多かったけど今日は昼近くになってやっと晴れてきた、洗濯機でも回そうか、こうやって天気に合わせていつでも洗濯できるのって在宅仕事人の特権、と思っていたところで携帯電話が鳴る。
 中野君から電話があると大体飛びつくのだけれど、いつもその私の気持ちの高まりと向こうの声のだるさのギャップに拍子抜けするところまででワンセットだ。
「履歴書無い?」
 今日の第一声はそれだった。一か月ぶりに電話してきたにも関わらず、挨拶もなしに用件に単刀直入に切り込むやり方が小気味良く、いつもの中野君と同じで、懐かしかった。
「めっちゃあるけど」
「あー、それ、欲しいなー。すごく、すごおーく」
 やや掠れ気味の低音でたっぷりと引き伸ばされた「すごおーく」がセクシーで脳がしびれる。でもこの人の電話の簡潔さの流儀にのっとって敏腕の秘書の気分で迅速に返事する。
「いいよ、すぐ?」
「割とすぐ。今日欲しくてさ。無理だったら諦めるよ」
「いいよ、持ってこうか?」
「ありがとう、待ってる」
 もう切れた。中野君の電話には無駄が無い。それはハードボイルドな何かを標榜しての流儀なのか、電話代を節約するための癖なのか、分からない。
 中央線沿線にある私の家から、西武新宿線寄りの中野君の家までは、自転車で北に進んで十分ほどの距離だ。早く会いたいから早く出かけたいけど、久しぶりに会うから髪とか服とか少しちゃんとしたい、でもでも中野君を待たせるのは嫌だしこいつやけに気合入れてるなと思われても嫌だ、と逡巡し、結局、はじめに着ていた服の下だけ替えて、ファンデーションとリップとチークを3分で塗って、自転車にまたがる。途中、昼時が近づいているのに気付き、以前中野君の家に行った時買っていったらすごく喜ばれた、近所の弁当屋に寄る。作業着を着たおじさんたちが詰めかけておりやけに時間がかかってしまったが、390円の幕の内弁当を2個手に入れ、前かごに突っ込む。
 履歴書なんかコンビニでも売ってるんだから買えばいいじゃん、パソコンでフォーマットをダウンロードすればいいじゃん、という言葉は中野君に対して無効だ、なぜなら中野君の家にはパソコンが無いし、彼は小銭を削るより友人に労を乞うことの方を選ぶ人間だから。実はコンビニでただでもらえるアルバイト情報誌にも履歴書がついていることを知っていたがあえて言わなかった。もちろん私が中野君に会いたいからだ。そして、用があるならそっちが来いよと言わないのは、私が中野君の家が大好きだからだ。
 中野君の住むアパートは、○○荘という名前が似合いそうな(実際の名前は分からない、というか建物名が書いてあるプレートが朽ちてて読めない)、古めかしいタイプのアパートだ。共通の玄関である、べこべこした薄い合板の扉を開けると、共通の廊下があり、居住者の洗濯機が門番のような感覚で居を構えている。真夏の明るい陽気に満ちていた外とは一転、廊下は暗く湿っていて、どこかの部屋が焚いているのだろうか、蚊取り線香の匂いがする。入ってすぐの、101号室の扉が、細く開いていて、こちらからはお香の匂いがする。中野君は大体鍵をかけない。
 四畳半の手前にままごとみたいな台所がついただけの小さなワンルームは、その細い隙間から覗いただけで全貌が把握できる。物に埋もれて、中野君は大の字になって寝ていた。無防備さが恨めしくも愛おしくもあり、飛びついて喉元にかぶりつきたいと思った。しかしそうするには、もう一か月以上肌を合わせていない彼の身体は少しよそよそしく感じられた。おずおずと靴を脱いで部屋にあがり、買ってきた弁当を鼻先に置くという地味な自己アピールを試みる。匂いに反応して起きると思ったが、なかなか起きない。
 床に堆積する物をかきわけて自分が尻をつけられるだけのスペースを小さく作り体育座りでじっとしていると、私も徐々にこの部屋の一部のように感じられてきて、嬉しい。久しぶりに来たこの家のよそよそしさが薄まりだいぶ馴染んでくる。以前より物が増えた気がする。
 この部屋は、部屋というよりアジトっぽい、というか、ホームレスが段ボールを組み合わせて構築する、公共空間を間借りして手作りで組み上げた根城という感じがする。この家の壁が薄いからなのか、築年数が古く建物全体が歪み床が微妙に起伏が生じているからなのか、なんだか部屋の中にいるのに外にいるような感じなのだ。壁は壁でなく大量の本――古本屋に売っていそうな哲学書、宇宙に関する本、古い版のために装丁が今と違う新書、岩波文庫、それから複数の新興宗教の経典や瞑想のハウツー本など――が積み上がって壁をなしているようである。タンスは無くて、鴨居にロープを2本渡してハンガーやフックがかかりそこに服、タオル、リュックなどがぶら下がっている。それはちょっと視点を変えると、原宿あたりのセレクトショップの陳列のようでおしゃれにも見えるのだが、それ以外にもギター、おそらく南米あたりの民族楽器、洗濯バサミで止めた楽譜、そして扇風機までもが2本のロープの間に寝かされており、切実な床面積の不足を補っているのが、異様だ。家電は電子レンジしかなく、それも拾いものらしい。テレビもパソコンもオーディオも無い。「物嫌い」だと言っていた。ちなみに眠っている中野君の下に敷かれているのは段ボールだったりする。夏はこれで十分らしい。初めてこの部屋に連れ込まれた時よくこんな汚いところでセックスしたよなと改めて思い返す。髭を剃る期と剃らない期、髪を切る期と切らない期が気まぐれで訪れる中野君の、剃るし切る期に初めて会わなければ、絶対セックスしなかっただろうと思う。中野君は頭部の毛の長さ次第で猫っぽい目をした童顔の男の子にも化け猫みたいな蓬髪の仙人にも見える。最後に会った時は剃らないし切らない期だったけど、再び剃るし切る期に突入したようだ。初めて会った時を思い出す。寝顔を見つめながら、もうこの人とはセックス出来ないんだなと思うと全身の肌がざわめいて貪欲な目と化し、せめて見ることで手触りを味わおうとしているみたいだ。あさましいと思った。
 ライヴハウスで、初めて彼のバンドの演奏を観た時、小節線を飛び越えて縦横無尽に音の弾を撃ちまくる彼の姿にうちのめされてしまったのだ。その日はまれに見る熱気に包まれたライヴで、満員のフロアはまるでシチューの中を泳いでいるように熱く、私はどろどろに溶けた具の気分だった。トリのバンドは、彼を含む10人程度の大所帯で、端にいた彼のことははじめ何の楽器かも把握していないほど注目していなかったのだが、終盤、曲がカオティックな盛り上がりを見せてきたところで、いきなり中央に飛び出してきた。ギターを振り回していた。酔拳のようにゆらいだと思ったら剣士のように間合いをとって構えたり、見えない音と戦っているようだった。楽器を高く捧げ持ち逆光の中に埋もれたと思ったら、突如たくさんの音符が撃ち放たれて全て私に命中した。私はシチューの中で溺れながら時間感覚がおかしくなった。死んでいないけど走馬灯を見ているみたい、あまりに短い時間に多くの弾を打ち込まれて濃すぎる時間に目眩がした。彼しか見えなかった。他の楽器も相当暴れていたが、あの場をつかんでいるのは間違いなくトリックスターの彼だった。賞賛の口笛を浴びながら、彼はフロアに飛び込んで来た。波のようにうねる群衆にまみれてもみくちゃになる。こっちに来る、と思ったら、化け物に殺される恍惚を感じた。そのまま目を閉じたら、まぶたの裏に自分の死体が見えた。次に目を開けた時には全て終わっていた。ライヴもセックスもそんな感じだった。そんなの好きにならないわけがなかった。
 5分ほど経っても中野くんが起きないのでいたたまれず、勝手にコーヒーを淹れることにした。いつも彼がやるように、台所の下に埋め込まれているホテルみたいな正方形の冷蔵庫を開けると、そこにはスニーカーが突っ込まれているのだが、扉裏のポケットにはちゃんとインスタントコーヒーの瓶が入っている。一口コンロにヤカンをかけると、チチチという音で中野君が目覚めた。
「おお、いたのか」
「久々に来たら物増えてない? 私の座る場所無くてうけた」
 中野君はそれには答えず
「……腹減った」
とぼやいた。
 私がテーブル、というかおそらく棚か何かの一部だったと思われる、中野君が粗大ごみ置き場から拾ってきたコの字型のパーツ、に、コーヒーをふたつ置くと、すでに中野君は弁当に手をつけていた。この人には独特のリズムがある。作る音楽と似ている。そして私はセッション相手として間違った音あるいはタイミングを選択しないよう慎重かつリズミカルに乗らないといけない。
「まあ、捨てなきゃ増えるわな、エントロピー的な」
 ぼそりと呟いた彼の言葉が私への時間差のある返答だと気づくのに数秒かかった。
「何それ変なの」
「宇宙を支配する法則だよ、変じゃないだろ」
「でもうちこんな汚くないよ、ちゃんと同じ宇宙にあるけど」
「俺、宇宙過ぎるんだよ」
 手をつけたコーヒーを噴きそうになった。
「過ぎるって」
「俺めっちゃ物もらうし。ブラックホールなのかも」
 中野君は、見た目がみすぼらしいからか、救いを求めているように見えるのか知らないが、新興宗教の勧誘をやたら受けると言っていた。あと路上で弾き語りするミュージシャンと意気投合して、知らない民族楽器をもらったり。道を聞いてきた人の行き先にそのままついていって、酒をおごってもらったり。それから商店街のおばあちゃんに気に入られて、なぜか売り物の惣菜を無料で分けてもらったりもするらしい。私だけでなく、皆、この人に何かをあげたくなるものらしい。
 そのかわり中野君は知識をくれる。自殺した哲学者の笑える遺書、麻雀の勝ち方、ITバブルの裏で病んだ人間の多さ、攻殻機動隊と組織論について、全部初めて聞いた話だった。
 というわけで、中野君の持ち物は減らない。
「普通の人は、ものをもらっても要らなかったら捨てるんだよ、中野君はもらっても捨てないよね、物嫌いの割に」
「物嫌いすぎて、捨てるのも煩わしい。物のこと考えたくない」
「なるほど」
 私はいただきますと小声で言って弁当を開いた。すでに中野君は半分以上食べ終わっている。
「これうめえな。てか超助かる、最近、あまりに金が無すぎて、5個100円のインスタントラーメンしか食ってなかったから」
「何それ、ダサい」
 冷たく返しながらも、この人の脳みそに新たな栄養素を流し込めたことが、素朴に嬉しい。
「こんなに情報量が多いメシしばらく食ってなかったわー」
「あ、履歴書あったよ。なんか家に5枚くらいあったから、書き損じ用に多めにどうぞ」
「お、すまん」
 私は履歴書を手渡した。
「またバイト受けるの?」
「うーん、まあ」
 この人は、家賃や食費を極限まで下げる、住民税を払わない、あらゆるものを人からもらう、拾う、他人の家についていってタダ飯を食らう、路上で弾き語りをして小銭をもらう、などの策を講じながら、バイトをしたりしなかったりして食いつないでいる。アプリの仕事で実績があるのだから能力を高く買う人はいくらでもいるはずなのだが、中野君はもう二度とパソコンを触る仕事はしたくないと言う。「虚無的な金は要らない」そうだ。
「てか今日の夕方面接なんだわ」
「へえ何のバイト」
「なんか、仕事選べる、登録制の、短期の」
「警備とか?」
「いや、清掃にする」
 中野君がやけに堂々と言い切った。
「清掃っていいじゃん、作務じゃん。汚いところがきれいになるって絶対善だろ。ビルとかのでっかいフロアでさ、誰も来てない早朝に、でっかい乗れるルンバみたいなのに乗ってガーって掃除するの、超爽快なんだよ」
「いいねー、紺屋の白袴だねー」
 私はわざとらしく部屋を見回しながら言う。
「だってそのほうが純粋に作務っぽくね? 自分の居場所じゃないところ掃除するほうが、純粋に作業のための作業だろ?」
「でもお金のためだから不純じゃない?」
「そんなこと言ったら坊だって寺に食わしてもらってるんだからバーターだ、で、面接新橋なんだけど」
「うん」
「行く交通費も無くてさ。てか行けるけど、帰ってこれない」
「……」
 すっと頭が冷めた。履歴書はフェイクだったのかと思った。私を呼び出した本題はきっとこっちじゃないか。久々に連絡が来て浮かれて、弁当まで買ってのこのこやって来て、楽しく会話していた自分が、バカなんじゃないかと思えてくる。
 でも、お金を貸さないと、中野君は面接に行けない。バイトも出来ない。すると結局お金は返せない。せっかく働く気になった中野君の気を削ぎたくはない、のだけれど、こういう思考回路自体がもうおかしいのだろう、マチ子さんの釘を刺す声が聞こえる。「もう絶対貸しちゃだめだよ」。でも、この状況で貸さない、というのは、ありえるんだろうか。それともこれこそが「巧妙な手口」。
「とりあえず、交通費だけ貸してくんない?」
 中野君の、まったく躊躇無い声が飛んで来て、私の良心に刺さる。なぜか私が後ろめたくなる。
「……まあ仕方ないね」
 けちだと思われたくない、でもつけあがられたくない、嫌われたくない、でももう苦しみたくない、いろんな思いが渦巻いているのを悟られたくなくてさりげなさを装いながら「いくら」と言って財布を開く。
「あ、でも、結局バイトしないと金入らないし、それまた来月かもしれないし、って思うと、またまとまって借りた方がいいのかな、1万とか」
 いちまん、と軽く口にするのにカチンときた。この人は、自分が1万円稼ぐのは嫌で嫌で仕方無いのに、他人の1万円に同等の苦労がかかっているとは全然思ってないのだ。
「……私は君を嫌いになりたくないよ」
 目を見られず、俯いて言った。私はこの人以外にお金を貸したことがない、この人を好きだから貸している。なのに、まさにそのお金を貸すという行為によってこの人を嫌いになる可能性がある。矛盾した行為を行う自分に、どう折り合いをつけたらいいか分からない。
「うん、本当申し訳無い。何度もこんなこと言って、本当、ごめん」
 あぐらで弁当をつついていた中野くんが急に姿勢を正し、私の正面を向き正座した。声も改まる。
 しばしの沈黙ののち、私は喉から声を絞り出した。
「違う、お金を貸してくれって言われるのが嫌なんじゃなくて」
「うん」
「……」
 君が私の前でそんな姿を見せるのがすごく嫌なのだ。もっと自由で、無礼で不謹慎でいて欲しい。でも、お金が無いと、この人はもっと不自由になってしまう。
 視界がぼんやりとして、気づいたら机の上には1万円札が乗っかっていた。
「中野君に死んでほしくないから」
 好き、とは言えない。ここまでしか言えない。中野君は札をひったくる。
「ありがとう、恩に着ます。ちゃんと絶対返すから。すぐって言えないけど、半年以内には、年内には必ず。メモしとく」
 とってつけたようにうやうやしく札を両手で捧げ持って頭を下げて、それからいそいそと手帳を取り出して何かを書きつけていた。その小さく丸まった背中を見ていたら、どうしてこの人はお金のことになると急に小じんまりとするのだろう、と思って、イライラしてきた。もうどうせ返す見通しなんか無いんだから「欲しいな。すごおーく」とでも言って掠め取っていけばいいのに、履歴書みたいに。そしたらこっちも気持ち良く奪われていくのに。それは君のライヴとかセックスと同じく被食者の快感をともなうだろう。何、こそこそしてんだ、むかつく。
「なんでさあ、『お金貸してるの皆に秘密にして』って言うの」
「あ、ああ」
「別に誰かに言う予定も言う相手も無いけどさ」
 小さい背中のまま答えが返って来た。
「なんか、すごい、情けないし恥ずかしいんだよ」
「そうかな?」
 よく分からない。無職なのとか服が2パターンくらいしか無いこととか人にものを貰いまくることは全然隠さないけど、それは情けなくないのか。
「別に中野君、金無いキャラじゃん。それでも人に頼ったり、お金を借りたりできる才能、っていうか、人柄があって、生きてけてるってことは、全然、誇りに思っていいことじゃん。お金持たないのも全部主義があって、それが中野君の生き方じゃん。別に恥ずかしくなくない?」
「うーん、まあ、そう言われるとそんな気もするけどさ」
 中野君がまた姿勢を崩していつものダルい喋り方に戻り、頭をぼりぼり掻いた。でも、やたらと背中を丸めてまるでダンゴムシのよう、声は床にぼとぼとと落ちて聞き取りづらい。
「私、無駄に秘密とか持ちたくないよ。別に言いふらさないけど。そっちがこそこそ借りてくるとこっちも後味悪い。気持良く貸したい」
「いやあまあなに、分かるよ、リナの言いたいことはさ、分かるけど、やっぱ、うーん」
 中野君がまた頭をぼりぼり掻きながら、私の真横にある窓の方をやたら見る。雨でも降りそうなのかと思ったけど別にそうでもないし、視線を戻したら中野君と目が合って、また逸らしてすぐ窓の方を見る。中野君が放るように言った。
「正直、ミレイちゃんにまだかっこつけてたいってところがあって」
「……ん?」
 そこで、この名前?
「え……っ、と、えー……、ん?」
 私が言葉を探す間、中野君は出来の悪いテストを親に見せる子供みたいに、上目遣いで私の顔色を窺っている。
「え、いや、うん……」
 その、親の顔色を窺う子供の目のまま、顔の下半分だけがだらだらと崩れていった。照れかにやけか気まずさかで、オーブンで焼かれて溶けていくみたいだった。
「かーっ、わー、うわー」
 そんな顔見せるな。
 強風を浴びたカカシみたいに水平に両手を広げたまま仰向けに倒れた。床に散乱する本とか布とか工具とか埃とかが私の背中をぼこぼこ、ざらざらと刺激したけど構わず圧をかけた。
「最悪だわ」「聞きたくなかったわ」「言うか普通」
 まるでマチ子さんが憑依したように、口から呪詛がボロボロこぼれる。仰ぎ見た天井にはツルッツルのわざとらしいCGとゴテゴテとした色彩で描かれた見たことないどこかの新興宗教の名前が極太のゴシックで書かれた神様のポスター。アーメンだ。
「てかセフレに金借りて口止めして彼女に体面つけるって何」
 勢い良く反動をつけて上体を起こしたら、嫌悪感を露にした中野君の目に出遭った。
「セフレとか言うなよ」
「別に本当のことじゃん」
「お前、俺のことセフレって思ってたの」
「……」
 違う。好きな人、だ。でも言えない。
「俺はそう思ってなかったけどな、友達だって思ってた」
 じゃあなんで彼女が出来た途端に連絡が絶えるの。
「俺とお前の積み上げてきた時間とか関係が、あるじゃん。そういう、既成品みたいな言葉使うと、全部意味無いみたいな感じになる」
 よくそういう、諭すような、悲しい目をしてくる。私が悪いような気がしてくる。何も言い返せない。私の口からはきっと汚い言葉しかこぼれてこない。
「今日はありがとう。おかげでバイトに行けるよ」
 この部屋が急速に2人分の空気の欠乏を主張し始めた。家主が心を閉ざしたからだ。私は、セッション相手として、曲の終焉を美しく揃えないといけない。でも。立ち上がりながら、
「せめてさ、直接教えて欲しかったよ、付き合い始めたって」
「なんで。関係無いだろ別に」
「あれだけ話を聞いていたんだから一言報告欲しかったんだよ、友達だって言うなら」
「……そうだね、ごめん」
「もういいです」
 あなたが私のことをなんとも思っていないことは骨の髄までよく分かったので。靴を履いてから、振り向いて最後にこう聞いた。
「ひとつ聞いていい? ミレイちゃんはこの部屋に来たことがある?」
「……答える義務が無い」
 まだだ、絶対、と思った。靴を履きながら、横の洗面所に、昔私がわざと置いていったメイク落としシートの小さいパックがそのまま置いてあるのが見えて、今日もわざとそのままにしておいて、帰った。

@r_n86「マチ子さん」
@r_n86「助けてよ」
@r_n86「聞いたよ」
@r_n86「あれ。なんで秘密にするか」
@r_n86「お金借りてるの」
@r_n86「ミレイちゃんにバレたくないからだって」
@r_n86「聞きたくなかった・・・・・」
@machikok「おつー。なんすかそのショボい理由は?!?!wwwww」
@r_n86「ねー」
@r_n86「もうー。。。。。。。。」
@machikok「小者っぽいわ。ダサいわ。どうしようもないわ。てか、リナによくそんな話できるよなー それこそ秘密にしろよ!! って思うんだが。爪が甘過ぎ、てかリナのこと考えてなすぎじゃね?」
@r_n86「ね。ね。ね。」
@machikok「自分に惚れてる女とパコパコやって、金借りて、彼女に体面つけたいから秘密にしろ、とな。恋愛ヤクザだろそれ」
@r_n86「恋愛ヤクザw」
@machikok「そんな歪んだ関係じゃ長く続かないよ、ミレイちゃんとも。すぐ別れるよ。いや、すぐ別れろ。一刻も早く別れろ。不幸せになれ」
@r_n86「ありがとう、マチ子さんが怒ってくれて嬉しいよ……。やっぱ、おかしいよね……」
@machikok「うん怒っていい。怒れリナ」
@machikok「てかさ、リナに聞いてる限りだとそいつ彼女の前で格好つけすぎじゃない? 無理してない?」

@r_n86「あー。なんかすごい張り切って柄にも無く東京ウォーカーとか買ってデートスポット探してたりとか、服買ったりしてたね。服屋入るの何年ぶりかだって言ってた。あ、あと今日会ったら髪と髭もちゃんとしてた」
@machikok「……ねえ思ったんだけど、バイト始めるのミレイちゃんのためなんじゃね?」
@r_n86「うっっわー」
@r_n86「やめてよ」
@r_n86「履歴書あげたのに」
@machikok「ww」
@machikok「履歴書あげたんだー」

@r_n86「うん。今日。」
@r_n86「ていうかさマチ子さん……」
@r_n86「また貸しちゃったよ……」
@machikok「えっ」
@machikok「あんなに言ったのに」

@r_n86「なんかバイト行く交通費も無いからって言われて」
@machikok「それいつもの手口じゃん。貸さない方が罪悪感残るように仕向けるんでしょ。乗るなよー」
@r_n86「でもちょっとだから」
@machikok「ちょっとっていくら」
@r_n86「……1万……」
@machikok「全然ちょっとじゃないわ」
@r_n86「ごめん」
@machikok「謝られても困るけどさ。だってそれ、ミレイちゃんとのデート代になるんだよ」
@r_n86「そんな、まさか」
@machikok「決まってるじゃん」
@r_n86「あああああ」
@machikok「自明だろ。どうだこれでもう二度と貸さないだろ」
@r_n86「でも中野君がそこまで頑張って付き合ってるミレイちゃんって子、きっとすごく可愛くて素敵でキラキラした女の子なんだろうな……」
@machikok「その件だけど」
@r_n86「ん? マチ子さん? ん?」
@machikok「ネトストさせて頂いた」
@r_n86「へっ?!」
@r_n86「ど、どうやって。ていうか、なんで」
@machikok「中野修司氏の死に体のフェイスブック発見→バンドメンバーのフレンド見てたら、ミレイちゃん見つけた。名前珍しいからすぐ分かった」
@r_n86「はーっ 何してんのw てか、私が一生懸命ネトストしないように自制してるのに何一体」
@machikok「正直、全然だよ」
@machikok「顔写真とかあったけど」
@machikok「見る?」

@r_n86「うええ。み……見たくない……けど……」
@machikok「見るよね」
@machikokが画像を送信しました。

@r_n86「……うーん、まあでも、これは、写真映りが悪いだけで、なんとも……」
@machikok「いや全然ブスっしょ。しかもTwitterも見つけたんだけどさ、友人の顔写真は晒すわ最寄り駅とかバイト先とか何もかも呟いて個人情報ダダ漏れだわインスタは食べかけのまずそうな手料理の写真を無加工であげてるしブスのくせに自撮りばっかでイライラするし、と思ったら何を思ったかビレバンで買った漫画とか撮って稚拙なサブカル教養アピールしてくるし、あとアホそうな専門学校出てる。25のクセにローリーズファームとか着ててヤバい、顔がでかく見えるだけで全然似合わない前髪ぱっつんといいファッションセンスも知能も学生時代で止まってるんじゃん?」
@machikokが画像を送信しました。
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@r_n86「調べすぎw」
@machikok「全然リナの方が頭いいしリテラシーもあるし、まともだと思うよ、会ったこと無いけど」
@r_n86「ああなんでだろう。。全然嬉しくないよ。。優越感とか感じないよ。。知りたくなかったよ。。知ってもどうしようもないよーでもマチ子さん教えてくれてありがとう」
@r_n86「中野君の好きな女の子は素敵な子に違いないって思っていたかった……じゃないと妬いちゃう」
@machikok「これで二度とお金貸さなくなっただろう……」
@r_n86「ああそのために教えくれたんだ……マチ子さん……ありがとう……どうせ遅かれ早かれ自分でもやったかもしれないし手を汚さずに済んだ」
@machikok「うむうむ。辛いだろうけど早く別な男探しな。あのクソ無職に電話して一刻も早く返せっていいな」
@r_n86「えっでも年内に返すっていってたよ」
@machikok「年内って、あと四か月ものさばらせておく気? 相手は彼女に体面つけるためにセフレに金借りて、しかもそれをあんたにのうのう言ってのけるやつだよナメられていいの?」
@r_n86「うーんでも、年内でいいって言っちゃったし」
@machikok「自分でもクソ無職の言い分がおかしいって思ってるんでしょ?」
@r_n86「思ってる」
@machikok「あんたその『うーん』って状態であと4ヶ月も我慢できる?」
@r_n86「……やだ」
@machikok「でしょ。自分の意見たまにはちゃんと言いな」
@r_n86「分かった、ありがとう」
@machikok「はい、じゃ電話しなね
@r_n86「うんする」
@machikok「あ、それとリナさん、全然関係ないんだけど一個お願い、あのさ前話した恋愛信者の連載、とりあえず信者側でさ、リナのエピソード書いちゃってもいい? あまりに面白すぎるから。もちろん匿名で」
@r_n86「あははw 別にいいよw てか面白くなってくれるなら光栄ー 面白く料理して供養して」
@machikok「ありがと」
@r_n86「ネトストのお礼ってことでw」
@machikok「せんきゅー」
@r_n86「いつも相談乗ってもらってるし」
@machikok「いえいえ」
@r_n86「ありがとね、また進展あったら言う」
@machikok「ほーいまたー」
 マチ子さんにミレイちゃんのアカウントを教えてもらった、というか、添付された写真によってアカウント名を強制的に知らされてしまった私は、結局、マチ子さんとの会話が終わった後、夜通し彼女の情報を漁り続けることになってしまった。マチ子さんの言う通り、大して可愛くないし服もビミョーだし頭も良くなさそう。
 中野君が好きな女の子の良さが私には全く分からないということが、中野君の好きな女の子の良さが私なんかには全く分からないという意味で私にダメージをもたらしたし、なぜか安らぎも与えた。中野君が私にくれた知識のどれもを、この子は取りこぼすだろう。もしかしたら彼氏の家にメイク落としがあっても気づかない子かもしれない。そう思った時、初めて、胸がひりつくように妬けた。

 中野君に電話をかけるのは緊張する。かかってきて飛びつく時も緊張するけれど、かける時はその何倍も。でもこうやって自分の意志を表明していかないと毎回向こうのペースに巻き込まれるだけだ。たまには自分から、声を発しないと。私達は別に対等な関係なんだから。電話しなね、というマチ子さんの声に押されるように、ぐいと通話ボタンを押す。
「何」
 意外と早く、普段通り脱力した声が応答した。なんでいつも私ばかり緊張しているんだろう。
「今、話して平気?」
「うん。あ、昨日ありがとう。おかげで面接行けたわ」
「そう、よかった」
 掻き乱されてはいけない。
「そのことだけど」
「ん」
「半年と言わず、本当は、できるだけ早く返して欲しいんだ」
 喉から鉄の棒を押し出すように、できるだけ感情を込めずに硬い声で言った。
「うん、もちろん、そのつもりでいるよ」
「そうじゃなくて……」
 息を吸う。
「私が、どうしても納得出来ないことがあって」
「何」
「あのさ、中野君、お金借りてるのミレイちゃんに秘密にしたいって言ったじゃん」
「あー……、言ったね」
 私の鉄の意志が中野君のだらけた声で溶かされないように、気張る。
「私それ聞いちゃったら、今まで通り貸せないんだよ。中野君の見栄のために、変な秘密持たされるの、納得出来ない。そんな、中野君の好きじゃないところに、加担できない」
「……そうか。分かった。出来るだけ早く返すようにするよ。すまない」
「えっと、待って」
 多分伝わってない。スルーされている気がする。
「私のお金がどうこうっていうんじゃないんだ。筋通したいってだけ。本当は、私は、ミレイちゃんにお金借りて欲しいよ、中野君には。一番、中野君に近くて、中野君に死んでほしくない人に」
「いやミレイも全然金持って無いから」
「そういう現実問題じゃなくて。ああもう」
 中野くんの受け答えはこの件に関して極端に悪くなる。
「とにかく私は、もう、昨日の中野君の発言を聞いてしまった以上は、今まで通り貸せないんだ。今すぐ返せとは言わないし、不可能だと思うけど、私の言ったことは、心に留めて欲しいってだけ」
「……分かった。何にせよ、出来るだけ早く返すようにするよ」
「……うん」
「じゃ」
 伝わっただろうか。

@r_n86「伝わったかな」
@machikok「もっと言って良かったけどな。『私の気持ち考えなすぎだろー! 私はあんたのATMじゃないんだぞオラー!!』くらい」
@r_n86「ムリw」
@machikok「本当ガマンするよねリナはいつもそいつに対して」
@r_n86「我慢っていうか、信じたい」
@machikok「うっは。それタイトルにしていい? 次の連載の。『まだ彼を信じたいんです ~アラサー夢追いバンドマンに金を貸し続ける、貢ぎ系女子~』」
@r_n86「どうぞ」

 信じちゃだめなんだろうか。疑う方が確かに賢い気がするけど。財産全てを馬券に換えて全部スッた中野君と一緒で、私は精神のきれいなところを全部中野君に賭けて、そしてスッたらマチ子さんみたいに賢く疑えるようになれるんだろうか。「インターネットに書いてあることを鵜呑みにしてはいけない」と書いてあるインターネットのようだ、マチ子さんは。

 それから一週間が経ち突如中野君から連絡が来た。電話をとる前からもう嫌な予感がしていた。というか良い知らせなんてあるわけがない。
「あのさ! 来週絶対返すから、ちょっと急ぎで今日お金貸して欲しいんだけど!」
 中野君の声色が聞いたことないほど高揚していることだけが予想外だった。その耳障りな声質は、私の心の中へと、海に鉛の碇が沈むようにずんずんと重く、鈍く、めりこんでいった。まるで耳に膜が張ったように、電話の声が遠く聞こえる。耳と電話の接する感触が、自分とは別な人間の代理に思える。自分の中心が身体から抜け出て天井近くに浮かんで、自分の後頭部を見つめながら「同じ光景を何度か見たことがある」とぼやいていた。
 こいつは金を借りたい時しか連絡して来ない。
 何秒空けたかわからないが、私の沈黙から何かを読み取ったのか、
「無理にとは言わないけど」
 先ほどの勢いを失った中野君の声が続いた。
「よく分からないんだけど……」
 先週のあの話を聞いておきながら、のうのうとまた金の無心を出来る君の心理が。
「ああ、ええとさ、ずっと狙ってるギターがあって、中古で。値段が下がるの待ってたんだけど、今日からセールでいきなり半額になったんだよ! さっき、友達の家でネット見てたんだけど。で、電話したら、馴染みの店員が特別に今週いっぱいだけなら取置してくれるって言ってくれてさー。でも俺今日しか行く時間無くて、もう店閉まるから今すぐ行こうと思うんだけど、今家いる? 寄っていい?」
 友達の家で、ずっと欲しかったギターの値段が下がっているのを知って、テンションが上がって速攻私に電話をかけてきたのか。
「その友達にお金借りればいいじゃん」
「いやあそんなに大きな金すぐ出ないってさ。リナだけなんだよ、頼れるの」
「大きな額?」
 自分の声はなぜか、まるで、急な事故に遭った友人のケガの容態を聞くようにか細く心配げだった。
「うん、7万なんだけど」
「なな……」
 一瞬世界が無音になる。
「……無理?」
 無理? その言葉が私の心に柔らかく潜り込もうとして、しかし壁によって跳ね返された。無理とかそういうことではなく、この人は自分の病気が分からない、それがすべてだ。
「……無理というか……返せないでしょ」
「大丈夫、来週、前やってたバイトの給料が入るから。あと家にある本とか売るし。ねえ、あのギター、どうしても欲しいんだよ。25万だよ?! 25万がいきなり7万になったんだよ?! ずっと欲しくて欲しくて狙ってたやつが。頼むよお」
 壁を張り巡らせた私の心に蜜のようにじわじわとしつこく沁み込もうとする甘ったるい中野君の声。でも、その魂胆が見え透いて冷めたまま、私の心は動かなかった。
「絶対に恩は返すから。あと20分くらいでそっち着くんだけど今家いるよね?」
「来ないで」
 喉から声が飛び出た。
「いや実はもう向かってるんだよ。頼む、金貸してくれなくてもいいから、とりあえず行くだけ行かせて。チャンスくれ」
 雑踏の音が急に大きくなるとともに電波が悪くなり、電話は切れてしまった。
 携帯電話を放り投げて仰向きに倒れこんだ。このまま何かを決めるのを放棄してめりめりと床に沈み込んで意志のない無機物になってしまいたかった。中野君に会いたくなかった。会ったら何かが決まってしまう。氷のように頭と身体が固まり、迫り来る時間を実感をともなって待てなかった。どうしよう。頼れる人はひとりしかいない。マチ子さんを、呼び出すしかない。水を吸ったようにぐっしょりと重い身体をなんとか床から剥がしiPhoneを掴み取るとパソコンの前に座り電源をつける。iPhoneで@r_n86のページを開く。パソコンの起動待ちの間に、フリック入力の指を滑らせて私の心の叫びを入力する。
@r_n86「マチ子さんどうしてどうしておかしいおかしい」。
パソコンが起動した。インターネットを開いて@machikokのホーム画面にたどり着くと、既に@r_n86からの新着DMを知らせる青い点が光っていた。
@machikok「どうした」
私の両手がキーボードを打つと、iPhoneが即座にテロリンと鳴る。この、インターネットを介してもあまりに近い、2つの機械の応答の速さと、自分の2つに割れた心の遠さを、いつも思う。こうやってわざわざ光と文字の世界を通すことで、自分の身体の中におさまっているはずの2つの心のもつれが、少しずつほどけて、まともに見えるようになってくる。
@r_n86「伝わってなかった」
@r_n86「また、金借りに来る」
@r_n86「すぐ来る」
@r_n86「なんなの」
@r_n86「7万て」
@r_n86「今度は、7万て……」
@machikok「絶対会っちゃだめ」
@machikok「中に入れるな。門前払いだ。鍵をかけろ。何を言っても、電話してきても絶対に反応しちゃだめだ」

@r_n86「そんなのできないきっと」
@machikok「とにかく姿を見せたらだめだ。リナは絶対にあいつの姿を見たら、戦えない。今まで何度負けてきた?」
@r_n86「でも、もう来てしまうし私は戦いたい、ちゃんと伝えたい今度はちゃんと怒るから。中野君に、自分がクソなことしてるってちゃんと認めさせる」
@machikok「だめだ、言葉は何の意味も無い。リナはあいつに、ただのATMだと思われてるんだよ。何を言ってももう通じない」
@r_n86「そんなことなくない?!」
@machikok「いいか? リナ。あいつは、リナが惚れてるの分かっててセフレにして、その上、金借りに来てるんだ。良心は無い。化け物だと思え。締め出せ。布団たたきで叩きだせ。ちんこ蹴り上げてひっ倒して縛り上げて金玉にホチキス打ち込め。そんでもって陰毛をライターで燃やして根性焼きでリナの名前ちんこに刻んでミレイちゃんと永遠にセックス出来ないようにしてやれ。そこまで出来ないならもう二度とあいつを見ちゃだめだ。絶対に後悔する」
@r_n86「後悔してもいいんだよもう自分の問題」
@machikok「だめだ。リナはあいつに勝てない」
@r_n86「いいよもう勝ち負けとかじゃないんだよそれでも戦いたいんだよ」
@machikok「戦えないよ。酔っぱらったあいつが夜中に急におしかけてきた時、『しゃぶって』って言うからしゃぶったら、途中でガーガー寝やがって、朝起きたらしれっと『俺は別に泊まらせて欲しかっただけなのにお前が勝手にしゃぶってくるから』って言いやがった時、何か、言い返せた?」
@r_n86「言い返せなかった」
@machikok「そうだよ」
@r_n86「ずっと、全部、言い返せなくて、我慢してる」
@machikok「そうだ」
@r_n86「ずっと言いなりになってる」
@machikok「そうだよ」
@r_n86「私が、中野君の言うとおり、秘密を守ってあげてるから、中野君とミレイちゃんはうまくいってるんだ」
@machikok「そう」
@r_n86「私すごい我慢してる、辛いし、苦しいって言いたくて仕方無いのに黙ってる。なのに感謝どころかアダで返される、何またのこのこ7万借りに来るって。私をみくびってる、バカにしてる、ナメてる、下に見てるにも程があるわ。ギターとか、ハ?! 私が頑張って自炊とかして切り詰めてるのに、ハ?! 人の金をなんだと思ってる自分で稼げば稼げる癖に。7万稼ぐ苦労のこと考えろよ。いっつもそう。全部『あの女は俺の言うこと聞いて当然』みたいに思ってる。全然当然じゃない、全然当然じゃないよ。あんたの予想外に動いてあげようか? ミレイちゃんのアカウント分かってるんだ」
『突然のメッセージ失礼します。実は、あなたの彼氏の中野修司さんのことで、どうしても伝えたいことがあります。助けて欲しいんです。中野君があなたと付き合う前から、私達はセフレ関係を続けており、私は彼に、けして少額とは言えない額のお金を貸しており、そんなことはどうでもいいんですが、そのことを、彼女のミレイちゃんにはバレたくないと、彼はずっと言っているんです。私とのセフレ関係も秘密にして欲しいと。でも、共通の知人も多く近いうちにバッタリと顔を合わせるかもしれないあなたのことを考えると、こんな秘密を持っていること自体があなたに後ろめたくて、同じ女として、そう、同じ男に惚れた女として、このことをあなたに教えた方が良いのではないかとずっと悩んできました、つまり、あなたの彼氏はセフレの恋心を利用して金を借りて、しかも彼女に体面つけるためにつまらない口止めをする男であると』
『あ、ちなみにフェラチオはなさりますか。インスタやTwitterを見る限りいい歳して清純ぶったロリ路線のようですが、出し惜しみせずさっさとやった方がおすすめです。中野君は、手の平でカリを撫で回しつつ側面を舐めるとすごい喜びます。『フェラチオ 蛇口』でググってみて下さい』
『確変マチ子の、恋愛信者!!
今回の信者は、「それでも彼を信じたい ~アラサー夢追いバンドマンセフレに金を貸し続ける、貢ぎ系女子~」
…(3)…
“そうそう、ネトストして見つけた彼女にメッセージ送って全部バラしてやろうかと思って”
“うっわー狂女ですね”
“いやさすがに下書き保存で思いとどまってますけど(笑)でもいつ送信ボタンを押すか分かったもんじゃないですよ”
…(4)…
“でもねえ、そういうことをして、「彼女とN君に破綻して欲しい」とか、実は全然思ってないんですよ。だってN君が彼女と別れても私と付き合ってくれるわけじゃないじゃないですか。もう二度と絶対に私はN君とセックス出来ないんですよ、ていうか、してももう本当に向こうが私に気持ちが無いの完全に分かってるから、辛くなるだけだから。気持ち良くないだろうし、やりたくないです。やっぱこういうこと考えると本当分かります、まだ私はN君のこと全然好きなんだなって。もうお金を貸すことでしか繋がってない、彼はお金を借りる時しか私に連絡しない、それでも思うんです、『私以外にお金を借りないで』って。私が一番あなたを愛してるから、私が一番あなたの醜いところを知っていて、その上で受け入れてるから。『お金が必要だけど働きたくない』とか『彼女にはかっこつけたい』とか、そういう矛盾全部飲み込んでそれでも好きでいるのは、私だけだから。私、思うんです、お金で愛情を表現できるなんて最高じゃないですか。愛なんて変なものを押しつけるよりずっと綺麗。いいよ中野君、いくらでも貸すよ。10万でも20万でも貸してあげる。てか、あげてもいいんだ。愛は返ってこないものなのにお金だけが返ってくると思うのはおかしい。あ、でも返そうとはしてね。それが私達の唯一の繋がりだから。あなたがお金を返してくれると信じてお金を貸すことが、すごく綺麗なことな気がするの。マチ子さん止めないでね。汚いことを言わずに済むようになった自分が嬉しいの。汚くて、分かりやすくてスカッとすることを、インターネットに書くことが、マチ子さんの仕事だから、それはそうすればいい。だからさよならしよ? 私は小説を書くよ……”』
「私は金曜日の終電に乗り、JR高円寺駅に降り立った。閉じたシャッターの前に車座になって缶チューハイを飲んでも、アイスクリームみたいな髪色で歩こうと、路上で弾き語りをしてもポエムを売っても、パジャマで通りをうろついても、後ろ指をさされない、自由で、寛容で、だらしないこの街が、一週間の中でひときわだらしなくなる時間が、始まる。私は埃と泥まみれのボロ布に身を包み、逆毛を立ててわざとぼさぼさにした髪と、煤けた顔という、ホームレスを模した井出達で、両手で募金箱を抱えていた。箱の表面には『バンドマンに貢いでしまう恵まれない女子に愛の手を』と書かれている。背中には、『バンドマンとは付き合うな』と書かれたのぼり旗をくくりつけてある。北口広場ではマラカスやアコーディオンを持った男性や似顔絵描きが酔っぱらいに絡まれながら笑っている。私がその広場を通り純情商店街に向かおうとする短い間でもすぐに、好奇心を隠さずに遠慮無い目で私を見る酔っぱらいが集まってくる。
「うひょ?! なんかの、イベントとかっすか?!」
「いいえ、見たとおりです」
「へえ……。すごいっすね、がんばってくらっさーい!」
 若者の群れが大きく手を振りながら過ぎ去る。
「ねえちゃん、身体張ってんなー。今日勝ったから、やるわ、やる」
ワンカップ片手の中年男性が、ジーンズのポケットから皺々の千円札を取り出して、投入してくれる。ギターケースを背負った男達が遠くでがやがや言いながら写メを撮っている。同い年くらいの小柄な女の子が駆け寄って、
「私もバンドマンに片思いしてて、お互い大変だけど、頑張ってください」
 小さな声で言うと、首から紐で下げたがまぐちを開いて、小銭を全部投入してくれる。さすがサブカルの聖地高円寺である。この勢いであれば、期限よりだいぶ早く、返済額を集められるかもしれない……」


 いくつものウィンドウを開いて夢中でキーボードを叩き何千字も文章を書き散らしていた。完全に日が落ちてから、中野君が来ていないことに気付いた。でも別に連絡する気も無かった。どうせ気が変わったとか、あるいは金欠によくある携帯が止まって連絡出来なくなったとかそんなところだろう。次の日の午前に中野君は来て、楽器屋の後にスタジオ練に行きたいのだが荷物が多いので一緒についてきてくれないか、良ければ練習も見てくれても構わないと言った。私は7枚の1万円札を携えて同行した。駅で待ち合わせて中野君の荷物を持って総武線に乗り秋葉原駅に向かい、昭和通りを渡り、神田川に沿った通りにある楽器屋の入り口が見えてきたところで、中野君は言った。
「あ、先お金もらっておいていい?」
 私は両手に持っていたエフェクターボードや機材が入った袋を、注意深く道の端に置いて、倒れないように自分の脚で支えながら、鞄を開き財布を取り出そうとしたのだが、その工程がすごく面倒に感じられたので、財布を探す手を止めて、
「なんで」
と聞いた。
「いや、お前がレジで金出すと変な感じだから」
 つるんとした顔でそんなことを言った。なじみの店員の前で、女に財布を開かせるのを見せたくないということか。そんな細かいことを考えていたのかこの人は、と思った。指先で1万円札の枚数を1、2、3、4、5、6、7と数えながら、紙の感触を味わった。中野君に手渡そうとして伸ばしかけた腕の動きが止まった。今紙を挟んでいる親指と人差指のほんの少しの力の加減で、紙は地面に落ち、あっという間に風に吹かれてどこかに行くだろう。追いかけて誰かが拾おうが、中野君が拾おうが、あるいは誰にも拾われずに消えてしまおうが、同じことに思えた。だって私の財布から抜けたらもうこの紙には名前も書いていないし誰のものか分からない、というか誰のものでもなくなる。逆に中野君が手にするであろう7枚の1万円が私から手渡されたものだろうが、どこかの誰かから手渡されたものだろうが、道で拾おうが、きっと彼には関係無いのだ。
 ぶわりと風が巻き起こって頬を撫でた。私は急激な目眩に襲われ瞼を閉じた。人差し指と親指をかさかさと擦り合わせてその間にある7枚の紙の厚みを味わった後、目を閉じたまま、中野君のいる方に向かってそれを放り投げた。神田川が近い。風が運んできた水の匂いはドブの臭いだった。




ありがとうございました 小説なんかアップしても誰も読んでくれないだろと思ってるので、完読した人いたら感想くださ~~~い

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★「ライヴが出来る小説家」渋澤怜のライヴ原稿&動画 https://note.mu/rayshibusawa/m/m2a3e7b11ec6b

★『なんで東大卒なのにフリーター? 〜チャットレディ、水商売、出会い系サクラ…渋澤怜アルバイト遍歴とこれまでの人生~』
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★おすすめエッセイ https://note.mu/rayshibusawa/m/mb0d4bde3bf84
★おすすめ創作群 https://note.mu/rayshibusawa/m/m70e04479475e
★2017年9月からバイトをやめて好きに生きる活動をしています!
https://note.mu/rayshibusawa/m/m8789734ad9cf


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