生き易さってなんだ

はじめに
日中働いて、退勤後は趣味に明け暮れて、故あってお酒を飲みながら夜更かしをした1日。やることやって気分が良いので掲題について少し考えた。
30分で書くので構成など整理できていないため、くだらない仕事に向かう途中、嫌なことがあった帰り道などに勢いで読んでほしい。

背景
つい最近誕生日を迎え本格的にアラサーの域に至った。
人間の生活には適度なストレスとそれを解消する機会が必要と思い、サラリーをもらう仕事と、自分の好きなことをする時間を確保している毎日だ。
強めの感染症がまん延して久しい今日、ステイホームの機運の高まりもあってか仕事以外に目を向ける人間が多いように見える。
そのほとんどが「脱サラ(など)して自分の好きなことを仕事にしました」だ。
他でもなく自分もこのまま好きでもない仕事を永遠に続けたいかといえばそうでもなく、ジョブチェンジの機会をうかがっている身のため、脱サラとかそういった人生の転機に憧れがある。
この記事はそこからつながる「生き易さって何だろう?」を考えて30分で書いた記事だ。

生き易さの種類
先ほど深夜のゴミ捨てに興じた道中の5分間で考えたとき、人間の生き易さに2種類あることが分かった。

社会的な生き易さ
これはわかりやすいだろう。所謂"人生のレール"と呼ばれるものだ。
私の考える人生のレールとはこう。
1.大学(高専も含)を卒業する
2.企業に就職する
3.適齢期といわれる年代で結婚
4.子供ができる
5.家を買う
6.子供を育てる
7.子供が巣立つ
8.老後(ちょっと短絡的かな)

まるで文句のつけようがない。親も世間に自慢できるほどではないにしろ、お隣さんに子供の素性を聞かれたときに恥じらいなく答えることのできる立派な人生だ。ここからくる生き易さとは、世間に恥ずかしくない生き方をしていることの安心感からくる生き易さだ。これができる人間は「自分は立派に生きている」と感じて多少なりとも満足していることだろう。ただこの満足は人生に対してであり、決して人生大半の時間を占める仕事に対してではないことに注目したい。人生的に見れば満足なのに、大半の時間を占める仕事に対して不満があるのは如何なることか。それが引っかかる人間は後述の生き方を選ぶのかもしれない。

個人的な生き易さ
前述した"社会的な生き易さ"と対をなす表現かはさておき…
私の考えるもう一つの生き易さはこれだ。こちらはただ「自分の好きなことをしている」に限る。
好きなことで生きていく、という言葉が良くも悪くも今の時代の若者に影響しているだろう。実際それ以上に幸せなことはない。好きなことを仕事にして、家族もできて、家があって…は誰もが望む人生だ。だがそうもいかないのが世の常だろう。実際、売れない〇〇なんてものは世にあふれかえっている。あふれた人間が就いて食い扶持が繋げるような職種は、大抵がつまらないものばかりだ。あえて悪い言い方をすれば、前述の社会的な生き易さで満足しているタイプの人間は、そういったつまらないと感じる仕事に就いて人生をあきらめていると言えなくもない。
自分もこのままやりたくもない仕事を続けてそうなるのだろうか…

コラム「家族ができたら話は変わる」
これまで述べた話はまぁそれとして、独り身かそうでないかは人生の満足度を語るにあたり重要なファクターだ。
人間が幸せを感じるもの(こと)は多様なので、家族がいればそれでよくなるのかもな…なんて考える時がある。だって、大切な家族を守っていきたいなら、食えない職にチャレンジするよりも、多少文句があっても払いの安定した職にとどまるのが賢明だろう。実際、早々に家族を作って育児に追われている同期はそこそこ存在する。人間暇だから「生き易さとは?」なんて考えるのだ。さっさと身を固めてくだらない思考は排除したほうが幸せなのかもしれない…

終わりに
30分経ったので終わります。
ここまで読んでいただけた方の人生が少しでも「生き易く」なりますように。


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