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ソ連旅

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#一度は行きたいあの場所

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

かつて、ソ連という世界一面積の広い国がありました。ザンネンながら30年前の1991年にこの世から消えてなくなりました。ソ連の遺産はだいたいロシアが受け継いだのですが、たとえばクリミア半島をめぐってウクライナと争いがおきたりしています。

ゴルバチョフさんがソ連共産党のトップになってから、ソ連は変わりました。東西冷戦が終わり、世界も変わりました。1989年にベルリンの壁が崩壊してから、ワクワクが止ま

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ソ連が消滅して30年がたちました。

ソ連が消滅して30年がたちました。

1991年12月25日。私はこたつに座ってミカンを食べながら、ソビエト連邦大統領を辞任することを告げるゴルバチョフさんの姿を、もの悲しい気持ちで見つめていました。これをもって、ソ連の赤い旗がクレムリンから降ろされ、そしてロシア共和国の三色旗が翻ったんでした。翌日、最高会議でソ連邦の消滅が確認されました。

そして2021年12月25日。もう一度あの日に出会うため、noteで振り返ってみます。

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青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

世界史の授業で知った憧れの「青の都」サマルカンド。チンギス・ハンに破壊されたものの、14世紀、ティムールによって再建されました。ティムールは軍事の天才で、中央アジア一帯を征服。サマルカンドを帝国の首都と定め、征服地から最高の技術と富を集めました。後継者によって都はさらに大きく青く成長しましたが、17世紀の終わりに1度衰退してしまいます。

意外と青くないネットでサマルカンドを検索すると、モスクの天

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砂の街ブハラで迷子になった【ソ連最後の旅⑥】

砂の街ブハラで迷子になった【ソ連最後の旅⑥】

サマルカンドだけでなく、ブハラというシルクロードの古い都に行けるということで、なんだか得した気分でした。ソ連という人工的な国に、イスラム文化が色濃く残る街。しかしというべきか、やはりというべきか。社会主義的な「ソ連時間」はここでも健在で、スケジュールが押しまくり、歴史的な建造物には、ほとんどたどり着けなかったというザンネンなお話。

↓のつづきです。

再び、飛行機が飛びません
ウズベキスタンの首

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ソ連最後の夏の旅⑧レニングラード

ソ連最後の夏の旅⑧レニングラード

まさか、まさかが続いたレニングラードでしたが、事態は急転します。ただの観光旅行のはずが、どうしてこうなった。

外務省より「帰国せよ」朝食の席で。添乗員のキムラさんが緊張した顔でニュースを伝えました。
「昨晩、モスクワで市民が戦車にひかれ、殺されるという事件がありました。そして日本の外務省より通達が出されました。旅行者は、できるだけ早く帰国しろというものです」

予定ではその晩、夜行列車でモスクワ

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ソ連最後の夏の旅⑨モスクワ

ソ連最後の夏の旅⑨モスクワ

とうとうモスクワです。クーデター政権が倒れた翌日、赤の広場は大騒ぎでした。

夜行列車で祝勝会外務省から「帰国せよ」と言われたものの、エリツィンら「民主派」がヤナーエフら守旧派に勝利し、晴れてモスクワへ行けることになりました。ウラー。というわけで、夜行列車のコンパートメントで祝勝会。グルジアで買っていたワインが、ポン、ポンと開けられます。それ、お土産に買っていたやつ?いーの、いーのと振る舞われ、さ

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ソ連最後の夏の旅⑩モスクワ

ソ連最後の夏の旅⑩モスクワ

赤の広場での勝利集会を目の当たりにした晩、「さあ、今夜も赤の広場に行くか」とアップを始めましたが、通訳のターニャさんにストップをかけられました。街に人があふれている、まだ何かが起こりそうだから、と。そしてやっぱり深夜に事件が起こりました。まずは、その翌朝の話。

万国の労働者よ、団結せよ!そして…さわやかな朝です。私は昨晩「何か」があったかと、赤の広場の周辺をぶらぶら歩きました。ボリショイ劇場前に

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ソ連最後の夏の旅⑪モスクワ

ソ連最後の夏の旅⑪モスクワ

物騒な話が続きます。ソ連のもっともキケンな場所と思われるKGB本部へ行きました。するとそこには…▼の続きです。

KGB前の興奮赤の広場周辺でデモはやっていなかったので、とりあえず、見たかったKGB本部へ行きました。かぼちゃ色の建物を見て「おお、あれがKGBか、意外と派手な色をしている、秘密警察なのに」とひとりごちたのですが。よく見ると、人が集まっています。

2メートル位の台座に、人が群がってい

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