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雑記

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#クラシック

不朽の名曲ってこういうものか

私が朝の目覚ましに使っている音楽はマーラー5番のアダージェット。この曲は何度聴いても悲痛が胸に広がる。それも、マーラーを聴くときにしか体験できない特異な悲痛。

この曲を目覚ましに設定しているのは毎朝そういった悲痛を感じたいからではなく、単純に導入の旋律が優しく徐々に音楽が高揚していくため、寝起きに丁度いいからだ。

ただ難点がある。寝起きは本当に辛いので、この曲が嫌いになってしまうというリスクは

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5/13 音楽鑑賞記録

本日は2つの演奏会に足を運んだ。誘われない限り自分では絶対に行かないプログラムだったが、それ故にいつもとは違う新鮮な音楽体験であった。

①日本フィルハーモニー/カーチュン・ウォン指揮ミャスコフスキー 交響曲第21番

大曲をコンパクトに聴いたような感じ。マイナーな曲ながらも、数ある名曲に比肩するように感じたが、何がその差をつくっているのかという疑問が拭えない。音楽技法など細かい知識を持たない素人

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小澤征爾さんの言葉

指揮者の小澤征爾さんが、とある取材で語っていた言葉を書き留めておく。

夕日はどれも美しい。どこにいても。何でそうなるかというと、自分の状態、みるという気持ちがあるとそれを味わえる。ただ忙しいと見ることができない。そういうのがクラシック。要は自分が受けいれるつもりがあるか、余裕があるか、美しいと思う心があるかが音楽に対する大事な姿勢。

多忙の中にも余暇を見出し、どっぷり音楽に浸るということが大事

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葬送行進曲とレンブラント

葬送行進曲とレンブラント

これまで何度もベートーヴェンの交響曲第3番が好きって話をしてきたけど、とは言っても第2楽章の葬送行進曲は一向に好きになれない。

そんな中ふと出会った、ウィーンフィルとフルトヴェングラーの公演には度肝を抜かれた。まるで暗闇の中からほのかな光がぼわっと顔を出しては再び闇に溶けていくような。まさにレンブラントの絵画のような。絵を見るように音楽を聴くという体験は初めて。

「曲×指揮者×楽団×… 」と無

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コンサートの楽しみ方

クラシック音楽を聴くために赴くコンサートは、複数ある曲目中、好きな曲と知らない曲が半々になっているものが多い。というのも、好きでない音楽だけを聴きにいくのは億劫だし、かと言って、知っている曲だけ聴きにいくのは音楽の世界を広げてくれることに繋がらない。なのでそれらを半々にすることで、好きな曲をより深く楽しみつつ、知らない曲に触れて音楽の幅を広げる工夫をなるべくしている。(特に知らない曲は、コンサート

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8/4 コンサート感想

8/4 コンサート感想

昨日は京都市交響楽団のコンサートへ。
マエストロは広上淳一さん。音楽を純粋無垢に楽しんでぴょんぴょん跳ねたり、腕を自由に遊ばせたり、楽員に語りかけるように指揮する様子を間近で見て、新たな音楽の楽しみ方が分かったような気がする。

自分が主体的に音楽に関わり、楽しむ。もうこれに尽きる。音楽をただ聴くだけではなく、自分が指揮する勢いで音楽を奏でてみる。すると音楽は応えてくれる。そう確信した。

何はと

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モーツァルト『ジュピター』、ヤバい

仕事終わりに目を閉じて、40分ほどモーツァルトの交響曲41番を聴いた。久々に聴いたんだけど、これはヤバい。いや、ヤバい。やっぱり、ヤバい。特に第4楽章。

有名な逸話だが、このヤバさについて作曲家のリヒャルト・シュトラウスはこんなことを言っている。

私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天国にいるかの思いがした。

第4楽章はひたすら「ド〜レ〜ファ〜ミ」で畳みか

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ぼそっとひとりごと

僕はフルトヴェングラー指揮のブラームス交響曲第1番をこよなく好んで聴いているのだが、それを音楽通の方々に話すと「濃厚な音楽が好きですね〜」と返される。フルトヴェングラーもベートーヴェンを目指したブラームスもドイツ人であり、難解で深淵なドイツ哲学の系譜を継いでいる。これを受けて、高尚なドイツ文化に傾倒していた時期を思い出した。

あぁ、ショパンが好きですと言っておけばいいものを・・・

クラシック音楽が繋ぐ狭い絆

数ヶ月前からどハマりしているクラシック音楽。ただ厄介なことに、今時クラシックはサブカルとも言えるほど聴く人が少なく、聴きはすれど誰かと語り合うことは一切なかった。

そんな中、驚いたことに会社と同僚とお客さんにクラシックに造詣が深い方がいらっしゃって、ここぞとばかりに喋り倒した。同僚とは夜通し語り合ったし、お客さんとは共通の趣味を通して一気に距離を詰めることができた。
サブカル好き同士が強固な繋が

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ジェットコースター『エロイカ』

ベートーヴェン『エロイカ』の第一楽章は天上から地底までジェットコースターの勢いで連れ回してくれる。

第1主題は冒頭から6連続の不協和音に至るまで、終始高揚感に満ちている。特に、この不協和音には心を強く揺さぶる勢いがあり、僕の思う『エロイカ』の頂である。
しかし第2主題は一転、静けさの底を撫でるような感じがする。ただ撫でるだけではなく、一層一層静けさの膜を剥いでいくような。末にはほんの一瞬だけ、自

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ベートーヴェン『英雄』

ベートーヴェン『英雄』に出会って3ヶ月くらいか。約50分あるこの曲を聴くのに今までにどれだけの時間を割いてきたんだろう。ホメロスの『イリアス』の魅力は分からなかったが、死と栄誉の狭間を巡る戦士の勇ましさを掻き立てるのに、この力強い第一楽章ほどマッチする文学作品も珍しいのではないか。
これを聴かない限り1日が始まらないし、1日が終わらない。

ブラームスの交響曲

最近聴いている音楽は専らブラームスの交響曲1番と4番。どちらも鉛のように重い調子から徐々に明るさを取り入れながら、終いには曇天を切り抜けて煌々たる天へと導かれるような音楽だと思う。ベートーヴェン交響曲6番の、荒れ狂う嵐の後に捧ぐ神への感謝とどこか近しいものを感じる。

名曲解説ライブラリーのブラームスとベートーヴェンを比較して読むと面白いかも知れないなー。

(余談…今ディズニーランドへ向かいなが

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「悲」と「喜」を超越するモーツァルト

モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番』、この数日に何度聴き、何度泣きそうになり、何度愉快になったことか。泣きそうなのに愉快!?と思われるだろうけど、そういう曲だと思う。モーツァルトの音楽は悲と喜といった2面性を有しつつも超越しているとどこかで読んだが、こういう意味なのか。

第1楽章は愛おしい調子で始まり、第2楽章は骨にまで染み渡る心地よいアダージョ、第3楽章はそれを裏切るかのような愉快な軽快さで展

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もう歳だな…(早い)

最近、popミュージック(ポピュラーミュージック)を体が受け付けてくれなくなって、専らクラシック音楽を聴いてる。商業的な意味合いから世の中ではキャッチーな曲が流行るのだろうけど、最近のオジサンの耳はそれを拒絶しているみたいだ。

一時的な傾向かも知れないけれど、この機会にクラシック音楽にどっぷり浸ってもいいんじゃないかと。もう一生popミュージックに戻れないかも知れないし…笑

ここ数日はベートー

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