「悲」と「喜」を超越するモーツァルト
モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番』、この数日に何度聴き、何度泣きそうになり、何度愉快になったことか。泣きそうなのに愉快!?と思われるだろうけど、そういう曲だと思う。モーツァルトの音楽は悲と喜といった2面性を有しつつも超越しているとどこかで読んだが、こういう意味なのか。
第1楽章は愛おしい調子で始まり、第2楽章は骨にまで染み渡る心地よいアダージョ、第3楽章はそれを裏切るかのような愉快な軽快さで展開する。ただ不思議なことに、この「愉快な軽快さ」は決して「愛おしさ」を拭えはしない。喜の中にも悲があるだけでなく、それらが混合した超越した感情を掻き立てる。
僕はベーム指揮、マウリツィオ・ポリーニの演奏が好きだが、ダニール・ポリフォノフの自由で天上を歩くかのような演奏も好きだ。(↑タップしたら動画に飛べます)
ぜひお時間ある時に聴いてみてください!
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