5/13 音楽鑑賞記録
本日は2つの演奏会に足を運んだ。誘われない限り自分では絶対に行かないプログラムだったが、それ故にいつもとは違う新鮮な音楽体験であった。
①日本フィルハーモニー/カーチュン・ウォン指揮
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ミャスコフスキー 交響曲第21番
大曲をコンパクトに聴いたような感じ。マイナーな曲ながらも、数ある名曲に比肩するように感じたが、何がその差をつくっているのかという疑問が拭えない。音楽技法など細かい知識を持たない素人なので、「その差」について少し勉強してみたいと思った。
芥川也寸志 チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート
映画「犬神家の人々」やサスペンスドラマを思わせるようなモティーフが積み上げられ、爆発する。爆発が落ち着いたかと思えば、再びそのモティーフが立ち上がり、音楽はうねりを増していく。チェロの響きは逞しくも、そのうねりに不気味さを添える。
チェロ単体で和音を作れるのかという素人なりの発見と、チェンバロやマラカス、ムチをオケに入れるその奇抜さへの驚きがあった。
ヤナーチェク シンフォニエッタ
スラヴ風の音楽を予想していたが、そんなことは一切なかった。冒頭、堂々と轟く金管の響きに圧倒され、テンポのいい2楽章、3楽章に胸は高鳴る。4楽章で冒頭の旋律が回帰し、カタルシスを感じた。
NHK交響楽団/下野竜也指揮
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ラフマニノフ ヴォカリーズ、ラザロのよみがえり
ラフマニノフはピアノ協奏曲以外は何も聴いても微妙だと私の耳は感じるのだが、これもその一つになってしまった。ただ、彼は歌曲を書くのがうまくて、歌わせるように響かすことには長けているというのを読み、それを確かめること″は″できた。
グバイドゥーリナ オッフェルトリウム
うむ、わからん。無調音楽は嫌いではないのだが、この曲に関しては何を聴き取ればいいのか皆目見当がつかない。
この「わからなさ」は苛立ちを募らせ、曲の途中で退室したくなってしまったほどだ。ただ、この「わからなさ」との闘いは芸術鑑賞者として絶対に必要な態度である。日常を安定的に過ごすこと、幸せに過ごすことが至上命題であるにもかかわらず、弱さによってそうは滅多にならない我々人間は、嫌でもこの苦境と闘わねばならない。芸術はときにその訓練をさせてくれるのだ。
曲の終盤では調性が現れる。ときに官能的な旋律を聞かせ、この混沌とした「わからない」世界に救いをもたらす。ただ、その裏には闇を感じさせる金管が鳴る。安らぎを感じていても決して安住することのできないこの世界を表しているのか。
ドヴォルザーク 交響曲第7番
無調音楽の後に聴いただけに、始まった途端に心の中で「これこれ!」と叫んでしまった。やはり「わかりやすい」ものは人を安心させてしまう。
スラヴ音楽のスケルツォは心踊るし、昇天すらしてしまう。ドヴォルザークは8,9番ばかり演奏されるが、7番ももう少し演奏頻度が上がってもいい曲だと思うけどなぁ。
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