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何周も何周もして、始まりに戻ってきた
初心。一番初めの新鮮な感情。
今後はどうしていきたいのか。
どんな人生を求めるか。
本来の自分の持ち味を。
楽しく笑って生きていたあの時を。
これまで色々見てきたけれど、やっぱり、楽しい気分でいた方がいいに決まってるよな、と思い至りました。
ネガティブな空気は伝染するし、嫌な気分も伝わるもので。
無理にでも明るく振る舞うことが素晴らしいとは全く思わないけれども、前を向いて生きた方が楽しいと思う。
確かに僕はこれまで内面の暗黒面をつらつらと書いたものは量産してきてしまった。
だけど、そこに一定の需要(アクセス数やスキ)があるのはわかっているから、それはそれで取っておきます。
ダラダラとつまらない、しみったれた内面を書き連ねることが味だと勘違いしていた頃もあったし、そしてそれは今後もたまに発動してしまうものだと思うけれど、でもある程度書いて、吐き出してきたからこの境地に辿り着けたのだなと。
膿を全て出し切るように、内に溜まっていたものを言葉としてぶつけて、もうこれ以上何も思うことはないというところまで来た、次へ進む準備が整ったような。
難しいことを考えること、落ち込んで悩むことは、特別じゃないし偉くもない
ある時期、哲学にどハマりしていました。
この「philosofy」という名前、「philosophy = 哲学」をもじっているくらいには。
今でもある程度は好きです。
しかし、純粋に哲学にハマっていたというより、「難しいことを考えている自分」に酔っていただけなのかもしれないなと。
自分の頭の良さをひけらかしたいだけなのか、本当にそれが好きで、真剣に取り組みたいと思っているのか。
難しいことを考えることはすごくないし、偉くともなんともないぜ、過去の俺よ。
自分はできると錯覚しないほうがいいし、下手に考えるなら休んだ方がよっぽどためになる。
人生の意味について悩むことも偉くもなんともないのだから、さっさと調べて解決した方が早い。
そのために僕は、悩んだ記録として音楽と文章を残しておくわけです。
全ては向き不向き。
自分は自分だし、人は人。
繊細さと豪快さを抱えながら生きる
安定したと思ったらすぐにダメになり、ダメになったらずっとそれが続く。
そんな暗い暗い長いトンネルを、ついに抜けたということなのかもしれないです。
誰だって嫌なことはあるし、嬉しいこともある。
ただそれだけの話で。
「自分はネガティブだ、明るくないといけない」とか、「メンタルが弱くてダメだ」とか、「繊細すぎる」とか、そんなことは何も気にせずに、ただ生きていれば良いのだと思いました。
今起きていることそのものをただありのままに受け止めれば良いというか。
いつまでも人間臭く生きていたい。
確かに人生は運が大きく影響しているのは紛れも無い事実だし、変えられないことはある。
でもだからといって絶望する必要は全く無いし、前を向くという選択肢を消去する意味もない。
与えられた時間、才能、環境。いつ世の理に気づくことができるのか。
大事なことだけど、結局これらが示す先にあるのは、「いかに楽しく自分らしく生きるか」ということに集約されているというか。
子どもが何も考えず、ただ今この瞬間を楽しみながら生きるように。
歳を重ねるごとに無駄に大きくなった頭や、つまらない理性、虚栄心。
そういったものの存在を否定するわけではないけど、追い求めすぎるのではなく、そのバランスをうまい具合に保ち、いかに人生を楽しく生きるのか。
こじらせるな
一度何かをネチネチと思い悩むようになると、どんどんそこにハマっていくし、そこに囚われて柔軟な思考ができなくなるし、するとネガティブなループが加速していきます。
類は友を呼ぶというのはまさにそうであると感じていて、楽しい気分でいれば楽しい人が集まってくるし、逆も然り。
その時悩んでいることはその場で解消して、なるべく溜めないようにした方が楽です。
最近、人間は見た目が似ているから良くないのだと思いました。
だから比較してしまうし、無意味なことで悩んでしまう。
ライオンとキリンは全然見た目が違うから、「なんで俺は首が長くないんだろう」「なんで自分はふさふさの鬣がないんだ」とか、そんなことで悩みはしないでしょう。
止まない雨は、いらない
つらい心を代弁するような雨。
雨が降る夜に静かに空を見上げる。
土砂降りの午後のドライブ。
どれも大切な時間だし、好きなこと。
だけどそれは、太陽は必ず昇ることがわかっているから好きなのだろうし、永遠の暗黒を望む人はどこにもいないだろうと思う。
自作曲でも、止まない雨とか、底なしの闇とか、希死念慮とか、そんなものはたくさん表現してきた。
でも、やっぱり太陽は出ている方が嬉しい。
そもそも表現するということは、生きることへの渇望だと思うから。
この記事のアイキャッチは、2019年12月5日に撮ったものでした。
あの頃の、アホだったけれども楽しかった日々。
そんな気持ちを少し思い出した気がします。
隣の芝生はいつだって青いし、酸っぱい葡萄は溢れるほど実っている。
悲劇のヒーローにならないように気をつけながら、生きていきたい。
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