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VUCA時代のキャリアの作り方

自身のキャリアについて、自らが主体となって考え、計画し、実現していくことを「キャリアデザイン」といいます。

自分の経験やスキル、性格、特性、ライフスタイル、ライフイベントなどを考慮し、実際の労働市場の状況なども踏まえて、仕事を通じて実現したい将来像やそれに近づくプロセスを明確にしていくのがキャリアデザインです。

でも、この変化の激しい予測不可能なVUCAの時代に、完璧なキャリアデザインをするって難しいですよね。変化に柔軟に対応するために、あえてキャリアをデザインしない「キャリアドリフト」という考え方があるのをご存知でしょうか。(ドリフト=「漂流」)

キャリアドリフトとは、自分のキャリアについて事前に事細かに決めることはせずに大きな方向性だけを決めておき、偶然の出会いや予期せぬ出来事を柔軟に受け止めながら、あえて流れに身を任せるようにキャリアを積んでいく考え方です。
日本のキャリア研究の第一人者である神戸大学の金井教授は以下のようにお話しされています。

「何十年にも及ぶキャリアの全体をデザインしきれるはずがありません。時には流された方がいい、いやむしろ流されるべきです。そうしてこそ思わぬ掘り出し物や、新たなチャンスに巡り合って大きく飛躍できる。流されるというと聞こえが悪いですが、ポジティブに捉えれば、偶然も『味方につけながら』、流れの勢いに乗るという意味合いにもとれます。節目でキャリアをデザインしたら、しばらく流れに乗る。この繰り返しが、よいキャリアを築くことにつながるのだと思います」

https://www.shimadzu.co.jp/boomerang/30/06.html

キャリアデザインとキャリアドリフトは相反する考え方ではありません。
人生の節目(卒業、結婚、出産など)ではしっかりとキャリアデザインを考え、逆に節目でない時期には、予期しなかった偶然の出来事や出会いを柔軟に受け止め、あえて「流されてみる」キャリアドリフトとの合わせ技でキャリアを作っていくのが今の時代にはフィットしていると言えます。

キャリアドリフトでキャリアを作ってきた私の例

私はこれまでに4回の転職を経験しましたが、まさに「キャリアドリフト」でキャリア構築をしてきています。

皆と違う道を選びたいだけの就職氷河期の就活生

1社目の企業は設立3年目のベンチャー企業。就職氷河期真っただ中の私が、縁故入社の話を避けて、自力でなんとか手にした内定でした。大手商社出身の31歳の社長が立ち上げた会社で、何かやりたいけど、何かは見つかっておらず、まずは資金稼ぎとばかりに、当時黎明期でイケイケだった携帯電話の卸売業と、中古車輸出業をメイン事業としていました。
言葉を選ばずに言えば目的が「金稼ぎ」の会社だったので、時には徹夜で働かされるような激務に心がどんどん疲弊していきます。ちゃんと組織化されている会社で社会人生活を仕切り直したいと思っていた時に、私が学生時代に中国語を勉強していたことを覚えていてくれた知人から地元の雑貨メーカーの社長さんを紹介されて転職する運びとなりました。

中国語を勉強していたことを覚えていてくれた知人が紹介してくれた2社目

その会社は、社員数50人くらいのTHE中小企業。中国に自社工場もあり、学生時代に勉強していた中国語も活かせるかなというのが入社の決め手。
営業事務からスタートして営業も経験し、メーカー機能と商社機能を持っている企業だったので、社会の仕組みをしっかり学ばせてもらえました。ただ、段々と仕事を理解してきた上で上司や先輩社員を見た時に、自分の成長の天井を感じてしまうことが増えてきました。この環境で長くいても、自分はここ止まりなのかもしれないとモヤモヤしていた時に、高校時代の親友から外資系のSPAアパレル企業で店舗のマネージャーの仕事を紹介されたのが2回目の転職です。面接をしてくれた6歳年上の女性管理職2名のカッコよさに、私もこんな風にビジネスを語れるようになりたい!と、自分の目指す姿を見つけられた喜びでいっぱいでした。

かっこいいロールモデルのいる外資系企業を親友が紹介してくれた

3年間、毎日忙しく必死で働いていましたが、外資系なので繁忙期明けのバケーション休暇は最長で3週間も取らせてもらったり、同年代の社員が多く仕事帰りには街で楽しく飲んでダーツなんてしたり、とても充実した日々を過ごしていました。
ある時、自分より年下の、店舗のバイトからスタートしたマネージャー仲間が店長に昇格しました。私自身はパートさんやアルバイトの学生たちのマネジメントに疲弊してしまい、店長のポジションを目指す気持ちは失っていました。なのに、仲間の昇進を素直に喜べず、心にモヤモヤが広がっていきました。最初は彼への妬みかと思いましたが、自分と向き合って悶々と考えていて気付いたのは、目指すものが無く、ただ漫然と仕事をしている自分にショックを受けているという事実でした。
時を同じくして、会社の方向性が大きく変わり、これまでマネジメントに専念できていた環境から、社員も販売業務のウエイトを上げていく意向となり、完全に会社から気持ちが離れてしまいました。
そんなタイミングで、私より先に会社を辞めていた元同僚が人材紹介会社という聞いたこともないジャンルの会社に転職し、その会社のバックオフィス業務をやらないかと声をかけてもらったのが3度目の転職となりました。

元同僚から誘われた4社目では、会社内でもキャリアドリフト

バックオフィス担当として入社し、翌年にはマネージャーに昇格して、充実した日々を過ごしていましたが、2008年11月のリーマンショックを境に会社経営は危機的な状況となりました。私の在籍していた名古屋支店も80名以上いた社員が25名程度に減り、バックオフィス人員も減らすこととなりました。その直後に私は結婚、半年後には出産をして、育休復帰から半年後には再び二人目の産育休に入りました。
二度目の育休復帰のタイミングで、新規部署の立ち上げに伴いコンサルタントにコンバートされることとなり、意図せぬ形で人材紹介コンサルタントとしてのキャリアがスタートしました。

何気なく手にした1冊の本が人生の転機に繋がる

それから7年が経過し、大手の恵まれた環境と仕組みの中で仕事をしているうちに、少しずつそれに窮屈さを感じる機会が増えてきました。もやもやした思いを抱え始めた頃に、この本に出会って、雷に打たれたような衝撃を受けました。

コロナ禍でリモートワークを活用できるようになり、その働き方がとても心地よかったこと。この数年、正社員以外の働き方を選ぶ方が増えてきたこと。リモートワークで個の力を高めることの重要性に自らが気付けたこと。
自分が体感していたことと、この本で書かれていることがあまりにもリンクしていました。また、そこには以前から興味があった「コーチング」のニーズがこれからは高まってくると書かれており、背中を押されるように、私はコーチングスクールの門を叩きました。
コーチングスクールでの収穫は、その手法を学べたことはもちろんですが、何よりもセッション練習で自身がコーチングを受けるクライアント役を務めるうちに、自分と向き合うことができたことでした。何度もセッションをする中で、私は今の環境に留まりたくない、もっと「個の力を強くしていきたい」という思いが日に日に強くなっていることに気付きました。

人との繋がりが、新しい出会いを作ってくれた

そんな折、仲良くしてもらっているクライアント人事の方から、「下司さんに合いそうな企業があるから話を聞いてみませんか?」と声をかけていただきました。
名古屋在住の私が、東京のベンチャー企業の案件で、初めての「カジュアル面談」なるものを受けて、オンラインで選考が進んでいくというのは、とても新鮮でした。
それを機に、いくつかの企業の話を聞いてみようと思い、縁があってこのペルソナに入社する運びとなりました。

セレンディピティを引き寄せる

こんな風に、私は社会人になりたての頃には想像もしなかった仕事に就いており、そしてそれを天職だと感じています。まさに、「キャリアドリフト」で手にしたキャリアです。

私は幸運にも、自分が自分のあり方に疑問を抱いたタイミングでセレンディピティ(Serendipity=「偶然の産物」「幸運な偶然を手に入れる力」)を引き寄せてきました。
セレンディピティに大切なのは、広くアンテナを張り巡らせ、行動する準備をしておくこと。キャリアで言えば、かかりつけのエージェントを作って、常に情報が入ってくるようにしておくことはとても重要です。

私たちペルソナが、あなたにセレンディピティをお届けできるかもしれません!

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