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エッセイらしきものばかり

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何がエッセイなのかよく分かっていない人が書いたエッセイらしきものです。
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#名前

新たな姓名判断の確立現場

新たな姓名判断の確立現場

 占いは当たるとか外れるとかその両方とか、いろいろ言われていますけれども本当のところはどうなんでしょう。そう思ってはいても、何も占えない私には予言ひとつできません。ただ、調査ができれば、少なくとも占いの精度が何となく判断できるのではないかと考えたんです。

 そこで、歴史に名を刻んでいる偉人とも呼ばれる方々のプロフィールを占いサイトへ片っ端からぶち込んでみることにしたんです。歴史上の人物は人生が完

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名前が読みにくいのは年齢や時代のせいではない

名前が読みにくいのは年齢や時代のせいではない

 大きな書店で何かいい本はないかフラフラしていた時のことです。女性がふたり、店内のポスターを眺めていました。どうやら親子のようで、白髪交じりのお母様は娘さんに何やら質問を投げかけていました。

 ポスターに書かれていたのは、どうやらその書店でおこなわれるサイン会の案内のようです。とある作家の著書出版記念で行われるそのサイン会の開催は1ケ月後、参加者は応募者の中から抽選で決まるシステムでございました

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名前にこもる強烈なイメージ

名前にこもる強烈なイメージ

 世に名前がある限り、名付けるという行為が存在します。そして、いろんな人がいろんなものに名付けてゆく。そうなると、どこかの段階で名前はよく見るタイプとなかなか見ないタイプに分かれてくるでしょう。つまり、同じ名前でも「これは普通」とか「あれは特殊」とか、異なる評価をされるようになっていく。そして、特殊な名前は往々にして注目されるようになります。

 山手線の駅名はその典型でしょう。「東京」とか「新宿

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今は「すげえ」と言われるのが楽な世の中

今は「すげえ」と言われるのが楽な世の中

 生きてて思うのは、いかに自分は限られたことしかできない人間か、ということです。家を建てたくてもまず材料を集める段階で挫折しそうですし、早く遠くへ行きたいからといっていきなり飛行機を運転するわけにもいかない。重たい怪我や病気には呆れるほど無力ですし、食べ物の調達だってひとりではなかなか困難です。無人島にひとり放り込まれたら、日常生活だって危ういでしょう。

 もちろん、怪我や病気の知識がある医者だ

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おびただしい曖昧な名前

おびただしい曖昧な名前

 特に興味があって調べているわけでもないのに名前をチラホラ見るような人が、本当にブレイクしているんだろうなと思い込んでいるんです。ヨシタケシンスケさんもそのひとりだと思います。

 ヨシタケシンスケさんはイラストレーターであり、絵本作家としても知られています。私はイラストにも絵本にも詳しくなく、興味もそこまで持っていないんですけれども、ぼんやり生活をしていると、チラッチラッとヨシタケさんの姿なりイ

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なぜかそれだけ覚えられない

なぜかそれだけ覚えられない

 人の名前を覚えるのは苦ではありませんし、何なら得意だと自負していたんです。職場でも、別部署の話したことない人の顔と名前まで完璧に記憶していたんです。

 しかし、私の記憶機能に思わぬ穴があったんです。きっかけは珍しく人の名前を言い間違えたからです。普通に失礼な話なんですが、相手は気にしていない様子でした。「そんなこともあるよ」と。

 以来、その言い間違えた相手を筆頭に、名前を言い間違えそうにな

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珍事件の裏でかく冷や汗

珍事件の裏でかく冷や汗

 一歩間違えたら自分だったかもしれない。そう思った経験はございませんか。何らかの事故や事件とニアミスし、背筋に寒いものを感じる人もいらっしゃるでしょう。鬱屈した日々を送った経験がある方ならば、何かのきっかけで自分がやけになって犯罪に手を染めていたかもしれないと、あとになって気づくことだってあるかもしれません。でも、どういうわけか自分ではなかった。どうして自分は無事で済んだのか、考えてもなかなか分か

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名前の魔力に追い詰められる

名前の魔力に追い詰められる

 「言葉には力がある」と言い切られてしまうと、「そこまで大層なもんじゃないっすよ」と照れながら否定したくなってしまいますが、「名前には魔力がある」という主張にはそこそこ同意しています。

 自分が呼ばれたわけではなくとも、自分と同じ名前を呼ばれると振り向いてしまう。当たり前と言えば当たり前なんですが、人を振り向かせる魔法と思えなくもない。名前なんて割とみんな持っているものですし、持とうと思えばいく

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自分の名前が何となくしっくりこない人へ

自分の名前が何となくしっくりこない人へ

 子供の頃、本名の苗字が当時のプロ野球監督と同じだったため、野球好きの少年から時々いじられていました。ダジャレとしてもそこそこ使い勝手がよかったため、ダジャレいじりもされていました。

 下の名前は下の名前で、ちょっと変わってるんだけど物凄く変というわけでもない、微妙な位置にある感じでした。こちらもこちらでダジャレとして再利用しやすい素材でできていたため、苗字と合わせてダジャレいじりされたこともあ

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