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名前が読みにくいのは年齢や時代のせいではない

 大きな書店で何かいい本はないかフラフラしていた時のことです。女性がふたり、店内のポスターを眺めていました。どうやら親子のようで、白髪交じりのお母様は娘さんに何やら質問を投げかけていました。

 ポスターに書かれていたのは、どうやらその書店でおこなわれるサイン会の案内のようです。とある作家の著書出版記念で行われるそのサイン会の開催は1ケ月後、参加者は応募者の中から抽選で決まるシステムでございました。抽選になっていることからも、その作家の人気がうかがえます。

 しかし、お母様の興味はサイン会ではありませんでした。その作家の名前は何と読むのか、という1点のみでした。私も横目でその作家の名前を見て納得しました。漢字表記ではあるんですが、読み方が非常に独特なんです。初見ではまず読めないと言っていい。案の定、お母様は作家の名前を読めず、娘さんに聞いていたわけです。

 娘さんはご存じだったようで、お母様に正解を伝えました。すると、お母様はまるで眼前に絶景が広がっているかのような溜息をついてから、こう言いました。「とてもじゃないけど、年寄りには読めないわ」。

 いくら人気作家とは言え、読みづらい名前なのは事実です。何もしてなかったら私も他人ながら無言で同意してその場を立ち去ったに違いない。ですが、noteのアカウント名をご覧になればお分かりの通り、私は誰にも読めないと申しますか、間違った読み方をしないと読めない名前でやっているわけです。その作家と知名度は全く違いますが、読みづらい名前の派閥にいる私まで何だか申し訳ない気持ちになった次第です。

 ですが、よく考えるとおかしな話です。確かに、私もその人気作家もお母様よりは年下ではございますけれども、どの時代だって基本的には読みやすい名前のほうが多いはずなんです。名前が読みづらかったら世間に流通しにくいでしょうし、仮に読みづらい名前だったとしても使われていくうちにみんな読めるようになる、つまり読みやすい名前へと変化していくはずなんです。

 そして、読みづらい名前だって時代を問わず、世の中にあり続けたと思うんです。例えば、神様のお名前です。日本神話に出てくる神様は、昔から難解な読み方をすると常々思っていたんです。試しに、ウィキペディアの「日本の神の一覧」から日本神話由来の神様を適当に拾ってみます。

飽咋之宇斯能神
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
保食神
賀茂建角身命
志那都比古神
建比良鳥命
泣沢女神
波自加弥神
登美夜毘売
八河江比売神
和加布都努志能命

 どれも日本古来より伝わる神様でございますけれども、初見で全て読める人はいらっしゃらないんじゃないでしょうか。というか、全部読める日本人が何パーセントいるのかという話です。日本古来より伝わっているはずなのにどういうことですか。ちゃんとみんな伝えてきてるんですか。

 もちろん、過去には日本神話が全盛の時代というのもきっとあったでしょう。でも、いくら全盛の時代だって、いくら神様だって、みんながみんな、名前を真面目に覚えたかと言ったらそうではないと思います。おいしい食べ物ばかり記憶する人、好きな人のプロフィールばかり覚える人、下ネタのスペシャリストだっていたに違いない。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命という字が目の前にバンと現れて、「あ、神様のお名前だ」なんてピンと来る人は昔だって限られていたに違いない。

 とりあえず、そう考えることによって私は申し訳ない気持ちを抑え込んだ次第です。お陰様で今日も元気です。

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