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今は「すげえ」と言われるのが楽な世の中

 生きてて思うのは、いかに自分は限られたことしかできない人間か、ということです。家を建てたくてもまず材料を集める段階で挫折しそうですし、早く遠くへ行きたいからといっていきなり飛行機を運転するわけにもいかない。重たい怪我や病気には呆れるほど無力ですし、食べ物の調達だってひとりではなかなか困難です。無人島にひとり放り込まれたら、日常生活だって危ういでしょう。

 もちろん、怪我や病気の知識がある医者だって、自分ひとりの力で家は建てられないでしょうし、大工はまず飛行機を運転できない。パイロットは治療も手術もなかなか難しいでしょう。なんか三すくみみたいになってしまいましたが、全然違います。

 世の中は専門化が進んでいるんだなあと痛感します。各分野にはその道のプロがいて、それぞれ役割を担っている。そして、誰かの依頼を受けつつ、自身もまた別ジャンルの専門家に依頼をする。持ちつ持たれつ日々を過ごしているわけです。特に今は過去最大級なんじゃないかというくらい様々な道のプロが存在しています。あの人もこの人も、もちろんあなたもまた、私より何かが絶対に詳しい。お仕事をされているならば、そのお仕事に関してはそこらの人よりはよく知っていると思うんです。そういう意味において、皆さん何らかの専門家であっても不思議ではないんです。何なら、別に仕事でなくてもいいんです。没頭している趣味とか、日常的にやっていることとか、そういうことに詳しくなる場合も当然あるでしょう。

 専門化が進んでいるから、ひとりの人間ではやれることが本当に限られる。だから誰かに「すげえ」と言われるのが簡単な世界だと私は勝手に思っています。なぜか。それは自分の専門が他人にとってなかなか手出しできない領域である可能性が高いからです。

 例えば、noteでも公開していますけれども、私は不思議な名前の高校を集めて一覧にしています。

 私は基本、趣味はひとりでどっぷりつかるタイプで、たまにこうやってひっそりと世間に公開しているのがせいぜいです。誰かに「私はこういう趣味を持ってるんです」と言うことはまずない。

 ただ、その昔、みんなと飲んでいた時、なぜか「これをやってるのは俺だけだろ」という行為をひとりずつ言っていく流れになりまして、何を言うか困った私はこのよく分からない高校趣味を披露してしまったんです。もちろん、最初は皆さん意味が分からずポカンとしていたんですが、私が皆さんの出身地を聞き、そこから最も近い「不思議な名前の高校」を、どこがどう不思議かもセットで言っていった辺りから空気が変わってきました。皆さん食い入るように私の話を聞くようになったんです。「どうして調べるに至ったのか」などの質問が飛び出すようになり、最終的には「これはすげえ」と皆さんを感心させるまでになりました。

 でも、ちょっと待ってほしいんです。日本全国の不思議な名前の高校を言えたところで、大して役に立たないんです。家が建つわけでなければ、病気が治るわけでもない。生業になりようがないんです。当時も似たようなニュアンスのことは言いました。すると、とりわけ感心していた人が言ったんです。「いや、正直いろいろ聞いた今でも何だかよく分からないけど、すげえってことは分かる」。

 自分が仕事やら趣味やらで毎日のようにやっているものは、自分から見ればただの「当たり前」であり、大したことないものに感じるかもしれません。でも、専門外の人間からして見たら「何それ、すげえ」となることが往々にしてございます。いや本当に、「すげえ」と言われるようなことは石ころみたいにそこら中に転がっていると思います。何しろ不思議な名前の高校を言っただけで感心される世の中なんですから。

 この世の中は、自分ひとりでは限られたことしかできないのは間違いありません。でも、それと相反するかのような話ですけれども、誰かに「すげえ」と言われたいなら、こんなに楽な世界はないと思います。

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