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「共生」は「格差」に鈍感な件(2)行政の縦割りが国益を損する

▼前号では、〈移民は、よりよい就労機会を求めて国境を超える存在であり、その能動性を認めず管理しようとする政策は往々にして失敗する〉という当たり前の現実を確かめた。

その続き。日本政府はとても的外れなことをやり続けてきたことに触れる。

「ジャーナリズム」の2019年5月号に載った、樋口直人氏の論考から。適宜改行。本文傍点は【】。

▼日本政府は、結果的に、〈移民の賃金は居住年数に比例して上がっていくという移民経済学の知見〉に反する政策を行なってきた。

その最たる例が南米系移民の人たちである。

ここから先は、知らない人にとっては、ほんとにまったく知らない事実が並ぶことだろう。

▼日本政府は、彼らが〈低賃金の仕事から始めることが多いが、徐々に言葉や仕事を覚えて待遇を改善させていく〉という流れを作ることを放棄してきた。

原因の一つは〈日本語能力〉、もう一つは〈つける仕事が求職ネットワークに大きく影響される現実〉である。結果的に、〈2008年のリーマン・ショックでは南米系移民の半数以上が職を失い、大量帰国を余儀なくされたのである。

おそらく、反射的にSNSに書き込むことばかりしている人のなかには、「そんなの、自己責任だろう」と思う人もいることだろう。

▼〈日本政府は「外国人材」という言葉を好んで用いる一方で、人材育成に必要な投資を避けてきた。日系人は「親族訪問」であり、技能実習は期間限定の実地研修だから、労働者としての育成に費用をかける対象ではないというわけだ。

しかし、特定技能により受け入れるのは、長期居住が可能な労働者であってこれまでの理屈は通用しない。

 そもそも、長期的な在留の道を開くのは、技能実習のような短期・一回限りの人材使い捨てでは必要な労働力を確保できないからである。

その意味で、移民初期のうちに投資するほうが、長期的に人材を活用するにあたって理にかなっている。

これは、移民が低賃金労働に固定化されることで生じる社会的な分断を避けるうえでも、不可欠のこととなろう。(中略)

 ところが、2018年末の閣議決定案をみる限り、日本政府は他の受け入れ国から学ぶこともなく、自らの責任を放棄する政策を継続するようである。

まず、閣議決定では「【生活のための】日本語習得の支援」が掲げられている。

これは、【仕事のための】日本語習得ではなく、週1回2時間程度の学習しか想定していない。実際、「日本語教育の充実」の具体策として挙げられているのは、日本語教室空白地域の解消支援であり、教育内容の量的拡充や仕事で使える水準の日本語習得など、政策の埒外(らちがい)にある。〉

▼ここらへんで、読者のなかにも、樋口氏がかなり怒っていることに気づく人がいるだろうと思う。

▼じつは日本政府は、リーマン・ショックの後、「日系人就労準備研修」(現在は外国人就労・定着支援研修)という日本語教育をおこなっている。

この制度をめぐる樋口氏の論考が鋭い。少し複雑だが、丁寧に読めば、役所の人は頭がいいのか悪いのかわからない、ということがよくわかる。

〈……しかし、この研修(引用者注=日系人就労準備研修のこと)は無償で提供される一方で、受講期間中の生活を保障するための手当は支給されず、求職者にとって使いにくい制度になっている。

それゆえ、すべてのコースを受講して仕事で使える水準の日本語を身につけることはかならず、中途半端な効果しか期待できない。

それに対して、求職者支援訓練という制度を利用すれば、最大6カ月間毎月10万円の手当を受けつつ職業訓練を受けることができる。

 ところが、両者を統合して求職者支援訓練に日本語学習のプログラムを用意すればよいではないか、という常識的な判断は縦割り行政の壁に阻まれる。

外国人就労・定着支援研修は厚生労働省職業安定局、求職者支援制度は職業能力開発局と管轄する部局が異なる。

 職業能力開発局によれば、特定の職業に直接結びつく内容でなければ職業訓練とは呼ばず、それゆえ日本語学習は認められないのだという。職業訓練は日本人のための制度としか考えられておらず、移民に固有のニーズを軽視するから、日本語学習というもっとも効果的な職業訓練を受けられなくなってしまう。〉

▼一言でいえば、日本の役所である厚労省は、この「国のかたち」の大転換期に、国益を大きく損(そこ)ねているわけだ。結果的に。(つづく)

(2019年6月20日)

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