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こえろ、ミジンコ(全18話)

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私の好きな人はミジンコに惚れこむこと20年、未だに女に見向きもしません。 彼は今、ミジンコの遺伝子操作に夢中です。 ミジンコ研究室を舞台にめぐる、大学院生のラブストーリー
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#小説

#1 こえろ、ミジンコ

#1 こえろ、ミジンコ

ミジンコ。小さな甲殻類。
体は丸く、いつもバンザイしていて、目は真ん中に一つ。

平均寿命1か月。

通常メスしか生まれない。
メスだけでも卵を産み、命を育てる。

私の好きな人はそんなミジンコに惚れこむこと20年、未だに女に見向きもしません。

彼は今、ミジンコの遺伝子操作に夢中です。

ああ、私もミジンコになりたい。

・・・

森里環(もりさと たまき)は、壁沿いにズラリと並ぶボトルの一つに

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#2 こえろ、ミジンコ

#2 こえろ、ミジンコ

駅前にある6階建てのビルの4階、エスニック料理店に、森里環と猪狩優奈の姿はあった。

大学を出た後、一旦アパートに戻り例の透け透けゆるゆるロンTから白と紺のボーダーカットソーに着替えた環だったが、駅に現れた優奈を見て、もうちょっとオシャレしてくるんだった、と後悔する。

優奈は、白いニットのトップスにベージュのパンツを合わせ、首元にはキラリと控えめな小粒ダイヤを光らせていた。

長く伸ばされた髪も

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#3 こえろ、ミジンコ

#3 こえろ、ミジンコ

あー、だめだ。全然だめだ。

午後5時の奥田研究室。環の脳は、3時にクッキーを食べたあたりから回転が鈍くなっていた。画面上、ズラズラと並ぶアルファベットが、途中でパッタリ止まっている。

ただでさえ論文は苦手なのに、英語だなんて語彙力の乏しさから稚拙にもほどがある。

理仁がメインで企画したプロジェクトではあるが、補助的な役割で5人体制でチームを組んで進めてきた。主役である理仁はキーボードを打つ手

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#4 こえろ、ミジンコ

#4 こえろ、ミジンコ

学祭の日の朝は気持ちいいほどに晴れ渡っていた。

環は11時に理仁の部屋に向かう。昨日も来た2階建てのアパートの1階。103という部屋番号を念のため確認しインターホンを鳴らすと、すぐに中から雑な「はい!」が聞こえてきた。

「きたよー」

環も返すと、ガチャッとドアが開く。

そこにいた理仁は、首元がダルダルに伸びきったえんじ色のTシャツに、ダサさが隠し切れないグレーのスウェットという部屋着のまま

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#5 こえろ、ミジンコ

#5 こえろ、ミジンコ

構内に戻ると、壁一面にチラシが貼られ、「受付」と貼られた椅子が廊下を狭め、カラフルなアフロヘアした呼び込みの学生がゲラゲラ笑いながら練り歩き、ただでさえ天井が低く薄暗い空間は一層窮屈なものに感じられた。

しかしそのなかで凛と風格を保つ一枚のポスターに二人の目は止まった。ミスコン出場者のプロフィールポスターである。

そこに並ぶ一人の顔に、二人はハッと顔を見合わせる。斜め横の角度から挑発するように

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#6 こえろ、ミジンコ

#6 こえろ、ミジンコ

週が明けると、大学は一気に学祭の興奮をかき消すように地味な日常に姿を変えた。とくに研究棟は何一つ手が加えられていなかったから、金曜夜9時半から何も変わらない佇まいでいた。

環の論文もそのままだった。土曜に「家帰って昨日の続きやる」と声高々に理仁に宣言したものの、家のネット環境からはアクセスできないサーバー上に理仁の論文はあり、常套手段のコピペができないのでは環の論文なんぞ微塵も進まないのがオチだ

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#7 こえろ、ミジンコ

#7 こえろ、ミジンコ

月曜日になった。そう、土曜日の幻想ナイトリアム明けの奥田研究室である。

それぞれがミジンコの様子をチェックし、メダカに餌をあげ、パソコンの電源を入れ、今日という一日のスタートを切り始めた頃、院生の全注目を浴びて理仁が登場した。

「おはようございます」

そう言う顔はいつもの調子となんら変わりなく、その表情からはデートの結果が伺えない。

李さんがチラリと環に視線を投げ、ちゃんとCheckしてみ

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#8 こえろ、ミジンコ

#8 こえろ、ミジンコ

足元の間接照明だけで照らされた暗い館内。ごつごつとした岩のような壁が二人を囲む。そう、ここは深海水族館。

「やっぱりさ、体が透明のものに惹かれるよね」

目の前を通過した透明の生き物を見て環は言う。クラゲ?いやこれはクラゲではない。

「ああ、サルパ?」
「知ってるの?サルパ」
「知らないの?サルパ。海のプランクトンを食べつくすホヤの仲間」
「何でも知ってるね」
「サルパは昔から知ってたよ」

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#9 こえろ、ミジンコ

#9 こえろ、ミジンコ

「Dr.Daphnia is mad about JUN-MISS(ミジンコ博士は準ミスに夢中よ)」

李さんが席に着くなりそう言った。

事の発端はこうだ。

ぼちぼちお昼にするか、研究室にそんな気の抜けた空気が流れ始める12時前。環は少しばかりパソコン周りを整理し、席を離れる前に念のためデータを上書き保存、時計で時間を確認しつつちらりと隣の理仁に視線を投げた。

理仁はイヤホンで一体何の音楽を

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#10 こえろ、ミジンコ

#10 こえろ、ミジンコ

今日も環の目の前にはひたすら英文が並ぶ。時間は夕方5時を回った。そう、環は3時のおやつを過ぎると集中力が落ち生産性が一段と低下する。それに本人が気付いているのかいないのか、さっきから何度あくびをしたことだろう。

告白から2日経った日の夕方。5時とはいえ、とっくの昔に陽は落ち外はすっかり夜だと言わんばかりの表情をしている。いつの間にか親切な誰かが黒いカーテンを閉めてくれていた。

まだまだ論文の終

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#11 こえろ、ミジンコ

#11 こえろ、ミジンコ

カウンター席と8つのテーブル席からなるイタリアンダイニングバー。薄暗い店内とは対照的に実に賑やかだ。足の届かない華奢なハイチェアに浅く腰掛け、あーでもない、こーでもないと話に花を咲かせる。

本日もやはり優奈は隅々キマっていた。質のいいトレンチコートに明るいグレーのカシミアのストールを羽織って現れた彼女を見て、環は自分の安くて軽くてそして隙間風吹き込む寒いダウンを後悔した。

相手は優良企業の研究

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#12 こえろ、ミジンコ

#12 こえろ、ミジンコ

紅葉もそろそろ終わる頃、絶景を独り占めしながら環は深い山奥にいた。

独り占めというのは半ば嘘で、研究室の水質汚濁調査のフィールドワークで湖に来ていたのである。

主体となるのは2個下のM1の子たちで、補助、管理、保護者、カメラマン諸々の役割を与えられD1の理仁と環は連れ出された。教授からの「論文ばっかりで疲れただろう」という心優しい選任である。

理仁と環は2人で貴重品係という立派な大役をこなし

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#13 こえろ、ミジンコ

#13 こえろ、ミジンコ

覆水盆に返らず。一度起こしてしまった失敗は取り返しがつかない。可愛さ余って憎さ百倍。日ごろから可愛いと思っていた人に裏切られ一度憎しみの感情を抱いてしまうと、可愛いという感情の何倍もの強さになる。喧嘩両成敗。喧嘩した人は両方悪い。喉元過ぎれば熱さを忘れる。辛いことも、苦しいことも、過ぎ去ってしまえば忘れてしまう。

過ちては改むるにはばかることなかれ。過ちを起こしてしまったと気付いたら直ちに改める

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#14 こえろ、ミジンコ

#14 こえろ、ミジンコ

街はもうすっかりクリスマス一色。青白いLEDの電飾を付けたクリスマスツリーが多くの人の目を惹きつける中、環はそれに目もくれずツカツカと前を通り過ぎた。

理仁とは未だ一言も話していない。

イルミネーションに使われる一つ一つの電球をでこぴんで弾き飛ばしたい衝動に駆られる。浮かれやがって。

高尾は赫耀と光り輝く横丁のアーチの下にグレーのビジネスコートを羽織って立っていた。環に気付き、スマホから顔を

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