あなたに明日はありますか。
久しぶりに、看護師の頃の経験について綴ります。
それは私が3年目になってすぐの時。
個人情報のため細かい病名は言えないが、
消化器癌末期、経口摂取ができないAさんが入院していた。
入院時のAさんの予後は1ヵ月。
予後とは余命のことを意味する。
病気の経過などから医学的に医師が判断する。
残酷なことかもしれないが、これは高い確率で的中する。
そしてその予後を
医師はキーパーソンに伝える。
多くの場合が家族だ。
そして医師は、家族に
「本人にもこの話をしますか」と尋ねる。
患者さんに予後未告知、病名未告知は稀にある話だ。
カルテに記載されており、看護師も情報共有していた。
Aさんには妻と娘2人がいた。
Aさんの家族は考えた結果、
「本人に予後は伝えないでほしい」と言った。
先ほど述べたように、Aさんは経口摂取ができない。
本来、食べ物を口から摂った後、
食道、胃、小腸、大腸、肛門を通って排泄される。
腫瘍が大きくなると、
本来食べたものが通る場所が通らなくなり蓄積していく。
下に流れることができなければ上に戻っていく。
結果的に吐き気や嘔吐につながっていく。
Aさんも同様に吐き気があったため、鼻から胃管を入れていた。
栄養分は点滴から。もちろん十分量ではなかった。
みるみるうちに痩せ細っていった。
しかし、Aさんは自分が癌であることはわかっていたが、
予後を知らないため、いずれは退院できると思っていた。
「鼻に管なんて入れてみっともないだろう。
今はしょうがない。
これを乗り越えて、
症状がよくなったら家に帰るのが楽しみだ。」
Aさんはそのように話していた。
「もうあと1ヵ月しか生きられないかもしれません」
なんていうことは看護師から伝えることはできない。
私たちはAさんの言葉を受け止めることしかできない。
Aさんが真実を知ったら、悪魔だと思われるだろう。
しかし私たちはAさんの家族ではない。
唇をかみしめて、ぐっとこらえるしかないのだ。
もし予後を伝えれば、Aさんはショックを受けるだろう。
けれども死に向けて気持ちの整理ができるかもしれない。
だが、私たちはAさんに出会って数日。
これまでのAさんをよく知っているのは家族だ。
Aさんが予後を知ることで塞ぎ込んでしまうと判断したのかもしれない。
他に違う理由があるのかもしれない。
私たちは、苦渋の決断をしたAさんの家族の思いも汲み取らなければならなかった。
ある日の夜勤中。
0時の巡視をしたとき、Aさんはベッドの上に座っていた。
真っ暗闇の中で、間接照明だけが点いていた。
「Aさん眠れないですか?」
そう尋ねるとAさんは頷いた。
そして私にこう言った。
「もしかして僕はもうすぐ死ぬのか」
私は言葉を詰まらせた。
「そうです」と言うことはできない。
「違います」と噓をつくこともできない。
「どうしてそう思うのですか」と質問で返した。
「ははは。そうか答えられないよね。
ごめんねこんなことを聞いて。
もう身体が思うように動かなくなってきて
生きている心地がしないんだよね。
いろんなことを考えたら眠れなくなっちゃった。」
Aさんは笑いながらそう言った。
とても悲しい顔をしていた。
私はこれまでにも終末期患者さんを看てきた。
予後1ヵ月で、Aさんのように
自分で歩いたり、座ったりできる患者さんは滅多にいなかった。
多くの場合、ベッドで寝たきり状態になっており、
意思疎通が困難な患者さんばかりだったのだ。
だからこそAさんは帰ろうという意志があった。
だがいつまで経っても良くならないことに気づき、
自分のなかで生じた疑問を私にぶつけてきたのだ。
予後1ヵ月。
そう宣告されてから3週間は経った。
あと1週間残されているかどうかもわからない。
明日があるかもわからない。
眠れないAさんに眠剤を渡すことは簡単だった。
しかし、眠ることがAさんの希望なのだろうか。
0時の巡視が終わると私は仮眠に入る予定だった。
他の患者さんの巡視を終えた後、
私は先輩看護師に仮眠に入ることを伝えた。
休憩室に入ったふりをしてバケツにお湯を汲んだ。
奇跡的にAさんは個室だった。
バケツを持って再び部屋に入るとAさんは変わらず座っていた。
「Aさん、足湯しましょうか」
夜勤中に普通はそんなことをしない。
45人ほどの患者を3人で診なければならないからだ。
Aさんはとても驚いていた。
お風呂に入る体力もなかったAさん。
お湯に足をつけるとすぐに垢が浮かんだ。
「汚いのに悪いな。
でも気持ちいい。幸せだな。
足があったまると眠れそうだよ。」
Aさんはそう言って笑った。
Aさんは妻と娘2人の話をしてくれた。
私と家族構成が同じだったので、
父と会話しているようだった。
私がしゃがんで足を洗っていると、
Aさんのズボンにシミができていることに気づいた。
見上げるとAさんは泣いていた。
「もっと生きたかった。
妻と娘ともっと一緒にいたかった。
君の何倍も生きてきたのに
死ぬことに怯えているなんて滑稽だろう。
君には明日があると思うかい?
病気の僕には明日があるかはわからない。
でもそれは君にも同じことが言えるだろう。
明日が確約された人は誰一人いないんだ。
どうか精一杯生きてくれ。
僕も今更悔いてもしょうがない。
死ぬまで精一杯生き抜いてやる。」
Aさんの言葉に涙が溢れた。
急いで下に目線を向け、気づかれないようにした。
次に出勤したとき、Aさんはもういなかった。
妻と娘2人に見守られ、
いい最期だったと思うと師長さんが話してくれた。
Aさん。
あの日たまたま私が夜勤で、
Aさんがたまたま私のチームの患者さんで、
私がたまたま巡視に回ってきました。
偶然の積み重ねがAさんと私をめぐり合わせてくれました。
いきなりバケツを持ってきてさぞ驚いたことでしょう。
たった数十分。
その短い時間で、Aさんは私に大切なことを教えてくれました。
不思議ですね。
4年も経つのに
Aさんの言葉は一言一句覚えています。
もう会うことはできません。
それでも私は、あの夜Aさんと話した時間を忘れません。
Aさんありがとう。
ご覧いただきありがとうございました。
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