「好きなこと」よりも「キライなこと」を見つけて、一つずつやめていく
日常生活をレスストレスで充足感のあるものにするために、人は「好きなこと」にフォーカスしがちです。
でも実際には「好きなこと」だけでそれを実現するにはかなり時間を要します。
なぜなら人間そんなに好きと認識できるほどの「好きなこと」をそう多くは持ち合わせていないのです。
私が現在のような穏やかなメンタリティーを獲得する最初のきっかけは、実を言うと
「好きなこと」よりも[キライなこと」を見つけて、一つずつやめていく
という作業を始めたことからだった気がしています。
これはあくまで私の体感的な理屈に過ぎませんが、人は「好きなこと」よりも「キライなこと」の数のほうが圧倒的に多いのです。
ただ「好きなこと」と違って、「キライなこと」は無意識で半分眠った状態のまま、潜在本能的に捉えてることが実際には多いとも思います。
だからこそ
目に見えない(認識されてない)ストレスを多くの人は知らず知らずたくさん抱えていて、だけどその事実にあまり自分自身気づいていない
という図式が存在しています。
メンタルを身軽にしていく基本として、よく「手放す」という言葉が使われますが、
その前に本当は「それが在ることを認識する(recognize)」というステップが不可避で、それなしにどんだけ手放そう手放そうとお経のように唱えて自己暗示をかけても実はあまり意味はありません。
ちなみに
好きという感情スイッチは人間誰しも分かりやすく認識もしやすいですが、キライという感情スイッチは潜在的多種多様に存在しています。
そのため認識するにはあまり細かな分類をするよりは、多少大きな括りでまずは見ていくことが一つのコツかもしれません。
たとえば私の場合、一般企業でのフルタイム勤務を始めるにあたり、こんなことを掘り下げて考えました。
どんな環境ならば、早々にドロップアウトせずに続けられるか?
この視点で条件をピックアップしてみたのです。
で、結論から言うと、要はこれが「キライなこと」基準だった、というお話。
参考までにどんな「キライなこと」があったか、
実例を挙げると
出勤時間が早い(8時とか9時とか)
髪型を制約される
服装を制約される ・・・etc。
今になって見ればよく分かることなのですが、私は子どものころから朝早めに寄せた生活習慣がとにかく苦手なんですよね。
でも世の中では朝6時とか7時には起きて、8時か9時くらいには学校や会社に通って、一日過ごしたら帰宅して明日に備えて早めに寝る。
というのが当たり前とされているし、そんなもんだとなぜかみんな思い込んでいますよね。
実際には探せば10時とか10時半出勤の企業って思ったよりはあるし、コロナ期を経験した今の時代はリモートという選択肢も定着してきたので、当時と比べても格段にこの手の選択肢は幅と自由度が上がっています。
最新の睡眠の専門研究によると、個人の体質によってはけっして早起きすることがパフォーマンスアップに直結するとは限らない場合もある、みたいなことが分かってきたとも聞きます。
早起き生活のほうが体質的に文字通り”性に合う”という人もいれば、まったくそうではない【人種】というのもいて、わが家は私も旦那さんもどうやら後者のタイプ、ということらしいです。笑
だって、同じ時間の長さ寝ても、明らかに早寝早起きするほうが起床後の体調が悪いんですから。
いつまでも怠いし眠いし、そんな状態をしばらく続けていると必要以上にどんどん疲れが溜まっていく感じがするのに、無理してその生活習慣に合わせることのほうがむしろ心身にとって不利益だと思いませんか。
だからよくよく自分のキライなことを掘り返してみて、まずは明らかに無理な早起きをしなくていい環境を選ぼうと思ったわけです。
それ以前の私はこんなこと疑いもしていなかったので、自分のために始業時間を限定して職場選びを考えるなんて初めての経験でしたが、個人的にこの選択条件は大正解だったと思っています。
今でこそ事業主という立場になって、タイムマネジメントについてはほぼほぼ自分主体の生活スタイルで暮らしていますが、
もともと時間を外部に合わせて自分の行動を制約されるのが体質からしても私は苦手だったわけですから、
であればその「キライなこと(=早起きベースの時間制約)」をやめる方法や環境を探したほうが建設的。
やってみて初めて気づけたことではありますが、本当に身も心もレスストレスに過ごせるようになって我ながら良い選択をしたなと思っています。
「だったら最初から遅め出勤の会社を探せばいいんじゃないの?」
と思う方もいるでしょう。結果から見れば、もちろんそうです。
でもいきなりその発想に直接アクセスできる人は実際には少ないのではないかと私は思っています。
だからとっかかりのプロセスが必要で、そのためには敢えて「好きなこと」ではなく「キライなこと」ベースで切り取り、認識するステップを踏むほうが確実で、結果として多くのケースに於いてより早く適切な選択肢にたどり着くことができます。
と、ここまで書いてみて自分で新たなに認識したんですけど、要するに私は昔から制約されることがキライだったということですね。
だから出勤時間も髪型も服装も、大前提として基本制約されないと決まっている環境を選べば、その結果としてキライなことをいくつかやめることができて、その分だけ身軽になった。
という図式を実現したんだと思います。
ま、こんな感じで日常生活にはよくよくフラットに見てみると、ほんとはキライなことなのに疑いもせずそんなもんだと無意識に思い込んだまま、日々ストレスを蓄えながらずっと続けている行動パターン、というのが無数に存在しています。
その中のいくつか大きなものを認識して、無理のない範囲で一つずつやめていく。
これが日常生活をレスストレスで充足感のあるものに変えていくための合理的な近道だと思います。
ただし、一つだけ補足。
冒頭、私は細かく挙げていくとキリがない的なことを言いました。
それは身軽になろうとするあまり人生からキライなことすべて排除しようとするのは、ある意味不合理かつアンバランスだと思っているから。
だから、今すぐやめていっていいのは、ある種”生理的に無理”なレベルの「キライなこと」なんだろうと思います。
長い人生、時には苦手なことやそれまで避けてきたことにトライして、あえて受けて容れてみることが必要になる時期もあります。
なぜなら人間の器は自分にとって好都合なこと単体では、まず広がらないからです。
もともと紆余曲折していたけれど、ある時期からは水を得た魚のように大活躍しているような人たちを観察していると、必ずその前に真逆の経験、つまり試練のような選択をしていたりもします。
だからもし、一生キライなことを排除し続け、好きなことだけ残した環境で生きていくことができたら、ある程度の時期までは快適かもしれないけれど、きっといつか「自分(の人生)は本当にこれで良かったんだろうか?」と思い始める時がくるでしょう。
それでも若いうちならある程度選択肢もあり、人生の軌道修正もできるというものですが、年老いて時間や体力がかなり限定的になってからのその境地は、目も当てられません。
だから何事もほどほどに。
キライなことを見つけて、一つ一つやめてみて、
「なんか自分、身軽になれたかも?」
と思えるようになったら、そこからはあえて苦手意識をもってきたことや避けてきたことにも挑戦してみましょう。
世界や可能性が広がって、人生がゆたかになっていくはずです。
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