人間の幸福とは何か 「閑暇と観照的生活について」【アリストテレス】
アリストテレスは、何の目的もない「観照的活動」は、日常のことに忙殺される生活にあるのではなく、閑暇の中にあると考えていました。
それ故、「幸福は閑暇の中にある」としたのです。
観照的活動とは、「内省的」「瞑想的」な活動のことを言っているのかもしれません。
そこには、人間世界を離れた「神なるものが存在する世界」と言うこともできるでしょう。
観照的活動をするためには、日常において家事や仕事などに忙殺されているようでは実現できません。
そこに、何らかの閑暇がなくてはならないのです。
現代では、高い地位と名誉、お金を求め、成功者になることを目標として、都会にやってくる若者を多く目にすることができます。
もてる野心と功名心から、自分がいる分野や業界の中でトップを目指して、暫くは生活していても、ふと虚しさにおそわれることがあるのでしょう。
中高年になって、ある程度、自分の先行きがわかるようになると、田舎暮らしを始める人が多いのも、それが理由かもしれません。
自然の中で、土に触れ、野菜や草花などに囲まれながら生活をしていくうちに、本来あるべき自分を取り戻そうとするのでしょう。
中高年になれば、大抵の人が「自分の人生はこれで良かったのか?」と思うようになります。
50歳を過ぎた頃から、「あと何年生きられるのだろう」と計算するようになるからです。
しかし、本当の人生は、そこからが始まりです。
若く元気なうちは、目前の仕事や生活に夢中で、哲学などは何の役にも立たないものだと考え、見向きもしないものです。
哲学を学ぶことより、手っ取り早く「情報」や「知識」を得ることに、必要性を感じる場合が多いからでしょう。
年齢を重ねるにつれ、人は「哲学的」になる傾向があります。
それでも、健康に恵まれ元気な人は、なかなか哲学的にはなれないものです。
その人にとって、生きられることは当たり前のことだからです。
これは、元気な若者が、観照的な生活を無視しがちであることに似ています。
「幸福」というものは、一生をかけて追求していかないと、わからないものです。
このアリストテレスが残した言葉は、現代人にこそ刺さるものなのかもしれません。
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