見出し画像

哲学者ディオゲネス

以前、高校入試の英語で、哲学者ディオゲネスとアレキサンダー大王のエピソードが出題されたことがありました。

ある時、ディオゲネスは、
コリントス市のクラネイオンという体育場で
日向ぼっこをしていました。
そこにアレキサンダー大王がやってきて、
「余が、大王であるアレキサンダーだ。」
と言うと、ディオゲネスは、
「わしが犬であるディオゲネスだ」
と返事をしました。

参照:山川偉也著『哲学者ディオゲネス -世界市民の原像-』(講談社学術文庫)

ディオゲネスは、町の広場で犬のような生活をしていました。
彼は、「キュニコス派」と呼ばれた集団の一人で、和訳では「犬儒学派」と言われることもある一派の哲学者です。
彼らは、「徳」こそが人生の目的であり、「欲望から解放されて自足すること」「動じない心を持つこと」が重要であると考えていました。
そのため、肉体的な鍛錬を重んじていたとも言われています。

先ほどの逸話には、続きがあります。

ディオゲネスの返事を聞いたアレキサンダーは、
怒ることもしませんでした。
彼は度量の広いところを見せるかのように
「何なりと望みのものを申してみよ。」
と言います。
それに対して、ディオゲネスは、
「そこをどいてくれんかの。
 日向ぼこの邪魔になるのでな。」
と答えました。
当時の権力者であり、
軍人でもあったアレキサンダーは、
いきなり処刑することもできました。
しかし、彼はそうしませんでした。
むしろ、「あれこそ真の賢者である」
と誉め讃えたと言われています。
この逸話が広まったことから、
アレキサンダー大王の名声は、
ますます高まったようです。

参照:山川偉也著『哲学者ディオゲネス -世界市民の原像-』(講談社学術文庫)

子供の頃、愛読していた『シャーロック・ホームズ』シリーズの中に、「Diogenes Club」という場所が登場します。
このクラブのことを「ディオゲネス・クラブ」と表記する訳本もあるので、この名前から、ディオゲネスのことを知った人もいるでしょう。
シャーロックの兄マイクロフトが、仕事以外で立ち寄る唯一のクラブなのですが、そこでは、一切の会話が禁止されており、新聞や雑誌を読むなどしながら、ゆったりとしたひと時を過ごす男たちのクラブという設定で描かれています。
この設定から、哲学者ディオゲネスのように日々を過ごしたい男たちの憧れのようなものを感じることができます。

ディオゲネスと対照的な哲学者は、アリストテレスです。
彼は、アレキサンダー大王の家庭教師をしていました。
科学的合理主義者であったアリストテレスは、緻密で論理的な哲学を展開しています。
「哲学者」をイメージする時、誰もが思い描く「正統派」の哲学者が、アリストテレスであると言えるかもしれません。
そんなアリストテレスとディオゲネスが、現代においても、同じ「哲学者」として、歴史に名を連ねているという事実は、非常に興味深いことと言えるでしょう。

ディオゲネスは、住む家もなく、犬のように野宿をしながら、町の広場を点々としていたと言われています。
意外にも、そのような生活をしていたにも拘わらず、町の人たちから愛されていたようです。
ディオゲネスが町の人たちと交わした言葉や出来事が、逸話としてたくさん残されています。
彼のような人は、今で言うと道化師やピエロのような存在だったのかもしれません。
彼らの視点や発言は、常識にとらわれている普通の人々にとって、新たな見方を教えてくれるものだったのでしょう。
これは西洋だけに限られたことではありません。
古今東西、あらゆる地域や時代の中で、多くの例をみることができます。
中国でも、聖人孔子が、隠者の老人にやりこめられるシーンが、老荘思想の文献の中にいくつも登場してきます。

ディオゲネスとアリストテレスが、同時代の哲学者として、存在していたことをみても、人間の多様性がわかるでしょう。
もしかしたら、人は、仕事やお金儲けなどで、緻密で合理的なことばかりしていると、窮屈さを感じてしまうものなのかもしれません。
凝り固まった心や気分を和らげてくれる「笑い」や「芸能」、「文学」などを求めるようになるのは、人として自然の欲求なのでしょう。
このように一見、役に立たないようにみえることから、文化的なものが生まれていることをみても、科学的・合理的・論理的なことばかりをやっていてはいけないことがわかります。
また、費用がかかることを嫌い、それを削減することばかりしていては、文化は生まれません。
むしろ、無駄でお金にならないような、役に立たない「無用の長物」の中から、文化が生まれることの方が多いのです。

現代では、ディオゲネスのように宿無し生活をするのは、非常に困難なことです。
しかし、彼の生き様ではなく、その考え方を真似することはできるかもしれません。
たまには、ビジネスで要求される「合理的」「科学的」「論理的」な発想から離れ、「哲学」の世界にどっぷりと浸ってみるのもよいでしょう。
同じビジネスマンでも、企業のトップクラスともなると、すぐには仕事に役立ちそうにない「哲学」にも造詣が深い人が大勢います。
多くの人々を束ね、大きなことを成し遂げようとする時、「哲学」などから学べる「真の教養」こそが頼りになるものだからでしょう。

犬のように生活していた哲学者ディオゲネス。
彼の言動から、学べることは沢山あるのです。








この記事が参加している募集

#わたしの本棚

18,332件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?