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なんてたって先考棺桶バースディ。


東日本大震災がくる前の秋に亡くした父のお誕生日です今日三ヶ日・:*+.\(( °ω° ))/.:+

シングルだから、貧乏だから、妹が大切だからそれどころじゃなかったら どんな仕打ちも正当化する権利があるみたいですこの世界は。知ってます。

他人の癖に、悪口と嫌味しか言えない群れが 家庭環境に口出ししてくることの厚かましさも、弱味探しにかける惨めな熱意に失望した回数は、
本人に向かって直接片親であることを、お里に帰らないことを、祖父母と同居せずに核家族でいることを一斉射撃されて不機嫌になった母から八つ当たりされた理不尽な回数よりもずっとずっと多い。
プロフィール欄を不幸自慢に使うあいつくらい嫌いだな。

そう言えばですが プロフ帳とか持ってないし買ってもらった事も買おうとした事も、友達も皆無なので地雷ワードです。
安っぽい白紙のノートに自分で線を引いて、枠を囲って生み出した自作プロフィール帳も、結局他人の文字が載る事はありませんでした。あまりにも黒歴史すぎる。痛々しさは現在も健在です。

イタイ って言葉も言われすぎたので、
特にすれ違うたびに近くいるときに永遠とイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ言われてインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャインキャねちねっっっっち言われ続けたあの時期に 引くほどダメージを喰らっていたし、自分よりも相手に憤りを感じるほどに心が狭かったのは
きっと 、 それが的を獲すぎた悪意のある言葉だったからだと思う。
今なら、というかまあ そいつらから離れてからはちゃんと心の整理をつける事もできるし、自虐ネタで必ず使う言葉ですし 素直な御感想御評価いただきましたことへ感謝しています。本当にありがとう!みんな!
精々その堅苦しい田舎から一生抜け出せずに窓際族になっても永遠に互いの傷を舐め合って、近所の荒んだ店舗に金落とすことのみに生き甲斐を感じながら なんの取り柄もなく、気色悪さを増したまま死んでいってね。



別に片親自体珍しいもんでもないなんともない時代ですのに、目障りな僕を虐める理由にはうってつけの材料だったらしいので んんーーーまあー、
小説や漫画、映画の世界でよく拝見するようなテンプレートみたいな餓鬼共は 低知能を曝け出したみたいな攻撃を沢山してきて。あーはいはい所詮その程度でしか当たれない無能なんですねそうですね。って、自分の無力さを誤魔化す強がりで流していた自分偉いのかどうなのか。
まあ、ご近所のあの子みたいに 虐める側に回ってみたり、強い方について一緒に無視してみたりいつまでも赤ちゃん思考持ち続ける方が惨めに思うので良いけれども。

勿論誰にも言うわけねえそう相談する訳もねえし、一番目を背けてきたのは先公ですし ちょい正義感強めの先生に気付かれて、取り敢えず連日盗まれたもの隠されたもの壊された物探しと遠回しの犯人探し?してくださいましたけれど、
あーーもうやはり開催するべきではなかった 。あんなもの。一生後悔している。こっちもかなりの黒歴史。
そんなもん催されてしまったら 余計に目の敵にされて虐めなんて加速するって分かりきっているのにね。
勿論何一つ見つかるわけもなく くすくすにたついた気色悪い笑みが一緒トラウマだね。ああなんてわたしは幸せ者なんんだろうね。



ぶつけてこられた暴言も石ころも
投げつけられた雑巾も砂も氷も雪玉も軽蔑も何一つ忘れないよ、って言いたかったけれど 余りにも多すぎて、豆腐メンタルな僕には重荷すぎて大多数を忘れてしまった。
というよりも、聞かないように、感じないようにしていた頑張ってた。今言いながら涙目なるやつだから語尾は明るくしなきゃじゃん笑!!!

大晦日に一日を過ごした羽田での火災は、実家所縁の地の生き残り航空便でして 。
後悔しかしていない自身の誕生。
僕が生まれたお家も、通った病院も海岸もお店もぜーーーんぶ勿論流れました。し、跡形もありませんが それは僕が19になった現在も変わらずで今も何にもない。
何も立てられていない。
宛ら、さら地に残ったものは絶望と瓦礫だけですかなー
もう全部燃えろ消えろしねとしか思えないのも自分の責任ですのでどうだっていいうるさい

そんな龍の年の1/2 家に帰ってから開封したアイスは溶けていて、
今日出会った誰よりも柔らかかった気がする。
ひとつではなくて、一口目、一種類のみではなくって、ぜーんぶ溶け。
極寒とは言い過ぎかもですが、出身の雪国と比較すればマシですが かなり寒いから、アイスクリームよりも甘い考えを持っていた自分が悪いですが。ドライアイスの小袋に詰まった少量は、ヨーグルトの蓋で止まった。歩く速度を加速させることばっかりに気を取られたせい。
食料をお店で購入できる喜びは人一倍以上感じております。本当に。

冬の体育館、部活動ウィンドブレーカーを羽織ってもペラペラの長袖、長ズボンジャージを右まとっていても、どれだけ動いても一生体は暖まらないし。
無駄に分厚くて重たいだけの
まるで曰く付きの日本旅館にありそうな古びた煎餅布団。
それに潜るときの体勢は、さながらダンゴムシで、手と足をひたすら擦り合わせても、動かしていても、厚着をしても、一生冷たいまま一生寒いまま。
そんな寒さよりも辛かったのが、辛くなかったのか。
記憶が薄れていくのは、自分の記憶力のなさというか、都合の悪いことを忘れてしまう性格故だと思う。

人への恨みや憎悪も忘れないって言うのが自分の性格だと思って信じていた。
しかし、かたや過去の悲しすぎる思い出に対する記憶がごっそり抜けていて、それをごっそり抜けていたこと自体、自分でも気がつけなくて、肉親や他人に指摘されて、ようやく初めてそんな記憶が存在していたのかと自問することができる

葬式で泣いて泣いて大号泣した記憶は、祖母の葬儀で止まっていたけれど 違うらしい。


数行目、
何かしら自分が果たした会。
ただの参列者として、
また相愛される実演として、
もしくは仲の良い親友扱いとして。
しかし、それでも私は亡くなってしまった。


亡くなってしまった親友のことも全く記憶になくて、
毎日お手紙交換をして、私と遊ぶ約束をした日の夕方に
その子は机の側で死んでしまった。
ハブられ同士仲が良かった家庭環境が似たあの子の同級生もそんな感じで。間接的な知り合いだっただけに、印象強い葬儀にもなった。

それでも。私も僕の母も、その“親友”の母親からはとても感謝されて。
幼稚園の頃、ずっと仲が良かったまた別の親友ももう一度引っ越してきたとき、
私はその子の存在なんてひとかけらも覚えていなくて、名前も顔も何もかもわかるわけがなくて、それでも先方には強く強く思っていただいて続きがあった。書いた覚えのないお手紙、私たちを忘れる贈り物それらをずっと大事にしてくれる子という子だった。年賀状も交換していたけれど、軽く流してしまっていたあの家族写真。
そこに、遠くに住んでいたけれど、ある年に僕の家のそばの住所から届いた家族写真には 新居が映っていた。

僕の臆病な性格がなければもっと仲良くなれて、
再会したときに社交的に輪に入れればもっと違う未来があったって、絶対それは確実で断言したくなる位眩すぎる後悔だ。

まあその感じで、後悔とはまた別ではある想いの隅にあることとはいえ
私は父が亡くなったときの自分の大号泣もパニックもヒステリックも何にも覚えてない。
逆に、私はずっと冷静でいたって信じ込んでいた。火葬直前までの記憶だけがはっきり過ぎるまでに残っていて、
その後一度姿を消した母が何をしていたかとか、その後何をするべきなのか、とか知るよしもなかった。
僕らちびで無力な餓鬼んちょ姉妹が少なからず負担をかけていた、重荷になっていた事は事実ですが。
だからね、
酔いしれた母の口から直接、当時一家心中を試みていた事実を伝えられた10歳そこらの衝撃だって 些細なもので。格別に不思議なことではなくて。
改めて自分が生きている事の方が滑稽で可笑しくて見窄らしくて、何度また生き残ってしまうんだろうなって涼しくなるので、また浴槽に溜まる水の塩分量が増えます。

冬なのにさ、夏は買わないでやり過ごしたのにね 3種類のアイスを買ったのは、親しいというか心を許しているFFさんたちも推し事の傍食べていたからってだけではなく、
自分遅番お疲れ様な空気を纏ったまま24時間営業のスーパで、何かいつもと同じ過ぎないことをしたくなったからです。
お惣菜やら買いたかったんだがな、
最終列車が来るまでの間、遅延情報を横目に。
氷結とスーパーカップのバニラ、奥にまふくんのcutとpcの暖色ライト。年末フェスへの切符を逃した梨ピノ!
ではない抹茶味を久しぶりに。炭酸が飲みたい。
タメだと思ったあの子はもうお酒が飲めるんだ。
酒を睡眠薬の代わりにする家族は貴方にはいないんでしょう?
そう言えば、新宿付近の薬局にはやはり、あまり咳止めぐすり見かけなくないですか。探してしまうけれど、その先にあるものは喉に直接吹きかけるタイプのスプレーでした。
ロシアに持ち運べば逮捕されてしまう例の風邪薬の、光沢にある紙箱の山でした。
まーでも、ちゃんと自分の足で回れて、自身の目で確認することができて良かったですが、あっさりすぎるので これからも観察ー(言い方言い換えろパートツー)
しかし、薬局巡りは好きなので、出掛けると必ず見ます。何処か入って、目ぼしい商品を探します。
如何にも古臭くって、泥臭い雰囲気の店内が好きですが、駄菓子屋さんとは違って、そのお店がお買い得とも限らないことが多いのは 地方の商品店やお土産屋さんに通じるものがあるよね。
お墓参りを早めに済ませる事ができた日に寄って帰るあの店の埃臭さを思い出す。
そして、思い切り後ろから車をぶつけられて逃げられて、瞬時に捉えた 写真に収めたカーナンバーを頼りに追いかけて警察に突き出した僕の小学生の思い出も思い出す。
結局修理費払って貰ってないがな。目撃者もいるのに、名前も知られてんのに、証拠も上がってんのに一回も謝罪さえせずにしらばっくれやがってたがな あの老魚二人組。何処にでもそんな奴らしか居ないんですか、僕の周りには。



青々とした顔色も 乾燥も 苦戦した左目の中のクリアコンタクトの撤去作業も 浮腫も冷え性も 自業自得な足の豆も剥がれた皮膚も
ヘアオイル、付けすぎるか少な過ぎるの二極化も、
冬の必需品ポケティの仕舞い場所が思い出せないことも。苦手しかない個体も。
押しでありヲタクである愛おしい方が引いたくじの数とか、稚拙な魔法少女だとか、平成顔に乗った 平成の巣窟みたいなヘアスタイルと茶髪にファンデですとか
席取りをして ベンチを占領するコンポタの空き缶を避けたことだとか捨てたその手とか。
目薬を購入したときに使いそびれたクーポンに、
トータルでアクリルスタンド代ほどにはなります風に流してしまったネットカフェの値引きクーポンを発掘した年の変わり目ですとか。そのカフェでオールした日数の多さですとか、
講演会のアンケートですとかいっぱいいっぱいいっぱいなそれらを、一度龍の背に乗って天空から傍観してみたいなって望む。
天高く舞いたいのも、減速する電車に突っ込んだところで死にきれないなと幻滅する朝の駅のホームも何もかもが憎い。

東京ガーデンシアターでのワンマンの帰りに寄ってみたお惣菜こーなーが素敵なお飾りを付けて佇んでいたので、久しぶりにバラエティ豊かな色彩と食材を見てテンションが上がると同時に 誘惑が多過ぎて困ってしまった。
欲しいものが増えるたびに苦しむに苛まれるのは自分だね。隣の席を見て絶望する経験。

あー、そこで唯一使ったのが茄子のおひたしで、
今まで茄子がちょっと自分の本名と似たところもあったり、そのものが食卓に並ばないこともあったりしてになっていた野菜あった
それでも茄子のお味噌汁などは、好きででもインスタントですか味を知らなかった。そんなこんなで試しに購入してみた。小さいサイズの値引き品に1パック。
死ぬほどおいしかったです。好きです。なぜ今この話をしているかと言うと、私が大好きな殿が最近食べたものがひじきとおからのものと茄子のおひたしだったから。整形後で硬いものが食べれないこと、食物繊維を多くとること。
は、大好物の私にとってもどの口からひじきって言葉が出てきたときにはとても嬉しくて
なおさら嬉しかったのは、ちょうどその配信を聞いていた時に、私が食べていたものは数日前軽く火を通した、おからが乾燥してカピカピになったものだから。
些細の子供大きなことも何から何まで喜ばせてくれる?そんな殿様が好きで 大切でたまらない。
だから、本日もまた 縋るのは家族でも自分でもない誰かで、
でもそんな姿をしているのも紛れもなく僕自身だ。

腹立ちが抑えきれない、よりも嫌悪と拒絶が増しながら聞いた生配信を、また聞き流している夜。煩い五月蠅い。珈琲が飲みたい。炭酸飲料を身体が欲するんです、喉では無くて 僕だが僕でも無くて。
心の渇きじゃねえか原因は、とまで思う。

無縁な潤いといえば、愛も知能も経済も何もかももですが、
喉の渇きといえば。
幼稚園児のときに、父の屍に詰められた綿とガーゼに含ませて口元に運んだ水。
必死に飲ませすぎて怒られてしまった。
色白の父の顔色も、艶やかで、でも生気は無いとはいえただ眠っているみたいで。
父方の祖母も曽祖母の亡骸もそんな感じだったなあ、似ているのは血のせいだけでは無いのかななんて 御葬式ラッシュを超えたときに感じた。

幼すぎて亡骸を見れなかったことも、受付と案内を任されて顔を覗きに行く(言い方)暇がなかったこともいっぱいあった。
頼まれた弔辞の原稿だけ書いて、松葉杖をつく妹に読ませたこともあった。少し幼い方が、怪我人の方がお涙頂戴かと浅はかな考えと、人前に出たくない自分の屑なエゴで。
そのエゴをこの上無く後悔するなんて想像もしなかったあの日の自分を撲殺したい。
万年不登校で主な学校行事や発表の場に立ったことがない妹の初舞台を 棺桶の前にしてしまったわけですが、悲惨になりました。会話は大切です。相手の能力を高望みしてはいけませんでした。
勘当同然の金の亡者な悪口雑言罵詈雑言夫妻に一斉攻撃仕掛けられなくて良かったねって、直接はいえないけどさ。
無知だと軽んじて、あからさまに費用をぼったくろうとしたことがバレて体裁悪くなったがために逆上して、口調を始終荒げていた太った和尚さんへの敵意が会場一致していたお陰で救われたね。戒名関連の書類を 当事者が亡くなったからって有耶無耶にしようとした目論みも晒されて決まりが悪そうなあの顔。資金と食材の鬼みたいな貴方が生き残れる葬式仏教社会で良かったね。
墓終いももっと良心的に価格設定してくださいよ、貴方方ほど私利私欲の塊ってそうそうおらんよ、ああ、あの従兄弟家族は君と同じ方向にいるけれどさ

死人にお手紙を届けたところで何にもならないって幼ながらに理解しつつも、幼稚園児が小学生が、例え中高生であったとしても懸命に亡者へ想いを伝えようと便箋を選んで、お洒落な装飾を施して お気に入りのインクで文字をしたためる光景だって同じでした。
被災地じゃ不要なもの殿堂入りの千羽鶴は、入院のたびに、お見舞いのたびにも何個も折ったんですよ、4人で。小さいサイズも大きいサイズも。
棺桶に一緒に入れたことだってありました。
愛も想いもどうせ伝わらないのならば、最期くらいは目に見える形で、周囲に熱量を知らしめる形で見せ付けたいじゃん。どうせ全部跡形も無く燃えて消えて散ってしまうって大前提を覆したいというよりも、一方的に淘汰される界隈で争いたいじゃん。どうせ何も出来なくて悔やむくらいならば。多少の苦労を費用だって僕からしたらあまりにも大きすぎんだよ。わかれ。

お年玉もサンタからのクリプレに理想など抱いたことなど一度もないが 絶望しかなかったが、
サンタクロースの存在も伊弉諾伊奘冉もキリストも仏陀も僕の中では同じ存在感で、過信する物でも過度に望む物でもない 代打がいすぎることを隠すのも征伐してみるのも何もかも莫迦らしいじゃん。
代わりに、いっちばんでっかいフランフランに行こう。
推しが訪れた場所だから。
普段素通りする分、知人と横を通ったときくらいは眺めたいなー眺めたいなーって話したものの、店への関心が皆無なその子に合わせて先日また素通りしてしまったから。

また今日もそうやって現実逃避をすることでどうにか心を保っています。

お誕生日おめでとう父。
親も祖父母も妹も叔父も叔母も従兄弟も諸共名前呼びで、敬称呼びでは無いから一瞬本名だしかけて微笑

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