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【目印を見つけるノート】553. 自然に来るものかもしれません

いいお天気でしたが、
今日も電車の混乱などたいへんでしたね。

昨夜はからすがありえないような鳴きかたをしていて、「ああ、からすも生き物なんだなあ」と当たり前なことを思いました。鵺(ぬえ)が啼くとあのような感じなのでしょうか。「ギャーギャー」という感じ。
『鵺の啼く夜は~』
横溝正史さん、小学生の頃から好きでした。
あの時代とか地域にどっぷりはまる感じ。
いまだに洞窟に入ると思い出します。

午前中は、虫がこれでもかと動き回っていました。私などよりよほどせっかちです。

めずらしく、シジミチョウが割と鮮明に撮れました。小さくてすばしこいですから。
そろそろ、蝶を撮るのも一区切りかなと思ったりしています。季節的にも……と書いたら、ベランダにも飛んできました。ダイミョウセセリかなあ。
大名の紋付き姿か……ありがとうございます。

もうすぐお祭りなのですが、今年も縮小のようです。そうですね、例年とても多くの人が集まりますので。2019年が台風と当たってしまってから、元通りの規模には戻っていません。ちょっと寂しい。

そうか、お祭りの日で連日伺いは区切りにしようかな。

なにかを区切ることはありますでしょうか。

慣性の法則を守るがごとく、同じペースを続けるときがあります。毎日学校へ行く、夏休みにはプールでスタンプを押してもらう、仕事でタイムカードを押す、毎日炊事洗濯をするーーこれらはなかなか、自分で区切るというのが難しいです。
一方で、プラモデルやアクセサリーを作るとか、パズルを解いてみるとか、本を読むのもそうですし、ジョギングもですね。いつ始めても止めてもいいこと、自分で自由に区切りをつけられることがあります。
そして後者について、続けるうちに何となく、「そろそろ次のことをしようかな」という気になることがあります。
ひらがなを書いていたのが漢字を書くような、
1曲をマスターして、新しい曲が来るような、
ウェットスーツをドライスーツに替えるような、
そこを目指してしゃかりきになるということではなくて、自然に区切りがやってくるということです。

あ、私がぼーっと思うことで、何か大げさに「これが真理だ」などと語りたいわけではないですよ😊
自分語りで恐縮ですが、去年の春にまるまる11年していた出版関連のお仕事を辞めた時が大きな区切りだと思っていました。それを機にこのnoteを始めもしたのでした。
でも、そうではなかったかもしれないと今は思っています。それは去年の春以降世の中が制限的になったことや、それにまつわるいろいろな状況が少しは影響しているのかもしれません。ただ、それだけではなかった。一ヶ所に留まらざるを得ない時間があって気づくことがたくさんありました。自分のこともひとさまのことも、もっと広げて全体的に、「これでいいのだろうか」と思うこともずいぶんありました。今もありますね。

ここまで来て、自分にとっては今が区切りではないのかなと思ったりしています。

もちろん、まるっきりシフトチェンジするということではありません。書くこと、大事にしたいつながりがあることなど今後も続けていくものはあります。その上で、まだよくは見えていないものの自分の中での区切りというのがやってきているのかもしれないと思ったりするのです。そのような兆しも実はたくさんあったのかもしれません。

またもや、ぼんやりと抽象的なことを書いてしまいました。

そうそう、『目印を見つけるノート』ってそういうことかと、自分が付けたタイトルに今更ながら頷いたりしています。ヘンですね。
とりあえずは、書くだけです。
そして、いつでも微笑んで「愛しています」と言える自分でいます。
それは変わらないのですが、
どう変わっていくのでしょうね。
楽しみです。

この曲が今はけっこう来ますね。
DAVID BOWIE『Changes』

特に、
「Time may change me
  But I can't trace time」
(紹介のための引用)
のところでしょうか。
〈時は自分を変えるだろうけれど、
 それを辿っていくことはできない〉

今日はまたぼんやりとしてしまいました。
きのうの地震でカルロ・ロヴェッリさんの『時間は存在しない』が落ちてきましたが、「読んだらどう?」ということでしょうか。
なかなか的を射ていますね。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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