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ドゥルーズとヴィジョン─破壊の哲学
20世紀後半のフランスの哲学者ジル・ドゥルーズは哲学を「概念の創造」と定義した。一般的にはそう言えるだろう。偉大な哲学者には偉大な概念が、あたかもそれが一般名詞ではなく固有名詞であるかのように、プラトンのイデアやライプニッツのモナドのように、ついてまわるものだ。ドゥルーズはおそらく、ヘーゲル以後のもっとも偉大とはいわないまでももっとも野心的な形而上学者の一人であり、彼の名前は「強度」「潜在性」「出
もっとみるアガンベンと歴史の終わり
アガンベンの政治哲学のなかで「歴史の終わり」というモチーフが演じる役割はもっと注目を集めてもよいかもしれない。アガンベンがはじめて歴史の終わりに言及したのはおそらく『言葉と死』のなかでで、フランシス・フクヤマが1989年の論文でこれを論じて流行させる7年前のことだった。アガンベンはそこでバタイユとコジェーヴのあいだで交わされた書簡に言及しながら、コジェーヴのヘーゲル解釈の試金石である歴史以後の地平
もっとみるヘーゲル、ウィトゲンシュタイン、ドゥルーズ──明晰に語りえないことへの哲学的推論の侵犯について
ヘーゲルは次のように述べている。
一見すると精神的内容にふさわしい形式とは言語表現であるようにおもわれる。ヘーゲルは感覚を表現とみなしていることに注意しなければならない。感覚が精神的内容を表現することができるのでなければ、そこには齟齬が生まれようもないからである。言語表現はまた、感覚内容を表現することもできるということに注意が必要である。ギャップはどこにあるのだろうか。
ウィトゲンシュタイン的
ケインズ主義の限界──ペリー・アンダーソンのアダム・トゥーズ批判(2)
ペリー・アンダーソン「状況主義の裏側?」
ペリー・アンダーソンが2019年にニューレフト・レビューに発表した「状況主義の裏側?(Situationism à L'envers?)」[1*]は、おそらくアダム・トゥーズの仕事を総体として検討したものとしてはもっとも本格的な論考である。
[1* アンダーソンの記事にはペイウォールがかけられているが、このページからPDFファイルがダウンロードできる。
ケインズ主義の限界──ペリー・アンダーソンのアダム・トゥーズ批判(1)
アダム・トゥーズ「中央銀行のパラダイムシフトが起きるところまで来たのか?」
最近アダム・トゥーズのサブスタックを精力的に紹介している経済学101に、インフレをめぐるECBのの対応についての9月17日の投稿が翻訳されており、これがおもしろい記事だった。
トゥーズの記事はダニエラ・ガボールがフィナンシャル・タイムズに発表した記事を批判的に紹介するもので、さらに論点を拡張し、文脈を補足したものである
絶滅にふさわしく、ドゥルーズ
ドゥルーズは『意味の論理学』で「出来事の倫理」を語ったがその後この発想を深化させることはなかった。フーコーが『アンチ・オイディプス』を「倫理の書」と評した読み方が今でも支配的であり、ドゥルーズは奇妙なことに倫理的な哲学者だという風にみられている。しかし彼は生の形式にはほとんど関心を示さず生に生じたことに関心を示した出来事の哲学者であった。彼が信じる道徳の意味はひとつしかなく、それは「出来事にふさ
もっとみるアガンベンのスキャンダル
哲学者のジョルジョ・アガンベンが新型コロナウイルスの流行にかんして最初の発言をしたのは、今からおもうと比較的早い時期、2020年2月26日のことだった。彼は「エピデミックの発明」と題した文章のなかでCovid-19をインフルエンザの亜種と断じ、メディアを通じて醸成されていたパニックの雰囲気に釘を指した。彼の目には新しい感染症の流行はさして新しいものではなく、第一次大戦以来というものその歴史的役割を
もっとみるジョーカーとニーチェ──生の肯定を教えることはできるのか
最近、ニーチェを読み返しているのだけれど、Twitterで上記のTweetがバズっているのを偶然みかけた。たぶんこのTweetは10月31日に起きた「京王線無差別刺傷事件」にかんしてつぶやかれたものとおもわれるが、最初にこのTweetをみかけたとき、ぼくはこの関連に気づかなかった。後から、この事件の容疑者が映画『ジョーカー』に影響を受けて犯行に及んだということを知ったのだが、ぼくがこのTweetを
もっとみるアダム・トゥーズの政治思想
私見ではアダム・トゥーズは同時代のもっとも興味深い書き手の一人であるが、そうした評価を少なくとも日本語話者のあいだではまだ受けていないようである。彼は翻訳されている2冊の本──『ナチス 破壊の経済』『暴落 金融危機は世界をどう変えたのか』(いずれもみすず書房)──の著者として知られており、ほかに著作としては『The Deluge: The Great War, America and the Re
もっとみる『天気の子』と物語の代償
少年に拳銃が与えられたら、その贈与は償われなければならないというのが物語の掟である。ありそうにない組み合わせは社会の秩序を掻き乱すが、そのことによってもとある秩序の不連続性を浮き彫りにする。都会と田舎の対照は新海誠が好んで活用する二項対立的エレメントのひとつであり、田舎から都会に出てきた少年は社会の交換規則の非対称性のなかで何かを喪失しなくてはならない。それが成熟するということの一般的な意味なの
もっとみる愛がわれらをひとつに引き裂く──ラカンを読む(『対象関係』篇)
ラカンをどう読むか ジャック・ラカンの分析理論は、混乱した経験を分類し整理することをもくろんだ指標からなる一種の「地図」のようなものである。地図に要請されるのは惑星の軌道を計算する微分方程式のように「現象を救済する」ことではなく、経験に照らして修正可能な「正確な比例」をふくんでいることだけである。ラカンはそのため、マテーム(数学素)とシェーマ(図表)という抽象的な表現様式を好んで用いた。われわれ
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