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アガンベンと歴史の終わり

アガンベンの政治哲学のなかで「歴史の終わり」というモチーフが演じる役割はもっと注目を集めてもよいかもしれない。アガンベンがはじめて歴史の終わりに言及したのはおそらく『言葉と死』のなかでで、フランシス・フクヤマが1989年の論文でこれを論じて流行させる7年前のことだった。アガンベンはそこでバタイユとコジェーヴのあいだで交わされた書簡に言及しながら、コジェーヴのヘーゲル解釈の試金石である歴史以後の地平についての二人の異なる観点について論じている(これらの書簡はそれから20年後の『開かれ』においてもあらためて論じられていることから、アガンベンがこの主題によせる関心の深さがうかがわれる)。彼らの争点は、人間の歴史が終わりを迎えるとしてそこに残るものは何なのかということだ。バタイユは人間の「用途なき否定性」は一種の「至高性(souveraineté)」として残り続けると考えるのにたいして、コジェーヴは人間が集団として絶対的に承認されたとき、そこに残るのは満足や幸福または遊びの語彙で語られることがらであろうと考えた。

アガンベンはかなり独特な仕方で、この幸福と至高性の問題を歴史以後の地平において捉えようとするのだが、彼にとってこの地平はハイデガーが「生起(Ereignis)」と呼んだ思考の出来事とかかわるものであった。つまり歴史の意味が存在の隠蔽としてあらわれ、そのなかで思考が呼びかけられるという経験としてである。アガンベンにとって、アリストテレス以来の西洋の政治機械が全面的に問い直されるような展望が冷戦の終結とともに開かれた。彼にはそれにともなって地上の政体が「統合されたスペクタクル国家」へと収斂しつつあるようにおもわれた。

ソヴィエト連邦における共産党の瓦解と、惑星規模での民主主義的-資本主義的な国家の隠れなき支配とは、現代にふさわしい政治哲学を立てなおすあらゆる企てを妨げていた主要な二つのイデオロギー的障害を消滅させた。一方はスターリン主義であり、他方は進歩主義思想と法治国家である。というわけで今日、思考ははじめて、いかなる幻想もいかなる可能なアリバイもないなかで、自らの任務に直面している。われわれの眼前の至るところで、「大変容」が遂行されている。この大変容は地上の支配体制の数々(共和制や君主制、専制や民主主義、連邦や国民国家)を次々に、統合されたスペクタクル国家(ドゥボール)と「資本議会主義」(バディウ)のほうへ、つまり国家という形式の最終段階のほうへと導いている。

ジョルジョ・アガンベン『人権の彼方に』(高桑和巳訳)115-116ページ。

アガンベンが「ホモ・サケル」シリーズのなかで遂行することになる分析の起源にある認識は、こうして、イデオロギー的正当化を必要としなくなった支配体制の様式が相互に混じりあって一つの現実に収斂しつつあり、また、この現実にたいして実効的に抗う術がないという苦い認識であった。それらの体制はイデオロギー的に争われたり言論の地平で正当化を問われたりするのではなく、メディアが主宰するイメージの海のなかでひとびとの喝采を受けたり不興を買ったりするのである。社会のスペクタクル化によって、政治の前提が変わり、また人間の生にもその言語能力が奪われるというかたちで生の荒廃が生じる(アガンベンにとって、スペクタクル化とは人間の根源的な言語能力の収奪である)。このような荒廃は、普遍的で同質的な国家の生成と異なる過程ではないのであって、刺激的な光景のなかに釘づけにされた生はそのポテンシャルを蕩尽しなら、限界のない享受のなかで共通のものを生成する能力を奪われ、かつまたその現実に抗うこともできなくなってしまう。スペクタクルと化した生の諸関係はイメージの備給によって無限の満足をあたえられ、そのことが人間的な能力の蕩尽と一つをなし、いわば歴史以後の地平のなかで人間を人間以外の存在に似た何ものかに変えていくのである。これが、アガンベンの前提をなすような苦い認識だ。

政治は与えられたスペクタクルのなかで喝采を叫ぶという経験、もしくはどの権力の代理人に投票したり投票しなかったりするかという抽象的活動に還元され、集団的な抵抗と叛乱の可能性はまったくの無に帰す。アガンベンのヴィジョンのなかで、権力への抵抗の可能性はそもそも権力がそれを絡めとろうとする生の諸傾向と勾配を配分し直す生の形式のなかにしかない、といった風景がひろがる。というのも、歴史以後の地平において妨げられることのない国家権力の主権性は今や、生をその剥き出しの諸規定において抽象化しつつ捕縛する装置と化してしまっているからである。

実のところ、第一次世界大戦の終わりから明白になっていることだが、ヨーロッパの国民国家にとって、割り当てられた歴史的任務などもはやない。[……]いまや問題になっているものはまったく別の、もっと極端なものである。というのも、人民の単にして純な作為的実存を──すなわち、つまるところ、人民の剥き出しの生を──任務として引き受けることが問題となっているからだ。

同144ページ。

しかしながら、到来する思考は、歴史の終わりというヘーゲル‐コジェーヴ的(かつマルクス的)主題を真面目にとらえなければならないし、歴史の終わりとしての生起 Ereignis のなかに存在が入る、というハイデガー的主題をも真面目にとらえなければならない。[……]
 国家の終わりと歴史の終わりの両方を思考し、一方を他方に抗して動員することのできる思考のみが、任務にふさわしい高みに身を置くことができる。

同116-117ページ。

こうして、荒廃した生とそれに対応する政治機械の探索がおこなわれるのだが、それは歴史以後の地平という変化を堰き止められた文脈において無国家的な生の探究と同時的なのである。この点でアガンベンのアスペクトはフクヤマよりもその典拠となったコジェーヴの方に近いのであって、なぜならアガンベンにとって、コジェーヴと同様──そしてヘーゲルとはこの点根本的に相違するところではあるが──、歴史の終わりはある単純な内在平面の組成へと向かうことになるからである。

アガンベンのヴィジョンは裏返されたヘーゲル主義、あるいはむしろコジェーヴの解釈を通して可能になったヘーゲル主義の単純な否定のようなものであり、この見透しが示すのは歴史を形成するのがもはやヘーゲルのいう理性的なものではなく、──つまり理解可能な客観性を構成する主体の力ではなく、純粋な手段性の連鎖のようなもの、意味を欠きただ機能だけをもつ法の力や、例外状態にもとづく主権の決定が織り成す抽象的な政治機械がただそこにあるという事実である。そこに歴史はもはや存在しない。しかしただ国家だけが、正当化されることもなく、みずからが産出するアノミーに対応する支配力を行使し続けている。あるのはどこまでいってもおなじ平面であり、その平面上に西洋の歴史を支配してきた残酷な統治機械が今や真の姿をあらわにして立ち上がるのをみることができるようになり、その平面の上で生はスペクタクルに絡めとられ、また同様にその平面上にメシアニズムにいたるまでのラディカルなアナーキーの夢が描かれることになる。そこに理念や目的、要するにヘーゲルが精神と呼んだもののエレメントは脱領土化されてスペクタクルの流れと化しているのであって、グラムシ的な意味でのヘゲモニー闘争も、ハーバーマス的な意味でのコミュニケーション理性にもとづく討議も、つまるところそこに生政治的主権が居を構える空虚な玉座を讃える「栄光」の機能へと縮減されてしまうのだ。これが西洋の形而上学的な政治機械が歴史以後の地平においてみずからを示す展望である。

確かに、アガンベンの政治哲学は現代の政治とそのなかで生き宙づりにされたいわゆるポスト産業社会におけるひとの生にかんして、ほかにない省察をあたえてくれるものである。しかしその概念の組立は、どこまでも抽象的なもので、その歴史的生成の制度的条件や、再生産の唯物論的条件、あるいはまた、フーコーのように統治性の系譜学を追ってわれわれの現在まで続く近代のテクストの跡を追うこともないのである。彼の分析と診断からは詩的なメッセージ──それは宛先を欠いた、メシア的なものへ向けられた言葉である──を受けとることができるが、それが現実の政治的解放の展望と結びつくことはない。なぜなら彼は、まさに歴史以後の地平において無国家社会の(あるいはむしろ統治されざる生の形式を)探ろうとしているのだが、その探索からはほぼ必然的に、いかなる改革主義的なこころみも、権力を強化するものとして拒絶されてしまうからである。

奇妙なことに、われわれの社会がますます緊急事態に似たもののなかで統治されるようになっていくほど(コロナウイルスのパンデミックのなかで、気候変動の政治のなかで、あるいは金融危機のさなかに)、アガンベンの分析格子は批判的な力をふるうことを放棄してしまうかのようだ。彼の分析からは制度的なものとして凝固した古い権力の堆積層の襞のすべてがその眼を逃れてしまうし、解放は全的であるかそれとも無であるかということになって、部分的な闘争(政治の意味がそれ以外にあるだろうか?)を先導しようとする者は、この「常態化した例外状態」においては、必然的に偽メシアとして警戒されてしまうことになろう。

アガンベンの展望は壮大ではあるとしても20世紀の歴史にたいするハイデガーと同様の無頓着さに帰着するほかはなく、彼は確かにナチズムにおける強制収容所の経験に並々ならぬ関心を払いはするけれども、それはひとえにそうした経験が「我々が依然として生きている政治空間の隠れた母型」であるからそうするので、このパラダイムは現代政治の諸相にたいする解析を大いに制限するものといわざるをえない。例外状態について超法規的に決定する者はしばしば民意から隔離されたオフィスのなかにいて、しかも彼らは主権者ではなく周到に主権権力──あるいは何と呼ぶにせよ、民主主義的な諸制度にもとづく権力──の恣意のようなものから護られ区切られた空間のなかにいるのであって、その空間はまさに制度的に設計されたものなのである。アガンベンは現代における「政治経済学」の甚大な影響力を認めつつも、それを批判的に問い直すときには、そうした決定力をそなえたテクノクラートと政治家、および資本家の少数連合を可能にする制度的条件とその歴史的由来についてまったく触れることはない。彼が現代の「オイコノミア」のパラダイムの探訪に乗り出すときにはただちに中世の神学的テクストのなかで繰り広げられる議論へ向かう。現代の官僚支配(およびそれとスペクタクル的栄光化のあいだの関係)の秘密は、その議論のなかにあって、そもそものはじめからその方向を画定されたものとされる。それは、それらの議論がわれわれの運命を決したからではなく、むしろ存在論的な深みにおいて西洋の政治機械の秘密を探る足がかりとなるからである。歴史以後の地平における政治は端的に根拠を欠いており、根拠を欠いていることが西洋の政治機械の特徴でもあって、その根拠のなさがまさに神学的なアポリアとして争われたのがそれらの議論においてだった。

アガンベンはこうして現代のわれわれにとってとりわけ重大な意義をもつはずの推移のすべてをとり逃がしてしまう。とくに第一次世界大戦以後に生じたことが重要な意味をもつような推移は彼の眼を逃れてしまうだろう。ところがそこには、いわゆる「世界経済」の誕生とそれを統治しようとするこころみのすべてではないにせよ、少なくともその重要な局面が含まれていたのである。第一次世界大戦によってグローバルな経済地図は粉々に打ち砕かれ、そのなかからまさに世界経済が統治理性の関数として、失われた対象として出現してきたのだった。その文脈のなかに、19世紀の帝国主義とは区別される、アメリカを中心とした、またその不分明な国家権力の輪郭と重なりあうような新たな権力の形態もしくは諸制度の力が位置づけられなくてはならない。無論のこと、これを探ろうとしたのがマイケル・ハートとアントニオ・ネグリの2000年の著作『〈帝国〉』であるが、彼らはこれをグローバルな生政治的主権として歴史以後の地平に位置づけることで、アガンベンの政治哲学に滑らかに繋がるものとして構想したのだった。

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