「若く見られた!」と喜んでいいものか。
先日ミュンヘンの美術館へ行った。
チケットブースで、夫は英語で「大人2枚ください」と言った。
するとチケットブースにいた壮年の女性は、私を見て「1枚は学生チケットでいいですか?」と言ってきた。すると夫は「いえ、彼女は学生じゃないので」と否定して、改めて大人チケット2枚を頼んだ。
しかし彼女は「18才以下であれば、誰でも…」というようなことを言い出した。どうしても彼女には、私が大人料金の対象者には見えないらしい。夫は改めて大人チケット2枚を頼んで、私は無事に美術館に大人料金で入場することができた。
「アジア人=若く見える」定説化問題
ここまで確認されることは稀だけれど、ドイツでは「アジア人=実年齢より若く見える」が定説化しているようで、美術館や史跡などのチケットブースでは「学生ではないですか?」「18才以下ではないですか?」と、私はほぼ毎度確認されている。
ちなみにフランスでも美術館などに何箇所か行ったけれど、特に年齢は確認されなかった。ここまで確かめるのはドイツ人の性格ゆえなのか、なんなのか……事情はよくわからない。
もちろん30代やそれ以上の年齢であっても学生の人はいる。
だからきっとがそれらしい人には大抵確認をしているのだろう。けれど、あまりに確認されることが多いので、ちょっと複雑な気持ちになっている。
私はそんなに子どもっぽいのだろうか。
大人らしさが欠けているのだろうか、と思ってしまうのだ。
もしかしたらここは、
「若く見られちゃった!」と喜ぶところなのかもしれない。
でも私は日本にいる間、年齢より上に見られることが多かった。
身長も日本女性の平均身長以上あり、小さい頃から体格もしっかりしているので、10代の頃から20代後半に見られたり、とにかく落ち着いて見られることのほうが多かったのだ。
だから、この住む場所が変わっただけで手のひらを返したような扱いの違いに、正直動揺している。
実は、先日まで通っていた語学学校でもそうだった。
授業のなかで年齢を言う機会があって伝えたところ、同じクラスの生徒たちにめちゃくちゃ驚かれた。
ドイツの人に限らず、アジア圏外の人たちには私は実年齢より若く見えるらしい。お世辞抜きのその驚きの顔を見て、欧米の人たちはなんて表情が素直なんだろうと思った。
同じクラスにいた20代前半のトルコ出身の女性は、私を同じ位の年齢だと思っていたらしく、年齢を言った後にがらっと態度が変わったくらいだ。
私は変に気を遣われるのも嫌だし、別に同世代と思って接してくれて良いのだけれど……彼女には少し申し訳ないことをした。
とはいえ、アラフォーに足を突っ込んでいる人間からすると、18才未満ではないかという確認は、実年齢の半分くらいに見積もられて聞かれていることになる。
そこまで若く見られると、さすがに手放しでは喜べない。
若く見積もられるのにも限度があるのだ。
ヨーロッパでも若さに関する感覚が違う?
そんな日々の中、この前ヨーロッパで長年お仕事をされている少し年上の知人から、ヨーロッパ内でも国によって「年齢・若さ」についての考え方が少し違うという話を聞いた。
その話のなかで、こんな例え話があった。
「マドモアゼル」も「フロイライン」も、フランス語とドイツ語で未婚の女性、ざっくりいうと若い女性を指す言葉だ。
つまり、周りに「若い」と認識されることに対して、ドイツとフランスでははっきりと反応がわかれるということらしい。
もちろんこれは一部で言われた昔の逸話(?)のようなもので、今はフランスも「マダム」呼びが一般化している。既婚・未婚で呼び方が変わることが性差別だとされるからだ。
そしてドイツにも若く見られたい人はいるだろうし、そもそもこういう国民性を揶揄するような例え話を面白がらない人も、今は多くいる。
だからこういう話を引き合いに出すのも、あまりいいことではないのかもしれない。
ただこの話によって、ヨーロッパには「 若い 」ことだけがベストという価値観ばかりではないことが、分かるような気がする。
日本だと「若い」ということは、かなり強力な武器とされている。
特に女性においては、「若い」と「可愛い」はほとんど同義というくらい重視され、若く可愛く見えること目指す人が多い。
最近は美容整形も普通になって、インフルエンサーが「エステに行ってきた」くらいの感覚で整形を報告しているし、SNSでも色々な施術のビフォーアフター動画などが流れてくる。一方で健康被害や詐欺まがいの問題も色々起きているようだけれど。
20歳を過ぎたらおばさん説を唱えるJKが実在した話。
今年の春先、日本のカフェで隣で制服を着た女子高生の会話から「20歳を過ぎたらオバサン」という言葉を聞いたときは、とてつもなく驚愕した。
バイト先の愚痴混じりの会話の中の話とはいえ、その言葉の衝撃はすごかった。ネットなどで噂には聞いていたので、そういうことを言う10代がいることは知っていた。けれどそれは、どこか作りもののような感覚があった。
アイドルの界隈などではそういう話がなくもないと聞くし、もしかしたらそういう界隈の人たちが言っているだけで、街にいるような10代はその感覚を持っていないのでは、と疑ってすらいたのだ。
だからこんな近くに、本当に、そして目の前に生存している女子高生たちから聞くことになったことに驚いた。
私も学生だった頃、社会人になりたての新任の先生たちですらとても大人に見えた。だから10代が20代を大人だと認識するのは理解できる。
でもその女子高生たちの話しぶりは、10代には20代が大人に見えるとかそんな次元ではない、「20才以降の人生は終わっている」というような言いぶりだった。
人生100年時代にしては、人生のピークが早すぎないだろうか。
むしろそうなると、彼女らはあと5年もしないうちに20才を迎え、おばさんとしての人生が始まることになる。
その事実はわかっているのだろうか。
そしてそれを受け入れられているのだろうか。
愚痴の勢いで言っている部分もあるのだろうけれど、色々疑問が残る。色々な疑問を彼女たちに聞いてみたい衝動にかられたけれど、やめておいた。
相手の立場から考えたら、さすがに怖すぎる。
なんの影響かはわからないけれど、最近の見た目の可愛さや若さへの執着は、私が10代、20代を過ごした頃よりもはるかに強くなっている気がする。これはきっと、彼女たちが急に思いついてそう言っているのではない。
きっと彼女たちの目から見える社会に、そう感じさせる何かがあるのだろう。
理由を明確にいうことはできないけれど、私もなんか分かるような気がしている。
ドイツはなぜ「フロイライン」で怒るのか?
そんな話はさておき、ドイツに話を戻そう。
さっきの例え話にあった、ドイツの女性が「フロイライン」と呼ばれて怒るのは、若さが嫌いという話ではない。
話した人いわく、自分が子供として扱われる、つまり「大人として正当な扱いを受けられていない」ということに不満を持つ人が多いということらしい。
おそらく、ドイツには若いことに日本ほどの価値を感じていないのだ。
むしろ「若さ=未熟」というような感覚が強くて、見下されているとまでは言わないにせよ、対等に扱われていないような感覚があるようだ。
子どもは大人に比べて持てる権限や責任が制限される。
大人であれば、ほかの大人と同様に権限や責任を持つかわりに、一人前の人間としての扱いが受けられる。もちろんそこに、性別の差などは関係ない。
質実剛健なドイツの人たちの感覚からいくと、容姿などのような変化の激しいものより、変わらない確かなものをとろうとするのは、なんか分かるような気もする。
「経験」という確かなスキルは年齢を重ねることで熟成する。
そういう確かなもののほうが大事という感覚があるからこそ、本当に若いとしてもそれを露骨に言われ、「若い=未熟」であると判断されるのは喜ばしいことではないということなのだろう。
まとめと私の目指すところ
だいぶ遠回りになったが、そんな価値観のあるドイツで若く見られるというのは、素直に喜べない感じがある。
この国において、歳を重ねた大人であることは良いことなのだ。
そもそもチケットを売るための年齢確認だし、相手にこちらを喜ばせる意図もそもそもないのだから、そこにどういう気持ちを抱けばいいのかと悩むこと自体がそもそも無意味ではある。
「そもそも」が3つつけたくなるくらい、そもそもな話だ。
それはわかっているのだけれど……
小さい頃から若さや可愛さより、大人っぽく美しくあることに憧れていた人間としては、できれば見た目や佇まいから「 この人は大人だ 」と認識されたいと思ってしまう。
今、アラフォーを謳歌しているからこそ、余計にそう思うのだ。
でも、最初に書いたようにドイツでは特に「アジア人=若く見える」という認識が強いようなので、子連れとかでもない限りこれからも年齢確認はされ続けるような気がする。
この国はアルコール度数が低いお酒なら16歳から飲めるのが、せめてもの救いだ。レストランでお酒を頼むたびに年齢確認をされていたら、たまったものではない。
それに、少しでも適切なチケットを売ろうとしてくれるのは、とてもありがたいのだけれど。
アラフォーで年齢確認は……やっぱり、ちょっと複雑だ。
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