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456.来るものには意味があって、去るものにも意味があるんだね。

(17)人生を好転させる方法
1. 去る者は追わない、来る者には意味がある


 考えて見たら、coucouさんはね、たくさんの人と出会い続け、たくさんの人と別れ続けてきた。その数を数えるのも恐ろしいくらいの数だった。

みんなは、どうかな?

今までであってきた人の数と、別れた人の数はどのくらい?
 
でもね、人は離れると、会ってみたいと思ったり、いつも会える環境だから今すぐ会う必要はない、とも考えてしまうよね。
 
「去る者は追わず、来るものは拒まず」って言葉があるけれど、それは去る者をどんなに引き留めても「去りたい」のだから強制したって無理だもんだね。
 
まさに、「別れは縁の切れ目」といえる気がする。
 
だからと言って、別れには必ず「未練」というものが残る、その未練の実態もね、「自分の勝手な都合」であったり「単なる我儘」という場合が多いような気がする。

誰だって、別れって嫌なもの。
ましてや、大好きな人との別れなんて嫌だよね。
 
別れることによって恨み、憎しみ合うのも不思議な縁だけど、そもそも別れが恨み、憎しみになること自体がおかしなことのような気がする。

問題は別れた相手が「幸せか、どうか?」だよね。
(愛と憎しみ、愛は憎しみなんて言葉もあるね)
 
そう、未練って、自分の都合の押しつけなんだもの。

別れって、男女間、恋人同士、夫婦、友人関係、距離、死別、と様々な種類が存在するけど、すべて離れる、別れる、去るっておんなじことは同じ。
 
この世に生きているか、死んでいるか、だけの違いで二度と会わないつながりであれば、まるで同じものだと考えられる気もする。
 
でもね、「本当の良き縁」というものがあるとしたらどのようなものかな。やっぱり、互いが離れ離れになろうとも、互いがその出会いに感謝して、互いが幸せを心から願い合う関係が「本当の良き縁」といえないかな。
 
だってね、悪い縁など存在していないはずだもの、すべての出会って「良縁」と呼べるかもしれないからね。

最初の出会いを想い出してみたら、みんな大好きだったはずだよね。
お互いが気に入り、手をつなぎ、心も繋がっていた時もあったよね。
誰が見ても、あんなに愛し合っていたはずなのに、あんなに仲が良かった者同士だったけれど、離れれば憎んだり、恨んだり、ののしり合ったり、そしり合う。
なんだか、とても悲しいよね。

あの時の素晴らしい出会いは一体何だったのだろうね。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 


2. 来るものには意味があり、去るものにも意味があるんだね。


縁には「良い縁」と「悪い縁」というものがないということが、coucouさんは年を重ねてくるとわかるようになったんだ。
嫌な想い出もたくさんあるけれど、良かった想い出もたくさんある。
でも、良かった想い出って簡単に嫌な想い出の方の比重が大きすぎて、つい忘れてしまいそうになる気がする。

また、あんなに嫌な想い出だったけれど、今振り返ると、とても素晴らしい想い出に変わる場合だってあるんだ。

問題はね、その縁を良くするのも、悪くするのもすべて自分が決めているということなんだ。

もしかすると、私たちがとても嫌う病なども、縁あって出会っているものかもしれないと思う。

歳を取れば誰もがどこかしら、痛い部分や病が出はじめる。

それも良い縁かもしれない。

いや、良い縁だと考えてもいいかもね。
だって、嫌ったってその病は無くならないし、自分の病なんだもの。
だから、coucouさんはね、随分と遠回り人生だったけれど、その自分の病も良い縁、愛するように考えるようになったんだ。

物事のすべて、一切が縁という宇宙に結ばれているのなら、病も当然、大切な縁のひとつといえる気がするのさ。

coucouさんは、年末と7月入院し手術をした。実は3回目。
もう、いや~
医師さんたちはcoucouさんに安心ではなく恐怖を与え、脅かす。
病は悪、悪者。
だから、切り取らねばならない。
でなければ、命の保証はできないなどと脅かす。

最初は嫌な縁だと思ったけれど、だんだんと手術日が近づくたびに、病気のお別れの準備となる。

病だって出たくて出ているわけではないよね。
人間と共生できなければお互いは去る運命だもの。

あんたも心中するんだからね。

それに、coucouさんの身体の一部が手術によって取り去られ、お別れするのだもの寂しくもあり、嬉しくもあり、生きようとする人間の本能がある限り、それらともお別れの準備が必要となる気がしたんだ。
(前回、前々回とも見せられても薄気味悪くてお別れしなかった…)

coucouさんはね、入院するたびに、またまた人生のオーバーホールだと思うんだ。

「病のある者は幸いなり」って、言葉があるように、病はね、coucouさんに生きることの大切さをそのたびに注意、警告をしてくれているのかもね。「あなたは、まだ幸せなんだよ!」というメッセージのような気がする。

まあ、無事に生還できたこと。

無事に切り取られたcoucouさんの一部を見せられて、お別れできたこと。
まだまだ、やること、残されたことがたくさん無限に存在しているってことを、病気をするたびに考えさせられてしまう。

まさに、これも「良い縁」との出会いかもね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

毎日が、苦しい。
毎日が、辛い。
毎日が、針のむしろ…。

もう、いい。
もう、満腹。
もう、こんな人生なんていらない。
だから、産んでくれた両親を恨む。
だから、神なんて信じない、信じられない。

それに、街ゆく人たちって、人はみんな幸せそう。
世界中で、こんなに悲しい、苦しい人間なんて他にはいない。

そう、ただ苦しい…。

苦しいとね、寂しくなる。
苦しむと、人が良く見える。
苦しいとね、一人ぼっちの孤独地獄。

まわりの景色なんて感じることが出来ないし、何よりも自分以外のことなど目に入らない。そう、ただ自分のことだけ。
たとえ、人に思われていても、たとえ、人に心配をかけていても、たとえ人を悲しませたとしても、そんなことすら感じない。

孤独な世界。

するとね、物事のすべては自分の都合の良いことしかわからなくなる。
そう、甘い言葉、優しい言葉などかけられてしまえば、勝手に嬉しく感じて泣いてしまうときだってある。

そう、自分にとって都合の良い言葉だけが支えになる。

自分にとって、都合の悪い言葉を言う人、耳に痛い言葉を言う人なんて信じないし、信じられない。だから、周りにいる心優しき人たちのことだって疑いの眼差しに変わる。

そう、苦しいという地獄。

みんなは、わかるかい、こんな世界を。
これって、coucouさん自身の長い、長い時代の話なんだ。

苦しんでいる人たちって、心の中では人を信じない、信じようとはしない。なぜってね、自分の目の前の苦しみを取り除かない限り無理な話。自己本位、エゴ、他人無視となってしまうのさ。

だから、苦しい人の、追い詰められた人の心情がよくわかる。

だけどね、解決方法はただひとつ。

自分のことよりも、相手のことを考えることさ。

3.来るものと、来るもの、救われるもの


数週間前の話だけれど、ある女性から相談を受けた。
coucouさんって、まるで相談屋だね。
きっと、ビジネスにしたら儲かるのかも知れないけれど、そんな人の不幸を仕事にするなんて、それが好きな人に任せればいいもんね。

彼女は50代後半独身、とても美人。
だけど、coucouさんの彼女でも、親友でもない。
では、何で相談しに来たのかと言うと、coucouさんの酷すぎた人生を知っていたからなんだ。

きっと、酷すぎるcoucouさんの人生を知っているから、プライドとか、なりふりなど関係なく話ができるのだろうね。(立派な人には相談できない…)

相談内容は、もちろん、お金しかない。
案の定、借金だらけ。
でも、その借金内容を聞いて驚いた。それは自分の年老いた父のために借金を重ねてきたことだった。今までは、互いは別々に暮らしてきたけれど、彼女の父は高齢を迎え、病となり介護が必要となった。

彼女は、様々な病院に出向いたが原因不明。むしろ、もうすぐ90歳と言う高齢に近いため、歳のせいにされてしまう。そこで、父のために、仕事を辞めて完全介護を始めた。一人暮らしの生活だったため、このままでは死んでしまう、だから自分で介護する決心をした。

しかし、食費、医療費、生活費や家賃、光熱費、返済金と重なり、彼女は様々な場所で借り入れをし続けて、もうどこからも調達できなくなった。
そして、彼女も病気となり身体もおかしくなった。

その事の相談だったんだ。

coucouさんの今までの体験や経験による助言が欲しい、ということだった。もちろん、coucouさんのおせつかいの性分はここでも無意識に動いてしまう。

そこで、提案した。

(1)自己破産
(2)生活保護
(3)介護認定の三点。

みんなも知っての通り、自己破産ってね、すべての借金がなくなるという合法的な処理。人間の生きる権利の一つ。生活保護も同じ。介護認定を受ければ治療費が軽減できる、と当たり前のことだけれど、システムや内容のレクチャーをした。

この567禍で6人目だった。
でも、(1)(2)(3)は嫌がった。
そう、最初はみんな同じ。

だけど、国民として当然の当たり前の権利なのだけれど、ほとんどの人は嫌がる。でもね、coucouさんは、たくさん人と接してきて思うんだ。
みんな、おんなじように嫌がるってことをね。

で、ほとんどの人の嫌がる理由は、「みっともない」「恥ずかしい」「笑われる」「みじめ」「恐い」「心配」「世間体がある」「人や家族に知られたら困る」「そこまではしたくない」と。

coucouさんは、はたと、ここで止めた。

この人も自分の都合の良い言葉を求めている。
もっと、簡単で楽な方法を臨んでいる。
coucouさんはある意味、赤の他人だから相談できるんだね。
もしかすると、誰でもいいのかも。

coucouさんもそうだったからね、わかるんだ。

でもね、世の中にこれ以上の方法はないんだよ。
これは素晴らしい、我が国の救済方法なんだ。なんら恥じることもないし、国民として当然の生きる権利だからね。

そうやって、人は、くだらない見栄やプライドで人はこの世を去るのかな。

一体何が、間違いで、何が悪だというの?

お金の病なんて、人間が勝手に生み出した病気の一つ。
お金や神さまなんて、人間が自分の勝手な都合で生み出したもの。
その紙切れに翻弄されてしまう人間たち。

翻弄されきったcoucouさんだから言い切れるんだよ。

だけど、彼女の目は真剣だけど、その目の中は自分のことだけなんだ。
そう、みんなと同じ、恥だと思っている。
その理由はね、coucouさんの助言を、已む得ないことなんだけれど、全部否定していることなんだ。それにいくら説明しても信じない。そんなことはないんだよ、といってもそうじゃあないと思う、という。

ならば、相談は要らない…。

最後にcoucouさんはね、こう伝えた。
それはね、(4)つ目の考え方だった。

「お父さんに本当のことを全部隠さないで話してみたら、どう?」
すると、
「病気の父にそんなことは話せない。そんな話をしたら驚いて死んでしまうかもしれない…」と興奮して、coucouさんに大きな声で言い返した。

「でもね、それでもいいから、話してみない。お父さんに一度くらい甘えたっていい。だって、こんなに一生懸命にお世話して、こんなにも大好きなお父さんなんだから、いつまでも隠し続けたって変だと思うんだけど」

「いや、そんなこと死んでもできない…絶対に無理…」という。



ほとんどの相談者は同じなんだよ。

coucouさんは助言するたびに、相手から嫌われて顰蹙を買っているような気がするんだけれど、相手が真剣なら、coucouさんだって真剣に答える。
だけど、真剣に答えれば答えるほど、相手の望む答えと離れてしまうことがわかる。

人生の岐路。
人生の踏み絵。
人生と言う縁。

coucouさんもそうだったから、偉そうなことなんて言えないよ。
だけどね、完全には解決はないけれど、すべてクリアしてきたんだ。
すると、ほとんどの人はいう。こう、否定するんだ…。

「それはね、coucouさんだからできたのよ!」と。

う~ん~

決まり文句だね。

確かにoucouさんも同じ、耳の痛い話には否定ばかりしてきたからね。
(同じ穴のムジナだもんね)

だけど、coucouさんとの違いがあるとしたら、coucouさんはね、心配してくれる、思っていてくれる人たちの助言を信じて、その通りに動いたことだけのような気がする。
(人の意見を受け入れたんだ)
そしてね、年老いた父や母、たったひとりの弟、coucouさんの家族だけのことを考えるようになった。

そう、自分なんて、どうでもいい。
そう、自分の都合なんて捨ててしまえ。

苦しいときには何も見えないのだもの、coucouさんを心底思ってくれる人たちにはcoucouさんのことがわかるんだよ。

助言者たちには何の利益もない。

あるのは、その人の幸せだけを望んでいるだけなんだもの。
何も得することはないんだよ。
それが、たとえ間違いだとしても信じる、信じてあげても良い気がするんだ。
(だって、するしない、やるやらないは自分が決定することなんだから、助言者を否定する意味はないんだものね)

どんな嫌なことだって、すべては終わりよければ、それで良し、なんだよね。人の優しさとか、思う気持ちが見えるようになると、苦しみは軽減されるのさ。

その日も、とても疲れた…。



数日後、彼女から連絡が来た。
お父さんに全部話した、という。

本当のことを言うって大変だったと思うよ。

だけどね、年老いたお父さんはね、きっと、嬉しかったと思う。
だってね、娘が本当のことを言ってくれたんだもの。
こんな年老いた父親に甘えてくれるなんて、こんなに幸せなことはない。
なによりも、娘が父を信じたんだもの、こんな素敵な冥途の土産はない。

だってね、きっと娘さんに、迷惑をかけ続けて、申し訳ない、と思い続けてきたんだと思うからね。

何よりも、うれしいことは、父を信じたこと。
父に甘えたこと。

そして、coucouさんの助言をこれから全部実行するという。
coucouさんはね、嬉しくて、電話ごしで、泣いていたんだよ。

あなたがお父さんを救うために尽くしてきたけれど、
本当は、お父さんがあなたを救ってくれたことをね。

そう、最後まで一緒に生きていくんだよ。

そう、しっかりとお見送りして欲しい…。

これから、離れ離れになるんだものね。


©NPО japan copyright association 


Brenda Lee - Emotions (1961)

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Character design©NPО japan copyright association Hikaru




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