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562.文章って、手で「書く」ってこと、とパソコンで「打ち込む」大きな違いは、感情を表現するとき違うんだね~

【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論⑳】

1.「書く」ってね、筆圧によって感情表現がしやすくなるんだよ


「書く」って、なあ~に?

あくまでも、coucouさんの場合なんだけれど、例えばね、
「冬、来たりなば、春遠からじ」

わずか13文字、数秒。

もちろん、coucouさんが書くと、下手な字なんだけど書きながら瞬間に情景が浮かぶ。

それと、書いた瞬間に、自分の書いた文章に実感が湧き起こるんだ。
これって、パソコンを「打ち込む」という感情と違って、自分の気持ちや言葉をストレートに表現することができる気がする。

日大教授の森昭雄著『ITに殺される子どもたち』という本の中で、「打つ」と「書く」とでは脳の使い方に大きな違いがあるということを書かれていた。

この本はね、単に文章を書き写す作業を、手で書いた場合と、コンピューターで打った場合の比較実験結果だった。

「文章を書くときは、脳の命令で手を動かして、その動きによる皮膚、筋肉や関節からの感覚情報を小脳や大脳皮質に入力します。
小脳からの情報は視床核を中継し、…中略…運動細胞を興奮させ、多くの筋力を運動神経によって時系列的に働かせ、かつ視覚情報も取り入れるから、文章が正しいか否かの判断をおこなっています。…中略…
しかし単純なキーボード打では、筋出力系文字と書く場合より簡単です。
その結果、一連の作業で脳にインプットされる情報も違ってきます」
という。

また、

「コンピューターのキーボードで漢字を打ち込むことも、鉛筆で漢字を書くことが基本的にまったく異なる脳の働きであり、筋肉活動によるためです。

コンピューターは必要な文字を視覚情報により選択し、指を使ってコンピューターに打ち込みます。

一方、書くことは脳の記憶中枢から漢字を引き出しアウトプットして文字を書きますが、そのときも多くの筋人が働いて指や手首を動かし、かつ筆圧からの情報が脳の感覚野にインプットされ、またアウトプットされというふうに、たえず反復しているのです」

へえ~
そうなんだ~

「書く」ってこと「打つ」ことがまったく違うんだね~

たとえば人の文章をパソコンで打ち込むとき、当然視覚から入るけれど、ただ打ち込んでいるだけで、その文章の中身をきちんと覚えていることはむずかしい。文字を打つことのみを考えているわけだから、文章の中身はあとになってしまうんだね。

だから、文字の早打ちの友人がいるんだけれど、
「coucouさん打つので精一杯なんだから、読んでいる暇なんてないわよ~」、と怒られたことがある。

ふ~ん~
見てるだけなんだ…。

このように文章は手で「書く」ってこと、とパソコンで「打ち込む」ってことの大きな違いは、感情を表現するときに異なることもわかり気がした。

つまり、書いたという実感、充実感、満足感、感動や喜びがまったく違うということなんだね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.美しい文章、美文は相手の心に残らない!


 文章は下手でかまわない。

文章は美しくなくてもかまわない。

文章はキレイでなくてもかまわない。

ただ相手の心に残ればいい。

「初夏の風にうっすらと肌が汗ばんでまいりました」

「鮮やかな若葉の色がまばゆいほどの季節です」

「吹く風ももう夏の香りを運んでまいりました」

これは一般的なご挨拶文。

どう?

丁寧で文は美しいよね。

でもね、文章は美しく、キレイであれば人の気持(感情)が届くと思ったら大間違い。確かに文章は下手より上手の方がよいと思う人が圧倒的だけれど、これじゃあ、個性とか独自性なんて伝わらない気がする。

どうしてって?

だって、ありきたりの言葉なんだもの~
どこでも使われているような言葉ほど、つまんないよね~

それに、相手の顔(感情)がわかんないもんね~

だから、逆に、人の心にまったく残らないと気がするんだ、
coucouさんはね~

親しみを感じない、あたたかさを感じない、心に残らないのが美しい言葉、キレイな言葉、多くの人が使っている言葉はたくさんある。

これが美しく、キレイな、上手な言葉の弊害のような気がするんだ。

みんなが美しくて、キレイな言葉を選べば、独自性、味を失っちゃうよね。だから、coucouさんみたいな下手な文字を書くコンプレックスは、ペン習字を習えばマシになると言われたときもあったけど、その教科書通りの字になればcoucouさんらしさを失ってしまうんだよね~


このnoteを読んでいる人たちはおそらく、文芸作家になろうとか、大学教授のような難しい論文を書こうとか、有名な小説家を目指している人たちではないと思うし、個性あるクリエイターさんたちなんだもの~

だから、もっと、もっと表現は自由でかまわない気がするんだ。

もっと、もっと自然でかまわない。

たとえば、

「こんにちは!暑い、暑い夏が来ましたね~」

「若葉って、とても可愛らしいですね。この季節は大好きです!」

「なんだか、そろそろ夏の匂いがしませんか?」

この方がわかりやすい、伝わりやすいはずだよね。

たしかに決して美しく、キレイな言葉ではないけれど、相手の心に残ればいいんだもの、届けばいいんだもの~

だから、思うまま、感じるままが本当の自分らしさの表現で、その自分らしさが独自性のある著作者になる近道の気がする。

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3.日本語は書くことに歴史の意味がある


何度も言うけれど、パソコン文字や文章を否定しているわけじゃあないよ~
パソコンやケータイも今の世の中、大切で必要なものだもんね。ここではね、「書く」ことの楽しさをお伝えしているだけなんだ~


もともと本の世界、印刷の世界、イラストや絵、書の世界でも共通しているものがある。

それは「天」と「地」という言葉。

紙面に向かって上の部分を「天」と呼び下の部分を「地」という。

寸法の世界でもA4サイズを天地(縦)297×左右(横)210センチといったりするように必ず紙を横に置いても上の方を「天」、したの方を「地」というよね。

みんなは知っていると思うけれど、このようにいわれなくても人は無意識のうちにこの「天」と「地」を理解している気がする。
だから、文章って、論文や一部の文章を除いてはほとんどが上から下に書かれている。パソコンなどは横書きが主だけど、本は縦書きが多い。

最近は横書きの本も増えてきているけど、coucouさんのは、このような本はただ見にくく感じちゃう。

noteは横でもいいよね~
天から地なんだもの~

でも、パソコンは、疲れちゃう~

前回もこのnoteで紹介したけれど、京都精華大学教授の石川九楊さん、平成三年『書の終焉—近代書史論』でサントリー学芸賞、平成一四年『日本書史』で毎日出版文化賞を受賞した方で、祥伝社より発行された横書きが日本人を壊している『縦に書け!』という本の中で、次のことをいっています。

「『天地神明に誓って』という言葉があるように、縦に書くこと、天すなわち神に誓った言葉であることを意味します。
特別な宗教がなくても、日本人は書くことで宗教的な心を着なってきました。日本人の心が荒廃してきたことと、縦書きが忘れられてきたことは、決して無関係とは考えられません」

また、「縦に書き、横に話す」と「横に書き、縦に話す」ということについては、

「日本語を横書きでよいと考える人は、英語を容認できるでしょうか?
もちろん、ありえないことです。
しかし日本語を横に書くというのは、実は、これは愚行です…。
漢字を中心にした東アジアの言葉は「体に書き、横に話す」という構造になっており、日本の文科は、この構造に規定されています」

と述べていた。

日本語の文字と文は「天」と「地」の持つ現実の世界を写し取るひとつの表現として、天(上)から地(下)に向かって垂直に掛れるもの、すなわち縦に書くものとして生まれ、育ってきたもので、それを横に書くということは、ほとんど英語を縦書きするのに等しいことです。

書くことが「自省」と「自制」を生む

かつては「蟹行文」という語があったけど、ワープロやパソコンで文を「横向き」に書く、あるいは携帯電話でメールを打つ場合は、「天」と「地」という上下の関係と重力を意識する必要はなくなる。

言葉はまるで川の流れのように、横にさらさらと流れていくだけ。
もちろん、それでも考えながら書いてはいるのだけど、そこかに天からの重力は存在しないので、たえる力も踏みとどまる力も生まれず、「自省」や「自制」の力が働く予知は少なくなるという。
したがって、「横書き」の言葉は、話し言葉に近い、手応えの薄い言葉にならざるをえません。

このようにもともと日本語は縦につくられており、横に使用するために作られてはいなかったということがわかります。

横文字、横書きの文章の見にくさって、このようなところから生まれているかもしれまない気がするね。
これは書道などの世界をよく見るとわかりやすい気がする。

だからといって、coucouさんは横書きの文章を否定しているわけでないよ~noteやパソコンの文字は、やっぱり横なのかなあ~

4.自主出版の醍醐味~歴史本~

歴史の本と言ったら、coucouさんの尊敬するレキジョの代表で、エッセイストの千世さんほどの追求心は足りないけれど、ご当地モノなら誰もが生まれ育った場所だから多少は知っているような気がするね。

2007年(平成19年)より、4月の29日が「昭和の日」として祝日になった。
もともとは「みどりの日」だったのは記憶に新しい。

この地には、大正天皇の眠る多摩陵と、昭和天皇の眠る武蔵陵が並ぶ。
そして、平成、令和と続く場所。

これも、前回と同じ市民企画補助事業による補助金によって出版した本で、2年連続補助金をいただいて出版。

また、これも以前のcoucouさんが「下手に書きなさい~」で紹介した、ふだん記運動の創始者故橋本義夫さんが残した「揺籃舎」さんより発行したもので、約6,000冊と言うボリームのため、数か所の本屋さんだけでなく地元の本屋さん、隣町の本屋さんのすべてに置かしてもらうことにして、この揺籃舎さんがバーコードを付けて本屋さんに置くことにした。

大量の場合はバーコードがあれば数量がわかる。
ただ、取次店は通さずに、「揺籃舎」さんと「著者」で利益を取ることにした。(書店の手数料は10パーセント)

また、発行者はNPО法人地域生活文化研究所、理事長は故大野聖二、専務・事務局coucouと言う組織体とした。
(現在は、このNPОをcoucouさんが引き継ぐ予定)

後にお話しする予定だけれど、個人で売るのか、法人格を取得して法人として売るのか?という今後の課題も残る。

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さて、気になる内容は~

※自主出版の4冊目のご紹介

【自主出版④】

小B6判サイズ174×112変形コンパクト版
ページ数32頁
色 オールカラー
製本 中綴じ
部数 6,000冊
費用600,000円(1冊あたり100円)
販売価格300円+税

販売価格300円×6,000部=1,800,000万円

補助金600,000円のため原価ゼロ円

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意外と、意外~
地元で生まれて、地元で育ったとしても灯台下暗し、意外とわからない。
ましてや800年前から1000年前までの歴史を語れる人はほとんどいない。

ただ、大野さんは古文書を研究していて、それを読める能力があったので市や郷土資料館から頼まれて翻訳していたり、当時の手に入らない古文書なども持っていた~

そして、地域の800年近いお寺の所蔵している資料などから自らが出向き、誰も知らない街の歴史や文化をまとめ続けていた~

この街の埋もれてしまった文化や歴史を子どもたちに伝承する、というのが、このNPО地域生活文化研究所の大きな目的~

そこで一銭もかけずにたくさんの人たちにこの本を使って知らせたい図書館、資料館等にはかなりこの本を寄付し、つい最近も再販をした~


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時流や流行、一切関係なし、日本中の歴史家さんやアマチュア歴史家さんたちも、みんなこうして本にすればいい。100年以上残り続けるペーパーブックの面白さ~
ちなみにブックオフで500円(定価は300円)で売っていた~
価値を知って売っているのかどうかは定かではないけれど、地元紙というもまはとても強い、やっぱり、ご当地モノなんだね~

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そう、これはガイドブックだからマップ付き~

よく見て見れば、わかる人はわかるよね~
いちょう並木の4.5キロの沿道だってことがね~
【coucouさんのイベント論参照】

そう、大正天皇がご崩御なさり、多摩御陵の造営に伴い記念植樹として沿道に880本(現在は約756本)植樹された道。
大野さんは、このお祭りの創始者、coucouさんにブレーンストーミングを教えてくれた地元の歴史家さんなんだ~
ただ、coucouさんは歴史に弱いため、せめて地元くらいは勉強しょうと学び続けた…。


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これは、JR高尾駅駅舎から
大正天皇ご崩御に伴い新宿御苑仮停車場を移築して現在120年を超える文化財。日本の駅100選にも認定されている木造の二枚屋根のつくり。この設計者は出雲大社駅を設計した方。出雲大社は2枚屋根~

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そして、多摩御陵、武蔵陵に向う沿道のイチョウ並木、もうすぐ植樹されてから100年を迎える。

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JR高尾駅南口には日本最大の「菅原道真公銅像」が山の山頂から街を見下ろしている。その目線は大正天皇の眠るお墓だという。
その理由は、大正天皇は子どもの頃から病弱だった。菅原道真公も病弱だった、大正天皇は幼き頃から菅原道真公の句や書物に親しみながら敬愛し続けていたという。

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coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

さて、【お馬鹿なoucouさんの自主出版論】は、いよいよ最終回を目指す~
ラストはね、イラストやキャラクター編、自伝編、そして言葉編の実例と販売方法を伝えます~

さらに驚くべき、売り方~
こんな販売方法もあるんだよ~
もお伝えしたい~

このシリーズはかなり時間がかかっている~

だって、みんなに出版してもらいたいんだもの~

そしてね、成功もしてもらいたい~
その前には本を出版してもらいたいんだ~

時間はあるよ~

だって、note記事作品だってたくさん溜まっているじゃあない~
みんな、凄いよね~

今年中に出せれば出せばいい~

もう、このnote記事を読んで、出版の準備をしている人たちもいる。

凄いね~
うれしいね~

だってね、10,000円代で本が出版できるんだよ~
なかには、coucouさんに似たひねくれもんもいる~

本の数が少なすぎるって?
なに言ってんの~
ちゃんと読んでください~

本の寿命のあるものもある。
それは通常の出版契約なんだけれど、長くて大体10年契約、短くても5年くらいかな~この契約年数っていいかげんなんだよ~

この契約年数に同類または、この内容の本を、他で出さないでくれ、という独占契約みたいなもんなんだ~

するとだよ~

それ以外で使いたい場合、それ以外で出版したい場合、二次使用の場合に面倒くさくなる。そんなの狡い、再販してくれるんならいいけれど、10年間も眠らせたくないからcoucouさんは「3年契約」又は「甲乙協議の上契約の更新を認める」としている。

だって、3年や5年もしたら時代は大きく変わるし、再編集してでもまた出したい~出してくんなければ自主出版したいんだ~

電子書籍にもしたい~


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とまらない~
coucouさん~

みんなのところに行けなくなった~
スキもコメントも遅くなっちゃったけれど、必ず返信するからね~
このシリーズが終わればcoucouさんの本当の新年明け~
思ったより、手ごわい~

でも、楽しい~
だって、みんなの本が出るんだもの~
出版したら必ず売ってね~

みんなにも紹介するからね~

じゃあ、またあした~

6,927文字~ごめんなさい~


 Fame - Irene Cara - HQ/HD


coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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