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501.死ぬのをやめた、人たちのお話と、やめることのできなかった人たちのお話【前編」

coucouさんのお仕事論㉑



 

1.coucouさんの誓い


悩んでいる時、苦しいとき、
誰でも無意識なんだけど、自分のことばかり考えてしまう。
 

だって、とても苦しいんだものね。

でもね、coucouさんはね、苦しいときほど自分のことじゃあなくて、
相手のことを思い、考えるようにしたんだ。
だって、あまりにも苦しすぎるんだもの。

するとね、ちょびりだけれど気持ちがとても楽になれるんだ。
 
coucouさんはね、毎日、苦しく辛い日々を長い間過ごしてきた。

どうしてって?

それは、仕事が順調にも拘わらず、会社が潰れたらどうなるのだろう?
とか、どうしたらいいの?と思い悩み続けていたからなんだ。
人間関係はもちろん、生活も精神までも苦しい…。

もちろん、経営が苦しいときもおんなじだった。
お金があっても、なくとも苦しいんだ…。
だからお金だけの問題じゃあない気がした。

 
きっと、coucouさんは、経営者には向いてない…。
そう、ずぅっと考え続けていた。
でも、もし経営者じゃあなくて会社員だったらどうなの?

うん~、やっぱり、おんなじかもしれないね…。


©NPО japan copyright association Hiroaki


 
 
coucouさんに娘が誕生した。

少し大きくなった娘と、公園で遊ぶのは久しぶり。
いつも仕事、仕事と言い訳をしていたからね。
本当はね、このまんま、ずうっと一緒に、いつまでもこうしていたい…。
でも、頭の中はいつも仕事でいっぱいなんだ…。
 
娘はね、嬉しそうな笑顔で遊んでいた。
きっと、久しぶりの公園に連れてきてもらったから嬉しかったんだと思う。べたべたと甘えるんだもん。

するとね、coucouさんの顔を覗き込んで不思議そうな顔をして、

「どうしたの?とうたん元気ないね…」

「ねえ、笑って」というんだ。
 
娘の前でそんな顔をしていたか、coucouさんね、想い出せないけれど、
一生懸命に笑おうとした、でも笑えないんだ…。

「とうたん、かわいそう…」と、娘はいって、coucouさんの頭を撫ぜるんだ。まだ幼稚園にも行ってない幼い娘。
 
恥ずかしい話だけど、coucouさんは涙が止まらなくなった…。

きっと、周りにいたお母さんや子どもたちは不信に思ったかもね。
だって、小さな子どもの前で大の大人が、それも男が馬鹿みたいなんだものね…。



 
ひとりぼっちで、誰も理解してくれない、
誰も、わかってくれない、信じてくれないと、coucouさんね、そう思っていたんだよ。

もう、coucouさんにはね、誰も味方がいないし、理解者なんていないと思い込んでいたんだ。

そのとき、こんなに身近に、幼い娘がたったひとり…。

coucouさんの味方だった…。



 
coucouさんはね、この子のためなら何も怖くない、恐れるものはない。
この子のためならcoucouさんは死んでもかまわないって思ったんだ。
 
そう、信じたんだ~

 
coucouさんはね、このときから、
悩みや苦しみが少しずつ遠のいていくのを感じた。
 
それからは、苦しくなると、coucouさんはね、娘や大切な人のことだけを考えるようになったんだ。

なんて酷い、父親なんだろうね…。

coucouさんの闘いはね、こうして始まったんだ…。
勝てなくったって、絶対、絶対に負けないよ~

この子を守り続けるんだからね。

そう、この世を去ろうなんてこと、やめたんだ…。

そう、誓ったんだ!

©NPО japan copyright association Hiroaki



 
 

2.考え方を変えて見よう


人って、自分の「思い込み」という妄想の世界で物事を判断してしまうよね。coucouさんがまさにそうだったからわかるんだ。

するとね、不安、心配、恐怖心に陥ってしまうんだ。
だからね、一度、その「思い込み」を捨ててみようと思うんだ。

そんなに簡単なことじゃあないよ、って声が聞える。
でもね、coucouさんも長い間、そう思い続けてきた。
だから、長い、長い間苦しみ続けてきたんだ。

でもね、「coucouさんの誓い」じゃあないけれど、娘に誓ったら一瞬に外れたんだ。そう、外れたことが泣きながらわかった…。

 
「思い込み」ってね、〈勝手に自分が思い込む〉ことだったんだ。
そう、自分だけの主観、これほどいいかげんな考え方はない気がしたんだ。

だって、自分勝手なんだものね。
「こうしなければならない!」
「ああでなければいけない!」
「こうすることが正しい」と、人は思い込む。
 
どうして?
 
coucouさんたちって、両親、友人、先輩、先生たちからそう教えてもらってきたんだよね。

小さな子どもはね、おとうさんおかあさんの教えに従い、
大きくなれば、先生の教えを守るようになる。

別にそれが悪いことじゃあないよ、だけれど、
「こうでなければならない」
「ああでなければならない」
と決めつけてしまうことに「思い込み」の原因がある気がする。
(だって、そうしないと、怖い、不安だからね)
 
そして、
「でなければならない」
「でなければ」という考えから外れることに、恐れを抱くようになっちゃうんだ。
 
そうして、教えと違うことをしたら間違いだという固定観念が生まれるんんだよね。

「恐れ」や「心配」「不安」って、自分を〈否定〉してしまうんだ。
みんなは、違うかも知れないけれど、coucouさんはね、自分も人も否定してしまっていた。

そしてね、否定すればするほど何もかもが否定となって、
否定そのものを呼び込んでしまうんだ。
 
それが、恐怖心の本当の正体かも。
 
「そうしなくともいい」
「そうでなくてもいい」
「ああでなくともかまわない」
このような考え方は、その「思い込み」から離れる方法のひとつのような気がする。
 
だから、現実を受け入れることで考え方に幅ができるようになって、
何よりも楽な生き方に変えることができる気がするんだ。
 
他人は、あなたが思うほどその「思い込み」に関心はないし、誰にもわからないもんね。
だから、coucouさんのよう人たちは、自分の「思い込み」を、そろそろ捨ててもいいかもしれないって気がするんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.死なないでほしい


 自殺、逃亡って、解決の道ではないよね。

だけど、coucouさんの仲間は3人自殺した…。
彼らの葬式を手配して、奥様や子どもたちを慰めながら、その人たちの面倒を見た。まだ、coucouさんには体力とわずかでも資金力があったからね。
それに、coucouさんを支えて、助けてくれたものたちだからね。



会社に生命をかけるよりも、生き続けるために生命をかけるのが人生。
 
よく、
「会社が潰れたって命を取られる訳ではない」
「会社がなくなったらまたやり直せばいい」
元気で立派な社長さんたちの口ぐせだけど、
実際にその立場に置かれた場合には、ほとんどの人は慌てふためく。

「命まで取る人間なんていないよ…」
「借金なんて怖くないよ…」
そういいながら怯え続ける…。

 
逆に、まだ倒産していないのに、
「会社が潰れた場合はどうしょう…」
「債権者が押し寄せてきたらどうしょう…」
「裁判になったらどうしょう…」
と思い込み、弁護士の先生のところに相談に行く。
 
当然、弁護士の先生に相談すれば、すぐさま「自己破産」をすすめる。
その理由は、その方法を選べば、すべての債務が無くなるからね。
だから、「自己破産の道」は悪いことではない。
だって、再起するための国民に与えられた法律、権利なんだもの。

これも、責任を果たす一つの方法だから。
 
coucouさんはね、「自己破産」は我が国の唯一の敗者復活制度だと考えているんだ。あらん限りに努力して、頑張っても自力再建が不可能の場合に、会社更生法や自己破産は経営者を保護するための大切な法律だからね。
 
だけど、それを単なるその場しのぎだけの「逃げ」で利用するんじゃあなくて、新しい自分、新しい生き方を見出すための最良の方法かどうか、という積極的な考え方が肝心なんだ。
そうでなければすべての借金がなくなったとしても変な負い目がのこってしまうからさ。
(わざと債務から逃れる計画的な人もいる。その場合、生涯、不安が付きまとう)
 
単なる「その場しのぎだけの逃げ」には終わりがないんだ。
自己破産者のほとんどの人の共通点が、そのためだけだと、罪意識からは逃れられない。

でもね、その罪意識ですら「自分勝手な思い込み」から起こる考え方のひとつなんだよね。


 
事業ってね、すべて「商取引」なんだ。
商取引である以上、常にリスクがある。

取引先が倒産した。
納品したものが不良品で、すべて返品された。

売れると思っていた商品がまるで売れなくて在庫の山となった。

販売した食品から食中毒を起こし、人が亡くなった。

社員が突然止めて営業が不可能となった。

取引先からミスしたために損害賠償を請求された。

このように、いくらでも予期せぬリスクはあるもの。
事業は何が起こるかわからないほど、様々なトラブルとリスクをはらんでいるものだよね。会社の社長さんたちは、みんな、このような危険と常に隣り合わせのはず。
 
でも、会社と個人は別の人格だという考え方が必要なんだよ。

会社の借金を社長さん自身が個人保証をしていたとしても、それは会社のためのお金、会社のお金。
そして、「会社のお金(資産)」だから、経営の責任は社長さん個人ではなく、会社及び会社の代表者の責任となる。
(みんな同じだと思うと思うけれど、会社と個人は「別人格」なんだ。だから、もう一人の自分の分身だと思えばいいんだ)

現実には、小さな会社ほど、会社と個人の明確な線引きのできていない会社が多いのけれど、このような「思い込み」も外す必要がある。
 
また、お金を貸す側の立場も同様に相手も会社だよね。

つまり、会社対会社という商取引になる。

お金を貸す側は、借りる側よりも〈リスク管理〉〈リスク重視〉〈リスクの起こる前提〉でお金を貸している。
相手が倒産した場合や貸付金が焦げ付いた場合まで想定して融資している。これは消費者金融だって、カード会社だっておんなじ。
(焦げ付いた貸付金、返済されないお金は「損金」で経費として落とせる仕組み、だから利益が出ている会社は、実質の損はない。上手くできているんだよね)

私たちって、「お金という思い込み」があり、借りた側が悪で、貸す側が善であり、返せなければ悪という考え方もおかしなもの。

事業ってね、すべての責任は互いにあるのだから。

また、借金は借りる側の責任ではなく、貸す側の責任もあるんだよ。
(友だち同士のお金の貸し借りもおんなじ)
 
会社の責任は会社とともに果たす、社長さん個人の生命で果たす必要など商取引上ありえないのさ。

それが商取引の本来の姿なんだ。

残念ながら、多くの社長さんたちは事業の失敗を苦に生命を落としているけれど、残された家族の苦しさと悲しみを置いていく以上、死んで解決するものは何もないことがわかる。

自分の命なんて、自分の命じゃあない~

自分のモノなんて、この世には何もないんだ~

だから、勝手に自分の命を粗末にしてはいけないんだよ~

命ってね、大切な、かけがえのない人のためにあるんだから~

もう、死なないでほしい~

もう、命を大切にしてほしい…。

もう、みんなを悲しませないでほしい…。

©NPО japan copyright association Hiroaki



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4.死ぬのをやめれなかった人たちのお話


coucouさんはね、仲間たちを3人失った…。

その中の一人は電車に飛び込み自殺したけれど一命をとどめた。
coucouさんはね、慌てて入院先に出向いた。

彼は病室の窓際に車いすに座りながら、遠くを見ていた。
coucouさんが背後から近づいても気が付かない…。
彼は泣いていた…。

coucouさんはね、静かに話しかけたんだ…。

「何をみているの?」
すると、coucouさんに気付いた彼は、
「この窓から見える子どもたちを見ていたら涙が出て来た…」という。

「どうして?」

「coucouさん、あの子たちみたいに、あの頃に戻りたくないかい?何も心配もなく、何の不安もなく、ただ毎日は楽しくて、嬉しくて、友だちたちと離れたくなくて、このまま時間が止まったらいいなあ、そう思ったことはないかい?」

突然の彼からの質問にcoucouさんは戸惑った…。

「そうだね、あの頃はみんな楽しかったね~」
「そうだよな、俺は、あの頃に戻りたくて、この世を去ろうと思ったんだ…。そして、人生をもう一度やり直したいと思ったんだ…」

「…死ねば、あの頃に戻れるの?やり直せるの?」

「いや、無理だね、そんな保証なんてどこにもないさ…」

「ちょっと、待ってよ~残された奥さんや子どもたちはどうすればいいの?それは、酷くない…」

「じゃあ、coucouさんなら、どうするんだい?」

「家族と一緒に『夜逃げ』か『自己破産』を考えてみる…」

彼は、coucouさんに世の中はそんなに甘くはない、という。

「家族は家族で勝手に生きて行けばいいのさ。俺と暮らしたってろくなことはないし、今までも無理強いさせて辛い思いをし続けさせた俺には、罪だけが残っている」

そう、いくら話続けても彼の意志は変わらない…。

この日は、そのまま平行線だったが、coucouさんが大変な時に支えてくれた仲間の一人だった。

彼は、数日後、病院を逃げ出して再び電車に飛び込んでこの世を去ってしまった…。この時の、coucouさんはね、ただ、ただ、悔しかった…。
それに怒りでいっぱいだった。
もちろん、自分のふがいなさもある。
助けることが出来なかったという無念もあった。

そして、彼の奥様と子どもたちと相談して静かなお通夜と葬儀を行うことになった。葬儀のお金はcoucouさんの香典…。

coucouさんには罪意識しか残らない…。
そしてね、彼の家族たちにも罪意識を残した…。
奥さんも、子どもたちも同じ、残念と言う気持ちと、どうして助けれなかったという後悔と、もっと信じてほしかったという無念に似たものだった…。

その葬儀場に彼に騙されたという債権者たちと、取立人が来た。彼らは私服のまま遺影の前で怒鳴る~
「汚ねえぞ~お前は~逃げたのか~」と罵声を浴びせた。

彼の子どもたちは怯えた…。
coucouさんは、力づくで斎場から追い出した。
それでも収まらないので、もちろん、警察にも来てもらった…。

葬儀場の残ったのは彼の奥さんと中学生の男の子と女の子、coucouさんと4人だけとなった。これはドラマじゃあない~

お金の恨みは、死んでも許されないんだね…。

翌日から、その債権者と取立人たちは彼の家の前で立ち往生して子どもたちが学校に行く邪魔をする。奥さんは家に子どもたちを連れ戻し、coucouさんに連絡をくれた~

coucouさんも頭の血が上っており、全員を逆に脅かしてやろうと向かった。
すると、まだ彼らはそこにいた。

「帰れ、お前ら~」

「なんだお前!」とcoucouさんを取り囲む。
でもね、coucouさんは自分ことは弱いけれど、人のことだと何十倍の強さを持っている。
だから、負ける気なんてしない。
「やるんなら、覚悟しろよ~coucuさんは喧嘩が強いよ~」
でも、たじろがない、プロなんだな、この人たちは。

喧嘩の鉄則は「正当防衛」にある、だから、相手に先に手を出させれば堂々と戦える。だが、彼らもそれを承知している。
coucouさんに手を出させようといい合いに持ち込む。
即発状態となったとき、近所の人の通報によって警察が来た。

彼らはその場で一目散に消えてしまった…。


その後、coucouさんは、弁護士を立てて、債権者たちの一切の面会禁止を裁判所に申し立てし、奥さんを自己破産させた。その理由は彼の連帯保証人だったからだ、同時に妻としてすべての財産放棄(借金も相続となるため)した。

そして彼の家族の再出発を目指した…。

そして数年後、彼の家族と再会した。
彼女の最初の言葉は、お礼はもちろんだったけれど、
「coucouさん、死んで解決することなんて何もないのよ、彼は責任を感じてこの世を去ったけれど、残された家族の責任を取ることをしなかったわ…」
という。

coucouさんはね、こう答えた。

彼が生前にcoucouさんを支え、救ってくれていなかったら、coucouさんもおんなじことをしたよ。それが間違いでもね。彼はね、最後にもう一度すべてをやり直したい、と願っていたことは事実。これ以上の迷惑をあなたたちにかけたくなかったんだ、と言う気がする…」

「coucouさん、それは違うわ!一緒に苦しんで、一緒に悲しんで、一緒に泣くのが本当の愛よ!彼はその愛を間違えたのよ。私たちを置いて死ぬなんて大きな誤り…。どうして一緒に死ねないの…」


coucouさんは涙がポロポロと止まらなくなった…。
まるで、自分のことを言われている気がしたからさ。

「coucouさん、それは違うわ!一緒に苦しんで、一緒に悲しんで、一緒に泣くのが本当の愛よ!彼はその愛を間違えたのよ。私たちを置いて死ぬなんて大きな誤り…。どうして一緒に死ねないの…」

これも、愛なんだね…。

またまた、coucouさんは、追い詰められた…。





※明日の502.死ぬのをやめた、人たちのお話とやめることのできなかった人たちのお話【後編」続く


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coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru

 







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