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295.どうしても、私は人を信用できません…。

1.人を信用できない

 

みなさんは人を信用していますか?
もちろん信用しているでしょうが、信用できない人もたくさんいることも事実ですね。また、時と場合によっては、いつもは信用していたのに信用することができない場合もありますよね。

 

人は誰でも、
困った問題や、
わからないこと、
助けが欲しい、
悩みを相談したい、
というときに人を信用できないと、
さらに恐怖心や不安が起る。

これは、老若男女、誰でも同じ。

だから、ただの「疑い」だけでなく、
ただ「信じれば」良いだけでなく、
「確認」が必要になるんだよ。

「ブルーデイジー」 ©NPО japan copyright association Hiroaki

 coucouさんはこの花言葉が好き!
『純粋』『幸福』『幸運』『恵まれている』『かわいいあなた』「無邪気』『協力』ブルーデイジーの花言葉 は、属名に由来します。 フェリシア属の名前は、ラテン語の「felix(フェリックス)」からつけられており、英語でhappyやluckyに近い意味を持つ。




でも、人を信用しない、信用できない人はこの世にはたくさんいますよね。
coucouさんなんて、信じてはいけないよ!

特にお金や何かしら損得、利害が絡むと人を信用できなくなるような気がする。そして、相手が何かを騙そうとしていなくとも、親切にされると不必要な疑いを持つ人もいる。

 

人を信用できない人にはね、共通する特徴があるんだ。

 

(1) 警戒心が強く、心配性な人

素直になれない、正直に人と接することができない、甘えられない、頼れない人。常に疑いがあり「この人の話は嘘ではないか?」と警戒する。常に心は不安定状態。

(2) プライドが高くて、相手を見下す人

人を信用できないということは、無意識に相手の存在を低く見る、下に見る、馬鹿にする、「この人の話は本当かどうか?」と常に疑う。しかし、決して自分がプライドが高いとは信じていない。

(3) 自分のことばかり考えている人

自分の事ばかり考えていると、相手も自分と同じだと勝手に決めつけてしまう。つまり、人の意見など信用しない、しかし自分の都合の良い事は信じる。

自己中心的で、人のことはかまわない。しかし、言葉では常に人のことを考えているような話し方をしているが、実際の行動はない。

まさに、警戒心が強く自分の勝手な都合だけの人のことをいう。

(4) 人に対する興味が薄い人

人が信用できない人の共通点は、過去の経験が影響している場合が多く、人に興味を持たない人ともいえるのかもしれない。

自分は目立ちたいが、人は関係ない。
自分中心主義な為、人が何をしようが興味が湧かない。

つまり、人を大切にしない、
人を大切にできない。
したくない。
それよりも自分を大切にしてほしいと勝手な考え方が強い人のこと。
でも、好きな人のことは興味を持つが、その興味の対象は大切にしたいというよりも、大切にされたいという願望の強い人かもしれない。

(5) 自分に自信のない人

自分に自信がないと、「いつか裏切られるのではないか?」と懐疑心が生まれ、不安になる。
そのため、人を信用できなくなり、
その反動が「自分を否定」させてしまう。
そのため、常に「自分には才能がない」「自分には向かない」と言い聞かせる。

「自分は駄目なのだ」と自分に言い聞かせ、
自分自身で自信を失わせてしまう。
そして、いつ裏切られるか、という不安の中で行動することに対して消極的になってしまう。すると、人と会うのを極端に避けたがるようになってしまう。

人と深く拘わることに恐れを抱く。

(6) 考えすぎの人

人を信用する事のできない人は、
小さなことでも深く考えすぎてしまう。
別に、相手はそんなことを思っているわけがなくとも、
そう思っていると考え込んでしまう。

物事を深く、深く考えすぎるため、
自分が納得するまで考えで物事を簡単に流せず、
軽く考える事ができないのは、相手が信用できないから。

考えて正しい答えが出れば良いのだが、
答えがない場合は、そのことばかりが気になり続けてしまう。
そのため、相手の何の気なしに出た言葉でも異常に敏感となり、
どうしても相手を信じる事ができなくなる。

 

(7)言葉と行動が違う人

 言葉では信じている、と言うが実際は常に疑いの目を持つ人がいる。
人を信用できないのですからやむを得ないことなのたろうが、
本心が違えば行動が違う。

「あなたには迷惑をかけた…」といっても態度と行動に表れない人。
「あなたにはお世話になった…」
「あのときにあの助言がなければ今の自分はなかった…」
「あなたは恩人です」
「あなたは私にとって大切な人です」などと立派な事を言っても、まるで連絡がなかったり、音沙汰のない人などのことを言う。
だから、行動のない言葉は相手を本心から信用していないことになるよね。

「タピアン・バーベナ」 ©NPО japan copyright association Hiroaki

 タピアン・バーベナの花全般の花言葉は「魅力」「魔力」「勤勉」「忍耐」だといわれている。魅力や魔力といった花言葉にはバーベナの花が持つ、不思議な力がありそうだね。

2.どうして人を信用できないの?

一見、言葉では「人を信じている」と言うけれど、実際はどの程度まで信用しているかは誰にもわかりませんね。

また、人を信用してみたいけれど、
どうしても信用できないという人もいる。

coucouさんのような疑い深い人間なのに、どうしても「信じたい」という気持ちが強く、人を信じてしまう場合もある。

でも、この矛盾、それは何かしらの原因があるはずだ。

人を信用できない原因として、次の項目が考えられる。

(1) すぐに勘ぐり、疑いを優先する。

疑い深くなると人はすぐさま勘ぐり、疑いが疑いを呼び込んでしまう。
まわりの環境が、疑い深い人たちであれば疑いの渦に囲まれてしまう場合もあるよね。

「人を見たら泥棒と思え!」という言葉がある、
すると、目の前にいる人がみな泥棒に見えてしまうはず。
人に親切にされても「この人には何か裏があるのではないか?」と感じてしまう場合もある。
他人にいいように利用されたり、苛められたり、責められ続けると人は人を信用できなくなるように、疑いを優先してしまうんだ。

 

(2) 過去にトラウマを抱えている。

人に利用されたり、騙されたり、騙され続けると人間不信になる。
でも、もしいつも騙され続けているとしたら、相手に問題があるのではなく、何かしら自分側にもその原因があるかもしれない。

人に騙されるより、騙した者が悪い事は確かな事だが、
騙した相手を疑う前に、
騙された自分を疑うのも必要な事だとcoucouさんは思う。

でも、人は痛い思いが続くと、それがトラウマとなる。
coucouさんなどは普通の人以上にトラウマを抱えている達人だから、よくわかるんだ。

恋愛などもトラウマとして残る。
でもね、トラウマとして記憶に残る相手とはまるで違う相手のはずだから、もしかすると、その相手と似た部分にトラウマを覚えるのかもね。

人に親切にしたり、親切にされたりすると急に人格の変わる人もいるようだが、過去のトラウマは自らが終わりにしなければ解決とはならないと思う。

(3) 過度な神経質。

過度な神経質な人がいる。
何かいわれるとカッとなったり、言い返したり、言葉がきつくなる人たちのことをいるよね。
他の人なら何も気にならない他愛のない言葉であっても、気にしすぎる人たちがいる。このような相手には、こちら側が神経質となり発言に注意する必要があるけれど、過度な神経質の人には過度な神経質的な対応となり、互いが苦しくなる恐れがありそう。
何かをいわれたくない、失敗したくない、という思いこみ過ぎがそうさせてしまうのかもしれないね。

 

(4) 自己防衛本能

人間には誰もが「自己防衛本能」が備わっており、この本能がなければ何かしらの危険に対して無防備のまま痛い思いをしてしまう。

だから必要な本能ともいえるものだが、神経質で打たれ弱い人の場合、常にこの「自己防衛本能」が自動的に働いてしまう恐れがある。

また、自分でも人を信用していないくせに、
人から信用されていない事を知ると深く落ち込んでしまう。
「自分は駄目なんだ!」
「自分は信用されていない」
「自分は嫌われている」ということに極端に怖れを抱くようになる。
「私は人に甘えない」「私は人に頼らない」という振る舞いをしてしまうんだね。

 

(5) 自己愛が強すぎる。

coucouさん自身が「自己愛」が強いからよくわかるが、
「自己愛」が強すぎると、常に自分が正しく、相手に非があると感じてしままう。すると、他人の意見や助言など聞く耳を持たなくなる。
つまり、自己愛が強すぎると人を信用できなくなる恐れが出て来るような気がする。

 

「人を信じる」「人を疑う」、というのはどちらも大切な事なのだが、
「人を信じすぎる」「人を疑いすぎる」
という自分の勝手な都合で判断してしまうと、
まるで実体がわからなくなり、
結果としては判断が狂ってしまう恐れがある。

「ミヤコワスレ」 ©NPО japan copyright association Hiroaki

ミヤコワスレ。漢字では「都忘れ」と書き、悲しく、寂しいような花言葉を持っている日本とは馴染みの深い花だね。忘れてしまう、というのは物悲しい言葉だけれど、忘れないで、という意味もある。 またこのほかにも、「また会う日まで」や「短い恋」という花言葉もあるから、なんとなく救われるね。

3.信用をしすぎない方法

人を疑うことも、人を信用することも悪い事ではありませんね。
ただ、疑いすぎ、信用しすぎに問題があることがわかる。
そのため「しすぎない方法」というものがある。

「人を疑いすぎる」「人を信じすぎる」というのはどちらにしろ何かしらの危機感があると同時に原因があることがわかるものだから。

(1) しすぎない方法1.

自分を疑っているのではないか、という人よりも、
一人でも信じれる味方がいればいい。
自分に対して疑いを持つ人とは付き合う必要がないからね。

また、自分が人に対して疑いを持つこともやめること、
そして、疑いを持つ人とは付き合わなければいいのですから。

結果として、疑いを持つ人には疑いがもたれ、
信用できないと思う相手からは信用されていない、ということを理解する必要がある。
誰からもすべての人から愛され、
好かれ、信用されるということ自体ありえない。
ただ、信用している相手の助言には耳を貸す必要があるとcoucouさんは思うんだ。

(2) しすぎない方法2.

よく、「私はあなたを信じていたのに…」と、
だから「私を信じてくれても当たり前」という人も多くいるが、
それは見返りを求めているのと同じこと。

相手が思う通りでなかったとか、
相手から聞きたくない内容だった、
耳が痛い意見だった、
というのも自分の都合でしかないよね。
見返りを止めればつき合い方も、信じ方も変わるんだよ。

(3)  しすぎない方法3.

人を信用できないリストを作るとわかりやすくなる。
別に他人に見せる訳ではないし、もし見られたとしても自分だけのメモですから心配する必要もないよね。

人はあまり疑いすぎると、「裏切られたくない」「断られたくない」「疑われたくない」などという不安や怖れがつきまとい、冷静な判断ができなくなる恐れがある。
だから、それらの問題を文にして書き綴り、第三者となってそれを見る事によってそれが妄想だということもわかるようになる。

怖れや不安のほとんどは、自分が勝手に作りだしているモンスターに過ぎないものだからね。

(4) しすぎない方法4.

人は自分の思い描いた通りには動かないし、自分だって相手の思い描いた通りには動かないよね。
自分の思い通りに相手が動かないからといって、
相手を信用できなくなったり、
相手が思う通りに動けば信じるなど、
まさに自分勝手な考え方のひとつで、これでは実体バランスを崩してしまう。互いが信じ合うのは、信頼関係を作らねばできるものではないよね。
信頼関係がないために、しすぎるために疑いが生まれてしまうのさ。

(5) しすぎない方法5.

それでも、誰も信用できない、
それでも信用してしまう。

誰も信用できない人は、せめて自分を信じる、
それでも信用してしまう人は、自分をせめて疑う、
何らかの理由でどうしても「すぎてしまう人」場合がある。

それは子どもの頃の体験や経験であったり、現在置かれている環境であったり、付き合っている人たちであったり、トラウマが消えないままの人もいる。

でもね、そこには悩み苦しみ、悲しんでいる自分がいるのだとしたら、「こんなに頑張っているのだ」と認めて上げる事も大切なことかもしれないよ。

「疑いすぎる」「信じすぎる」という〈しすぎてしまう自分〉を認める事で、価値観がまるで変貌するかもしれないから。

 

「疑うこと」も「信じること」も人間に与えられた特権のひとつだけど、それが偏り、しすぎてしまうと本質がわからなくなり、本当のことが見えなくなってしまうんだ。そして、妄想という目に見えないモンスターに振り回され、日々何かしらに怯え、恐れ、心が不安定と化す。

 

〈しすぎてしまう自分〉は、
すべて自分が生み出しているもの。

それがクリアできると生きる事がとても楽になりますね、きっと。

 

まさに、これが「人生を幸せに生きる方法」といえるとcoucouさんは思っているんだ。

「ケイトウ(鶏頭)」 ©NPО japan copyright association Hiroaki

まさに鶏の頭。ケイトウは「情愛」「色褪せぬ恋」という花言葉でもイメージされている。「情愛」という花言葉の由来は真っ赤な花姿の色からだね。またケイトウはドライフラワーにしても色が褪せない特徴を持っていることで、こんな花言葉でイメージされているんだよ。

ケイトウは日本最古の歌集である万葉集の恋歌に登場する花の1つ。秋になったら染料にしようと思って、種を蒔いていたのに誰かに摘み取られてしまったと歌いながらも、その歌の真意はケイトウの花を女性にたとえ、妻にしようと思っていた女性を知らぬ間に他の男性に奪われたという悔しさを表している歌が残されています。

ああ~それなのに~それなのに
~信じていたのに~


coucouさんです。みなさん、ごきげんよう!

coucouさんはね、実は「野花の花の写真を撮る会」の事務局を務めていたときがあるんだ。
人知れず咲いている、名もなき小さな花々を接写で撮り、毎年図書館の展示ホールで展示会を開催していた。

いつも苦労するのが花の名前、そして花言葉だけでなく、その植物には何かしら意味がある、ということで花図鑑、野草図鑑を手に入れ、その展示会の時に花の写真だけでなく「意味」や「物語」を持たせていた。

毎回、男性、女性の参加者は30人程度で山を登りながら散策を楽しみ、写真を撮る。とても楽しい想い出ばかり。
ただ、coucouさんは最年少にも拘わらず、すぐさま、ねを上げて参加者の人たちに心配をかけてしまう。

でもね、不思議なものでみな、70歳以上なのに足腰は元気だし、山の頂上に着けばすぐに缶ビールを飲みだす豪快な年寄りたちだった。

最年少のcoucouさんはその温かい老人たちの手厚い介護を受けながら一緒に登るんだ。そして彼らはcoucouさんに向かって、若いのにだらしないなあ~と優越感に浸らせるお役目のような気がした。

野花の会のみんな、優しくて、温かくて、親切で、coucouさんを信じてくれて、とても嬉しい。567で展示会が3年近くできなかったけれど、また、再会したい人たちです。いつかこのnoteで写真展をしますね。

人を信じるって、大切だね!
そして、信じてもらえるって、とても嬉しい!

ここまで読んでくれて、


ありがとう!


また、明日ね!


※もうすぐnote記事デビュー、
noteだけの作家のcoucouさん、
300回の9か月目を迎えます。





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人生を楽しく明るく!幸せになるための物語。
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