413.何もないと思う人ほど、意外とたくさん恵まれているんだね!
(25)負けない心
1.成功者と呼ばれる人たちの共通の心がまえ
ポール・J・マイヤーは成功者といわれる人たちの中に何か共通点がないものか、と若いときから分析し、その結果、到達した結論は、「成功するかどうかは学歴でも出生でも環境でもなかった。これらよりも、その人自身の考え方に左右されていることがわかった」という。
そして、次の2つのことができるかどうかにかかっている、という。
『成功とは心がまえの産物である』
これは逆境にあっても決してくじけたりせずに、また悪条件下の中でも強固な決意をもって積極的な人生に直面すること、それが『成功とは習慣の産物である』という意味だね。
つまり、人のやらないことをやり、人と変わったことをするのではなく、日常しなければならない、ごく当たり前のことを人よりも上手に効果的にやり、気づかない悪い習慣を捨てて新しい積極的な習慣を身につけることだともいいます。
人は失敗したり、逆境に落ち行ったリ、困難にぶつかり、スランプに落ちたりすると「もうダメだ!」という気持ちになりやすいよね。
さらに「もうダメだ!」「もうやれない!」と思い込んでいるうちに、これが習慣となって、この考え方から抜けられなくなっていくね。
たとえ生まれつき優れた能力をもっている人でも、この「ダメだ!」という考え方、「無理だ!」という考え方の習慣をもち続ければどんな人でもダメになっていくと思う。
ところが成功している人の共通点には、
これらの考え方が少ないんだね。
確かに、たとえ困難にぶつかり、大失敗、大逆境に陥ったとしても、これに負けずに乗り越えようとする、さらに目標をもっている、凄いと思う。
「今のままではいけない!」
「このままではいけない!」
「何か方法があるはずだ!」というように、追い詰められることではなく、良い心がまえをつくることって、積極的に生き、良い習慣をつけることになるんだ。
そして、いつも感謝の心を忘れていない。
人は追い詰められた利、困難にぶつかると、自分のことだけで精一杯になる。だから、自分のことで相手に負担を与えているのに、謝ることも、ありがとうと感謝することもできない人が多い。
当然、そのような人は、人からも謝られ、ありがとうと感謝されることも少ないと思う。また、自分のことで相手に負担を与えていることにも気づかないんだ。
それなのに、困難にぶつかると、自分に負担を与えられているように感じてしまうのさ。
本当の自己責任って、自分の行動に対して責任を取る姿勢のことをいい、自分の行動に責任を取るってことは、自分の「人生」に責任を取ることになるよね。
あまりにも世の中、他人任せが多すぎ、自分のことなのに他人を動かし、他人に行動を取らせ(人にやらせ)、そしてその人の所為にする人が多く、あまり他人任せだと、最終的には自分の行動、自分の人生にすら責任をもてなくなってしまう怖れがあるんだ。
自分の責任とは、「自分に責任がある」「自分にも責任がある」と思える人のことで、自分の責任とは、自分の人生に対して言い訳をしないことなんだよ。
自分では責任が取れない、自分では責任を取らない、これは自己不在といえるもので、やはり物事の判断は「自分できめる」「自分で決めたことを守る」、これが自己責任といえるものかもしれないと思う。
2.与えることは強さの証明
毎日って、常に対決かもね。
日々は常に何かしら問題点の連続ばかり。
その中に嫌なこともあれば、良いこともあるよね。
でもね、それって、すべて「自分との対決」の中から生まれるものなんだ。
たしか人は、その場で逃げることもあるけれど、逃げることができないこともあり、それも運命のひとつといえる。
だから、私たちはより強く、より成長する必要があるのかもしれない。
前へ、前へ進むこと、後ろなんて振り返る必要はないもの。
弱き人って、与えられることのみに集中し、与えられても、与え返すことが少ない。
与えられた喜びを感ずる人は、与えることに喜びを感ずることができるんだ。
与えるって、ただモノを差し上げることではないよね。
たとえば小さな子どもたちに、やさしく笑顔をかける。
おそらく素直な子どもであれば、その場で笑顔が返ってくる。
返してもらった自分もおそらく嬉しく感じるはず。
これが与える、与えられるという基本なんだ。
また、睨みつければ睨み返され、
馬鹿にすれば馬鹿にされてしまう。
もし、自分から相手を見て、笑顔がなかったり、冷たかったり感じるとすれば、おそらく自らも相手に対し笑顔がなく、冷たく感じさせているのかもしれないよ。
このように自分のことばかり考えていると、
人に与えることを忘れ、与えられることのみになってしまう。
すると、私はこれだけ与えたのだから、与えてもらわねばならないとか、与えたのに与えてもらえないと勘違いしてしまう。
でもね、「与えたら、与えられている」ということを気づく人が少ないんだ。
だからといって、誰にでも与え続ければ良いということではないけれど、せめて自分の大切な、自分を必要としている、自分が必要としている人たちだけでいいよね。
ここでいうところの「与える」って、次のことをいうと思う。
信頼してあげる
気をつかってあげる
心配してあげる
注意してあげる
明るくしてあげる(自分をも)
楽しくしてあげる(自分をも)
喜んであげる(自分をも)
笑顔をかけてあげる
助言してあげる
教えてあげる
大切にしてあげる
励ましてあげる……その他。
このように「与える」「与え続ける」ことが「差し上げる」ことになる気がするのさ。
さて、これからどのくらい大切な人たちに「差し上げる」ことができるでかな?
3.素直さは素晴らしい財産権
「何もない、金もない、力もない、能力もない」、人は困難に陥れば陥るほどそう思いがち。だけど、ないものばかり見ていると、あるものがまったく見えなくなってしまう。
あることさえ、わからなくなるんだ。
そんな時、あるものの一番身近なものは「智恵」、「知識」じゃあないよ。
誰の言葉か忘れたけれど、、coucouさんはね、次の言葉が好き。
『あらん限りの智恵を絞り、
あらん限り、その問題に集中する』
みんな、何の努力もせずに、さらに努力せずに、もっと努力せずに簡単に諦めてしまう。それって、単なる逃げの場合もある。さらに、後へ、後へ伸ばしてしまうことも同じ。
でも、『智恵』って、一体何なの?
広辞苑では、
「物事を判断して処理する、心の動き、考え。」と書いてあった。
智恵って教える、教わるものともいうけれど、本来の智恵はね、「自分に対する素直な考えや素直な働きの中から生まれる」ものなんだ。
だから、問題点が生まれ、自分の中に答えがなければ、その問題点に対して他の人の意見を、アドバイスを素直に受けとり、素直に考え、素直に行動することが本来の智恵を活かすコツといえるようだね。
(相手の考えや意見を否定してしまい、ただガンコだけでは智恵を活かすことはできない)
また、何もないと思う人ほど意外とたくさん恵まれている人、モノを多くもっていても、自分にとって大切な財産、「素直さ」という財産を忘れてしまう人がいるんだね。
coucouさんです~
みなさん~
ごきげんよう~
coucouさんの大好きな「ノートに神さま」33番目(順不同)の神さまがいた~
その人の名はme-meさん。
me-me-さんの言葉の中で素敵な言葉を発見~
その言葉はね~
「感謝の言葉をもらう」ことはもちろん嬉しいことだけど、
「感謝の気持ちを抱くことができる」ことも最大級のギフトなのかもしれないな。 me-meさんの言葉より
そうだね~
感謝の言葉をもらうのは嬉しい、でもその気持ちを抱けるって、もっと嬉しいかもね。
言葉って、たった一つの言葉であっても、やまびこのようにこだましあい、最初の言葉から次々に反響して聞こえる。
すると、さらに感謝と喜びの気持ちが増え続けるんだね。
とても素敵な言葉だね。
me-meさんは天使さんとともに暮らし、生きている。
もし、coucouさんが女性だったら体験したいことばかり。
だって、天使さんとともに生きるのだもの。
こんなに素敵な人生はない~
天使さんたちは何も答えてくれないけれど、笑顔で話しかけてくれる。
だからね、天使さんには言葉なんていらない~
「どんな自分も、大切な自分のカケラ。
そのままを抱きしめてあげたいな。」me-meさん言葉より
me-meさんはnoteの世界で言い続ける。
どんな自分であっても、大切な自分。
その自分を抱きしめてあげたい~
とてもあたたかくて、とても優しくて、ついつい微笑ませてくれる、言葉の天使のme-meさん。
たっぷり、その作品を読んでほしい~
ノートの世界でしか読めない、
me-meさんの素敵な言葉の仲間たちに出会ってほしい~
me-meさん~
いつも応援してくれてありがとう~
coucouさんはね、感謝の気持ちを抱くことができるようになったよ~
me-meさんの言葉より
noteは実験と創造の場。 小学校教員→療育支援→移住→講師兼特支Co→育休中🌱 “すべての子どもがそのままの輝きを 大切にできる世の中をつくりたい” アイコンは @momochy_ さま
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