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自分で選択することが、自分の意見を持つことの第一歩だと確信した。

もうだいぶ前だけど、近所の図書館で勉強してたときに、子供が遊ぶスペースの方からお母さんと子供の話し声が聞こえてきた。
日本の図書館だとそもそも館内でしゃべるのもはばかられるが、海外はそこまでではなく、何を話しているかよく聞こえた。

正直会話内容はよく覚えていないんだけど、お母さんの声かけで一個、強烈に覚えている言葉がある。
たしか、そろそろ帰ろうか、という感じになって、片付け始めてた時だと思う。
お母さんが子供に、


”Do you need a help?"
って聞いていた。(もしかしたら文は違うかもだけど、ニュアンスはこんな感じ。)

何でそんなに強烈に覚えているかっていうと、私は子供の頃にお母さんから「手伝おうか?」って聞かれたことがないからだ。私の記憶では。


そしてその瞬間、海外の人がなぜこんなに自分の意見をはっきり持っているのか、理由がはっきりした。


こんなに小さい頃から自分で、たとえ助けが必要かどうかという小さなことであっても判断して、答えを決めているんだから、そりゃあ自分の意見を出せるよなぁって思う。



何でこんな話を書こうと思ったのかというと、ちょうど今日、以下のnoteを読んで自分の中の仮説が立証された気がしたからだ。

先に述べたように、私は子供の頃から自分で選択をして決めた記憶があんまり無い。
常にお母さんが先回りして決めた答えに従ったり、お母さんがAというから、じゃあAかな、という感じでいろいろ決めていた。
(上のnoteでいえば、以前の長男さんと同じ状況だ。)

中学、高校、大学と、進路等は真面目に考えて決めたけど、例えば何が食べたいとか、何が着たいとか、本当に無かった。何でもよかった。(ちなみに食に関しては今も結構何でもいい)
だって、いつも基準は母が決めていて、自分はそれに基本的に従っていただけだから。
もちろん、時には母と意見が異なるときもあったけど、私より長く生きている母の意見に従っておけばまず間違いは無い。


それに、衣服の購入には母としても苦い思い出があったようだ。
まだ小さい頃、ショッピングモールに連れて行って私が気に入った服を買ったところ、買ったあとに「やっぱりむずむずする(素材的に肌がかゆくなる)から着ない!」みたいなことが多々あったようで、「もうNonの意見は聞かない!」となったようだ(それはマジでごめん母)


さて、そんな「自分の意見がない私」が、一番最初に困ったことはなんだろうか。
それは大学に入って実家から出たときに起こる。

なんと、自分で気に入った服一つ買えないのだ。

大学に入って出来た友達と駅ビルに服を買いに行った。
友達と服を見に行くなんて初めてで、るんるんしていた。
友達の意見ももらいながら、いろいろ試着していったんだけど、何がいいのか、どんなのが欲しいのか、どんな服が着たいのか、自分の中ではっきりしていなかった。

最終的にその日は友達に似合ってる!って言ってもらったスカートを買ったんだけど、実はその後、そのスカートは確かギリ両手が必要になるくらいしか着ないで処分した記憶がある。

なぜ処分したか。理由は「なんか、着たくない。着てる自分、かわいくないし、心がモヤッとする。嫌悪感までいく」
この服はさすがに着れない。


自分で決めて購入したくせに、着るたびに嫌悪感を抱く自分に驚愕した。
「自分、マジで自分で気に入った服一つ買えないのか!?」と。


それからは、もう友達と服を買いに行かなくなった。待っててもらう時間がなんだか申し訳無かったのと、今の状況では自分の意見がなさ過ぎて、また友達のアドバイスに流されて欲しくもない服を買ってしまうと思ったから。

今振り返っても思う。
自分、だいぶやばい。病気過ぎる。


思い返してみれば、美容室も、まだ母のおなかの中にいたころからずっと同じ人に切ってもらっているけど、「今日はどうする?」って聞かれても、うまく答えられないときは母の方を向いて助けを求めてた。
新しい人相手じゃない。生まれてからずっと知ってる人に、だ。


今書きながら自分で過去の自分の改めて驚愕してる。
嘘でしょ、私。マジでお母さんの操り人形じゃん。



一人暮らしで、当たり前だけど自分で決めて自分で選択しなければならない場面に数え切れないほど直面して、だいぶ成長したと思う。
自分なりの意見、持てるようになったと思う。
その証拠に、大学2年くらいからちゃんと、自分の気に入った服を買えるようになった。


けど、海外に来たら、自分なんてまだまだ全然自分の意見を持っていないことに気づいた。
別に本当にどうでもよくて、みんなに合わせる~ってこともあっていい。
けど、英語は日本語より表現が明確だし、理由もすぐ求められる。自分の意見に「なんとなく」っていうのは、基本に認められない。


それに、自分の意見がないことで困ったことが二回くらい、ある。
まず一つ目が、過度なボディータッチに「やめて」と言えなかったこと。

クラスメートたちと授業後、みんなで連れ立ってビリヤード(英語ではプール、とも言うらしい)をしにいったんだけど、そこで割と知り合ってすぐのメキシカンの異性のクラスメイトに、流れで頭を触られた。何回か。
もともと結構陽気で明るく、距離も近い人だったし、触り方も優しかったけど、毎回私の視界の外側(斜め後ろとか)から触ってくるからびっくりしたし、正直ゾッとした。
最初の1、2回はもちろん特にびっくりしたけど、なにせ文化も違うし、頭くらい別にどうってこと無いか、すぐ慣れるだろうと思っていた。

けど、いつまでもその気持ち悪さは残っていて。
というか、時間が経つごとにどんどんどんどん増してきて。

家に着いたらまっすぐシャワーで頭を何度も洗った。
そのあと友達に一部始終を話して、気持ち吐き出して、それでも触られた感触消えなくて(今も書きながら思い出せる)、その日は泣きながら寝た。


でもこの手の話は、周りにする限り結構「嫌」ってその場で言えない子が多かった。
でも、次からはその瞬間に感じた嫌悪感を優先したい。
嫌ってすぐ言いたい。というか、言う。
本当に、辛かった。


もう一つが、家探し。
シェアハウス、価格がピンからキリまである。
そして、日本の部屋探しと違って不動産屋さんを仲介することが少ない、というかほぼ無いから、大家さんの言い値。
お値段出したからと言って、本当にいいかどうかは不明。

そんな中で、自分の譲れない条件を洗い出して、限られた予算の中で最良の選択をするのは本当にストレスフルだった。
内見してすぐに部屋取らないと、もしかしたらもう取られちゃうかもしれないし、かといってもう少し待てばもっといい物件が出るかもしれないし、とかいって待ってたらもう家の募集無くなって翌月からの家なくなっちゃうかもしれないし。


予算はいくらか。その中で、自分の中でどうしても譲れない条件は何か。その中で、優先順位はどうつけるか。


結果的に二回引っ越しすることになったので、二回目は一回目の経験を活かしてうまくいくだろうと思ってたけど、そうもいかなかったなぁ笑



てことで、まだまだ修行が足りません!私!
もしかしたら私のHSP気質も、母の顔色うかがいすぎたことが原因の一つだったりするのかな、なんて思ったりもする。


でも、海外に来れてよかった。
日本にいたままだったら、今まで通りなんかほわほわしたままの自分のままだったかもしれない。そして、大事なときに自分の本当の気持ちに耳を傾けられずに苦しんでいたかもしれない。


そういう意味では、日本にいたときよりも選択の回数、そして重みが桁違いすぎて、「自分」という存在の輪郭、「自分」と「それ以外」の境界線が、はっきり明確になった気がする。

でも本当に、まだまだ。
自分がどうしたいか、そして嫌なら嫌って、まだ伝えられない。
うまく伝えられるようになりたいなぁ。



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