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【感想】死にがいを求めて生きている

お疲れ様です。皆さんは何のために生きていますか?
突然そんなことを聞かれても答えることの出来る人はごく少数だと思います。

私だって、何のために生きているのかなんて分からないし、そもそも生きていることに意味があるわけではないとも思っています。

朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きている』を読みました。今回は本書を読んで感じたことを書いていきます。私は単行本で読了しました。単行本でかなり分厚いです。

複数の登場人物によって成り立っていく小説でした。どこでも、目立つ存在となるのが堀北雄介。登場人物の名前を覚えるのが苦手な私が、彼だけはフルネームで覚えてしまいました。

本書にはあまり触れずに私の所感を書いていく場になるため、ネタバレのようなものはあまりありません。

ですが、念のため、ネタバレをされたくない方はご注意ください。


生きがいと死にがいの違い

生きがいっていう言葉は聞いたことはあっても、死にがいという言葉はあまり聞くことはないと思います。

でも私は、「死にがい」って良い言葉だと思いました。良いかは分からないけれど、でも存在していても何も違和感を感じない言葉です。

皆さんは自分の最期を考えたことはありますか。極端な話、病気だったりして寿命の予想が付く場合は、自分の最期も想像できてしまうかもしれません。それとも、自ら命を断とうとしている場合も同様かもしれません。

ですが、それ以外では全く自分の最期を想像することは難易度の高いことだと思います。さて、自分が最期を迎えるとなったとき、今までの自分の行いを振り返ったりするかもしれません。その時の振り返る内容が「死にがい」になるのではないかと、私は思いました。

長年、同じ会社に勤め社会に貢献し、家庭でも家族に尽くしてきた。そのことを自分でも誇りに思っている。これは、「死にがい」のある人生だったといえる一つの例かもしれません。

一方で、「生きがい」って何でしょう。

死にがいが、終わりに振り返るものだとすれば、「生きがい」は今を見ていると思いました。

今を生きるために求める何かが「生きがい」です。世の中の一部の人はなんとなく生きるというのが苦手な人もいます。そういう人達は、自分の生きている意味、すなわち「生きがい」を探し出そうとします。

そうすることによって、自分の存在意義を実感したり、逆に目の前にある苦しいことから目を背けようとします。

例えば、仕事が嫌で仕方がない人がいて、そして彼女には好きなアイドルがいるとしましょう。彼女にとっては、好きなアイドルを写真などで眺めている時間がとても幸せなものです。

そうすると、彼女にとって「生きがい」となっているのはアイドルですが、そのアイドルの写真を集めるためなら仕事を頑張れる。そうすると、仕事も彼女にとっては「生きがい」の一つになるのです。

そして、彼女が最期を迎える時、大好きなアイドルを沢山見て幸せな気分で旅立つことができたとしたのなら、それは彼女にとって「死にがい」へと変わります。

とすると、生きがいと死にがいは、違うようで実は繋がっているのではないか、と思いました。


生きがいがないと生きていけない人

自分なりに生きがいと死にがいの違いを考察できたところで、ここでは生きがいについて考えていこうと思います。

世の中には、生きがいがないと生きていけない人と、それがなくても生きていける人、その他色んな種類の人間がいると思っています。

自分が生きているのには、何か意味があるはずだと考えそれに従い生きている人。だから、自分はここにいなくてはいけないと、自分の存在する意義を見出そうとしているように思います。

一方で、生きがいがなくても生きていける人もいます。順調に小学校から大学までと進学して、それなりの企業に就職。そして、まっとうな人生を歩む。

そういう人達は、どういう気持ちで生きているのでしょうか。

色んな考えができると思います。ただ、目の前にあるクリアするべきステージを着実にクリアしながら生きている人。この場合のステージは、高校受験などのそういうイベントものだと考えることができます。

そもそも、生きがいなんてものを考えたことがない人だって、この世の中には存在するかもしれません。実際に、私が関わった中でそんなこと考えたことなかったなあ、という人だっていました。

どうして、生きがいを求める人と、生きがいがなくても平気な人が生まれてしまうのかは分かりません。だけれど、それぞれが育ってきた環境にも左右されてできあがっているようには思います。

あなたは生きがいがないと生きていけない人間ですか?

そしてあなたにはどんな生きがいを持っていますか?


私にとっての生きがいとは

私も一時期、自分はどうして存在しているのだろう、と自分の存在意義について考えていた時もありました。存在意義がないのなら、生きている必要なんてないのではないか、と。

ある時は、大切な人たちが私にとっての生きがいかもしれない、と思ったりもしました。私に支えられていると言ってくれる彼女らがいるからこそ、私はまだこの世に残らなくてはいけない、というように。

ですが、最近は正直に言うと、生きがいについて考える余裕がなくなってきました。

最近はまた新たに変更された薬が私に合っているのか体調も良く、以前は使い物にならなかった自分の頭が使用できるようになると、目の前に色々な課題が山積みになっていたことに気が付きました。

それらの対応に忙しく、自分にとっての生きがいって何だろうと考えている余裕がはっきり言ってありません。

だから、そもそも生きがいについて考えたことがなかったという人は、せわしく自分の人生を生きている人なのかもしれないし、目の前のことでいっぱいいっぱいになっている人だったりするかもしれません。

生きがいって何だろうと考えているから、余裕のある人生を送っているのか、と思いきやそうでない場合ももちろんあると思います。

人間の脳は不思議なもので、以前は考えもしなかったことが突然頭に浮かんできたという経験は忘れているだけで、少なからず誰もが経験していることではないか、と思います。


そろそろ終わりにしよう

さて、自分でも何が言いたいのか分からなくなってきました。正直、これを書いている今も他のことを考えていたりして集中できていなかったりするので、自分の中でも意見がまとまっていないのだと思います。

自分の中での課題は、また個人ブログのような形で記事にするかもしれません。その忙しさによっては、noteを毎日更新していましたが、間隔を開けて執筆することになってしまうかもしれません。

今のところnoteの執筆は1記事あたり、大体30分〜1時間くらいで書き上げているので、どんなに忙しくてもだらだらしなければその時間は取れるのではとは思っています。

とはいっても、今はせっかく休むように言われて休息している身なので、また頑張り過ぎてしまうということがないようには気をつけたいと思います。

ということで、最終的な私の生きがいとしては、今はそれをゆっくりと考える時間を取ることが難しいし、そもそも考えようとしていない、というところですかね。


もし、皆さんで本書やこの記事を読んで自分にとっての生きがいを考えてみたという方や、生きがいがあるという方はコメントで教えて下さると嬉しいです。私が単純に気になります。

それでは、今回はここまで。

生きがいに関しての話は、この記事にも似ているところがあるかなと思ったので、参考までに貼っておきます。よろしければ、こちらもぜひどうぞ。


他の本の感想に関しては、こちらから読めます。



ここまで読んで下さりありがとうございました。
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