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香月日輪「大江戸妖怪かわら版」

「さあさあ、大変だ大変だ。上下揃って事明細ィ!!」

おや。なにやら元気な若い人のお兄さんが駆け回って紙を渡しています。しかも、そこは負けないような

「一枚くれ!!!」「こっちもだ!!!」

という群衆の声、声、声。おお、どっちも負けず劣らずなんとも活気あふれていますね。手も首も無数に伸びて千手観音みたいになっています。わお。数秒かからずに見事、完売しています。がっかりしている人たちのために、お兄さんいわく更に刷って後ほど売りに回ってくるそうです。職場に走って戻っていきました。なんて、粋な計らいでしょう。そしてなんて嬉しそうに駆けていくんだろうと思いました。

というわけで、こんにちは、Nollです。ささやかな寸劇にお付き合いいただきありがとうございます。さて、皆さんはこの「上下揃って事明細」というセリフをご存じでしょうか?このセリフはかわら版を売るときの謳い文句だそうです。また「かわら版」は当時の読物、今でいう速報や新聞の役割と言えると思います。ネタがないときは、書かないor貯めておいた小ネタを出すようにしていたそうです。
今回は香月日輪先生が書かれた「大江戸妖怪かわら版」というシリーズの小説です。このシリーズはすでに完結しています。他にもう有名なののもあります。それは追々列挙していきます。こちらも読み応えがあります。
この「大江戸」シリーズは学生の時から読んでいましたが、しばらく本棚に眠っていました。最近読み直し終えて「ああ、やっぱりこの世界が好きだなぁ」と思ったので書きたいという思いに至りました。染み入るやりとりもさながら、捻りのある洒落も多いと思っています。話によってはちょいちょい色ネタが入ってきますがそれはまあご愛敬ですね。シリーズいくつかの長編にコミック版もありますが、原本となった小説より多くの方に読まれ、末永く残ってくれますようにと願っています。漫画版もよりお話を研究されてとても丁寧です。ただそれは、それはあくまで「読んで描かれた方の想像する大江戸」です。「読んで想像するその人だけの大江戸」の世界も粋なものだと思います。またそれは、興味をもった部分を深堀することで更にアップグレードできるのも面白いと思います。
この本は私にはまだ手離せそうにないです。

香月日輪先生とは

香月日輪先生は、1963年、和歌山県生まれ。2014年、12月に亡くなられています。訃報を見かけたときは言葉を失いました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
さて、代表シリーズに『地獄堂霊界通信』『妖怪アパートの幽雅な日常』『大江戸妖怪かわら版』『僕とおじいちゃんと魔法の塔』『ファンム・アレース』などがあります。それ以外にも『エル・シオン』や『下町不思議町物語』などの単行本なども発行されています。それ以外にも『香月流!幽雅な相談室~妖アパから人生まで』という相談をまとめた本や『妖怪アパートの幽雅な食卓 るり子さんのお料理日記』と作品に出てくる食事を日記形式で記録されたレシピ本もでております。
「大江戸妖怪かわら版① 異界より落ち来る者あり」(講談社)の解説にて田端しづかさん(書評ライター兼編集者)という方が香月日輪先生が次のように語られていたというのを引用されていました。

「私の作品には共通のテーマがあって、これからも変わらないし、たぶん繰り返し繰り返しに書いていくことになると思います。」
                   活字倶楽部二〇〇七年 夏号より

「大江戸妖怪かわら版① 異界より落ち来る者あり/香月日輪」(講談社)

自分が所有していた本当少ないいくつかの作品を読んでいて、このインタビューのコメントは本当にそうだなと思います。一番長く続いたであろう『妖怪アパートの幽雅な日常』は読んだ事がないのですが、『エル・シオン』や『地獄堂霊界通信』『大江戸妖怪かわら版』『ねこまたのおばばと物の怪たち』『僕とおじいちゃんと魔法の塔』も個性はそれぞれなのに、不思議と最後は同じ「テーマ」が伝わってきます。そして、これは私の推測なのですが、このメッセージが読者に伝わるなら、もしくは、すでに備わっているなら、長編でも短編でも多分どれを読んでもいい、何なら読まずにおいてもいいくらいの共通することかもしれません。お好みの世界から選び読めるだけのバリエーションはあると思います。ファンタジーか和風か、古代か現代か、などなど。
余談ですが、このnote書くのに調べ直して驚いたことに、『地獄堂霊界通信』の対象年齢はだいたい小5,6、『大江戸妖怪かわら版』は中学生だそうでした。10回ぐらい画面見ながら「ええええええええええええええええ」と驚愕したのは今回が初めてでした。調べると予想だにしないことも知ってしまいますね。というのも、私が覚えている限りで恐縮ですが『地獄堂』も結構な展開があったと思い、一人で百面相しながら「え、小5さんから?ま、いや漫画もあるけど、え、まじなの?」と始終動揺し通しでした。どこからともなく「さっさと書きやがれ!!!」と大首の目が覚めるような怒号が聞こえてきた「はい!!!!」と気を引き締め直します。ここで強制終了にします。

「大江戸妖怪かわら版」の魅力

「大江戸妖怪かわら版」は全7巻もしくは8巻で完結したシリーズです。ただ、このシリーズが好きなのは、「江戸」という舞台と、「妖怪」や「魔人」というちょっとファンタジーな登場人物たちの魅力です。この大江戸妖怪たち、初めて文庫の表紙絵を見たとき全然おどろおどろしくないのです。それだけでも結構な衝撃でした。あらすじを読んでも立ち読みしてもそんな気配はなしで、購入しました。今でも覚えています。(ちなみに、初めて見かけたのは講談社さんのものでものすごいあとから理論社さんからも出版されていることを知りました)最後の一巻だけは「雀」が視点ではなく、「大江戸」という世界が中心に書かれています。
町の在り方とか、暮らし方とか、多少の種族の差はあれど一日のサイクルはよく言われる「人間」の暮らしと同じなのです。善悪もまたしかりです。また道具や地名、洒落や言葉の読み方など当時に合わせたものがとても多いのでこれもまた読んでいて楽しいところです。地図としては「深川」や「八丁堀」や「大浪花」など今でも親しまれる呼び名の地名が出てきます。でもすべてが江戸に焦点になっているかというとそうでもなさそうで、少し中身に触れると「キャッフェー」や「アイスクリン」などが出てきます。実際に日本に入ってきたのは明治ごろですが、そこはファンタジーならではの融合なのかもしれないです。ただ、第六巻の事件だけは書かれた時期と今の事がリンクすることがあって、読んだときに先生、あなた一体何者さまでございますかと固まってしまいました。
ちなみに最終巻は主人公・雀が主体というよりも彼を取り巻く関係者がメインという感じです。香月先生は漫画家の「杉浦日向子さんに捧ぐ」としてメッセージが綴られています。

杉浦日向子さんに捧ぐ
今回の作品中「風流大江戸雀」は、杉浦さんの、江戸川柳漫画『風流江戸雀』からヒントをいただいた。『風流江戸雀』は、古川柳「風柳多留(はいふうやなぎだる)」から選び抜かれた佳句をもとに、江戸っ子の日常を描いた傑作である。それに習い、私も古川柳から、大江戸っ子の日常を書いてみた次第だ。香月日輪

「大江戸妖怪かわら版⑦ 大江戸散歩/香月日輪」(講談社)

杉浦日向子さんの作品で、なんとなく記憶に残っているのは確か「葛飾北斎」の日常を漫画にしたのを昔読んだ記憶があります。おぼろげですが。ちょっと探してもう一度、読んでみる必要がありそうです。こちらの江戸川柳漫画『風流江戸雀』は未読なので探してみようと思います。
また「江戸」そのものについて書いてしまうとお話が脱線してしまいそうなので、それはまたの機会にしてみます。

最初に読んだときはただただ、そういう風物が好きだっただけなのが、今は自分でもこれはあれはと調べてみたくなって、こうして書いているのが可笑しな感じがします。滑稽というわけではないのですが。またこんなに書けることにまあ自分でもまあ滅法界驚きです。
この誰かの本は誰かの本に触発されて次に次にと流れていく様を目の当たりにすると、「ゆく川の流れはたえずしておなじみずにあらず」というのがふと頭の中をかすめていきます。この作品の「誰に遠慮もいらねぇ。」という一言が目に飛び込んできた時は不覚にも泣きそうになってしまいましたのをはっきり覚えています。この一言は香月先生が書きづつけてるテーマとかなり重なります。そして、それを雀は全身全霊を懸けて体現しています。それが何かは、どうか読んで探して頂きたいです。その答え、見つけたものは私とは違うものでしょう。でも、見つけたら雀のようにその「答え」を離さずにしてもらえたらいいと願います。

橋の上でお兄さんが次のかわら版を持ってきたみたいだ。おお、もうそんな時間なのね。
「さあさあ。上下揃って事明細ィ!!」
にぎやかな活気が夕暮れにあふれている。またしても自分に一枚と少年に手が無数に伸びている。
憂い無き世などこの世にありはしないのだヨ、だからこそ。と、丸いサングラスをかけたザンバラ頭の男は楽しそうにかわら版が売れる様を見ながらぼそっと呟いていました。「だからこそ」なんでしょうね。

こちらは漫画版です。

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