写真整理 Ⅸ 〜懐かしの台湾写真〜
どうも西尾です。
昨日は暖かい1日で、昼間は長袖シャツ一枚でも過ごせるほどに快適な日でしたが、今日は1日中本降りの雨となります。
雨の日なのでこの曲を聴きながら。
写真整理 Ⅸ
〜懐かしの台湾写真〜
九份から台北に戻ってきた私であるが、TAIPEI HOSTELに戻った後については、実のところ、あまり記憶に無い。
その日の夕食は何を食べたのかも思い出せず、また写真を探すも見つからず、そもそも夕食を食べたかどうかも分からず、写真に収めたのかも分からない。
何時に寝たのかも覚えていない。
もしかしたら、九份から戻って疲れで直ぐに眠っていたのかもしれない。
そんな感じで台北での滞在を終えてしまう。
翌日、私は台北を去ることにした。
どこが良いだろうと考えている時に、イタリア人が言っていた「台湾は西海岸より東海岸の方が良い」ということを思い出し私も東海岸の花蓮に行くことにした。
二泊もお世話になったTAIPEI HOSTELに別れを告げて、台北駅から特急自強号に乗り東海岸の街・花蓮に向かう。
自強号の車内は多くの人で賑わっており、私の座席はどこかと探すも切符には“無座(No seat)”と書かれている。
つまり、私の座る座席は無く目的地の花蓮までデッキで立ちっぱなしの鉄道旅というわけであった。
台湾の鉄道駅はどこか南国の雰囲気を感じられる駅が多く、まるで『世界の車窓から』に自分が入り込んでいるような感覚で、デッキで立ちっぱなしにもかかわらず私は鉄道旅を楽しんだ。
時折、女性の車掌さんが車内を確認しにやってくる。
今では日本でも女性の鉄道運転手や車掌さんをよく見かけるが、当時は未だ珍しい存在だった気がする。
台湾は女性の社会進出が進んでいるのだなと関心したのを覚えている。
特急自強号は一路花蓮を目指して、速度をあげていく。
出発した直後はのんびりと、ゆっくりと走り出すが段々と加速するとものすごいスピードで街や山々を走っていく。
車窓から見た台湾の山々は、標高も高く所々で岩肌が露わになっており非常にダイナミックな印象を受けた。
台湾は島の面積に対して山の割合が高く、標高の高い山々が多いのも特徴の一つで、鉄道が山麓を走っていることもあり、至近距離で自然の雄大さを感じとれる。
車窓の景色を楽しんでいると、あっというまに目的地の花蓮に到着した。
ホームにはスーツケースを持った人が多い。
花蓮に到着し駅を出た私はとりあえずイタリア人が宿泊している宿に向かってみた。
駅から10分くらい歩いたところにその宿はあった。
こちらは台北で宿泊したTAIPEI HOSTELとは打って変わって外観からしてすごく綺麗そうな宿である。
おそらく、受付の人もタンクトップに短パン姿では無いだろうと思い、宿に入ってみた。
宿に入ると物腰が柔らかそうなおばさんが受付をしている。
イタリア人が宿泊している旨を伝えると宿泊していないと言われた。
私は焦った。
宿を間違えたのか、それとも花蓮から移動したのか…
イタリア人がいてるから大丈夫だろうと思い、私は宿も予約せずに来てしまった。
今振り返ると、仮にイタリア人に会えたとしても宿を予約していない自分もどうかしていた思う。
この宿でWi-Fiに接続させて貰いイタリア人にメッセージを送ってみる。
数分して返事はきたが、イタリア人もまさか本当に来てしまうとは、と言った感じで驚いていた。
イタリア人と連絡できたので一安心でったが、宿にいないというのが不思議で仕方がなかった。
住所もあっているし、イタリア人も未だ滞在している。
このWi-Fiを接続させてくれた宿のおばさんがお茶を出してくれたので、私はそのお茶を頂いて少し休憩させてもらった。
この宿のおばさんも日本から来たよく分からない男である私に親切にしてくれて、Wi-Fiだけではなくお茶まで出してくれた。
この宿のおばさんには本当に感謝しかない。
少しの間休憩していると、どこからかイタリア人が現れたのだ。
短パンにTシャツでスリッパ姿という何ともラフな格好をしていた。
聞くと、この建物には何軒か宿が入居しておりそのうちの一つに宿泊しているみたいだった。
この宿のおばさんにお礼を述べてイタリア人が宿泊する宿へ向かった。
そこは歩いて数秒の場所にあって、私は腰を抜かしそうになった。
私としたことが、イタリア人からのメッセージに宿名が書いてあるかどうかを先に確認しておくべきだった。
一人で不安になりパニックになって、変に周囲を巻き込んでしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
私は改めて数日ぶりのイタリア人との再会を喜ぶと同時に、この宿のご主人や他の宿泊客に挨拶をした。
昼食を食べていたので、私も一緒に食べさせて貰うことにした。
お店で買ってきた、ほうれん草のおひたしのようなおかずと、どんぶり飯のようなご飯だった。
どんぶり飯のようなご飯には味の付いたゆで卵とタケノコ、厚揚げ、豚肉らしきものを混ぜたもので、日本の牛丼のようなものであった。
私は豚肉が苦手であったが、色々と迷惑をかけた上に昼食までご馳走になるのだから文句は言ってられず食べてみることにした。
実際に食べてみると思いのほか美味しかった記憶がある。
料理名は分からないが台湾の料理には違いない。
宿のご主人から泊まる所はあるのかと聞かれたので、泊まる所が無く部屋が空いていれば泊まりたい旨を伝えたが、あいにくこの宿は満室だと言う。
そうとなれば宿を探すしか無いなと思っていると、ご主人の知り合いがしている別の宿なら空いていると教えて頂き、有り難いことに予約までとってくれたのである。
何から何までお世話になってしまい本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
私が泊まることになった宿は歩いて数分の所にある宿で、イタリア人や他の人たちも一緒について来てくれた。
その宿の名前はBIG BEAR HOSTELと言う、なかなかカッコいい名前の宿であった。
宿につくと既に話がついているのでチェックインをして部屋に案内された。
私の泊まる部屋はこれまた4人の相部屋であったが、宿泊客は私を含めて2名だけだった。
もう一人はオーストラリア人の男性で一言だけ喋っただけであった。
荷物を置いた私はイタリア人たちと共に花蓮の街へ繰り出すことになった。
気づけば既に時刻も夕方になり辺りも薄暗くなってきた。
この日は既に色々と濃い1日であった。
続く。
以上になります
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