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2020年2月の記事一覧
しゃべれることが、少なくなっていく。
だいたいここに何か書こうというときには、思いつくことを思いつくままに書くのだけれど、そんな僕ですらここ数日のコロナウィルスの話の急展開には影響を受けている。
ついヤフーニュースを見てしまったり、疫学的な話を読み込んでしまったり、スマホを持って黙りこんでいるものだから、奥さんに「見過ぎ」とたしなめられた。
特に昨日の全国の小中高一斉休校(の要請)のニュースの余波はすごかった。SNS上にいるお母さ
少年時代は終わらない。
昨日の『プリズン・サークル』を観ているときにも思ったことだけれど、
子どもの頃のことって、全然終わってないんだなあと思う。
いくつになっても、その頃の自分は生きていて、いまの自分に影響を与えている。
僕はもっとぶつ切りなんだと思っていた。記憶もだんだん薄れていくし、身体も意識も関心も変わっていくから、過去の自分というのは全くの別人で、脱皮した後のセミの抜け殻みたいにカサカサになって消えていくん
安心感ってそゆことか。
昨日紹介した『こころの対話 25のルール』
のこの部分がとても響いている。
もっとほかにもありますが、少なくとも、お互いの感情に触れるとき、わたしたちは「安心感」を体験します。それが、楽しさであれ、さびしさ、悲しみであれ、お互いの感情に触れるとき、わたしたちは、安心します。お互いの感情には「共感」することができるからです。たとえ、考え方が違っていたとしても、感情には共感できるからです。(伊藤守
聞かれることが人にもたらすこと。
こちらのページで紹介されていた『こころの対話 25のルール』。
今日、電車の中で読んでいたらすごくよくて、気になったところを次々に抜き書きしている。
P.20
なぜなら、聞かれないということは、単に自分の話を聞かれていないだけでなく、話している自分の存在そのものを否定されたこととして認識されるからです。逆に言えば、聞かないということは、その人の存在を否定することになります。たとえ、あなたにそ
痛むところをかばうように。
こないだ、障がい児の施設のアルバイトに行ったら、スタッフさんがケガをしていた。腕と足に包帯を巻いていて、ずいぶん不自由そうである。
それで、そのスタッフさんがつくろうとしていたおやつをいっしょになって作った。期せずしてそれは僕がおやつをつくるはじめての経験となった。「昔こうやって母親にお手伝いしなさいと怒られたんですよ」なんてことを話した。
翌朝、スーパーの品出しのバイトに行くと、スタッフさん
二次ってやつが、厄介なんすよね。
「こちらの利用者さんは、二次障害で統合失調をもっておられます。」
と、障がい者施設のスタッフミーティングで聞いたとき、僕は「二次」という言葉に反応した。
ちょうど僕は先週、足を痛めていた。
擦りむけて薄くなった皮にばい菌が入って二次感染したのだ。
大したことないだろうと高をくくっていたのだけれど、その後どんどん痛くなり、苦手だった病院に行く羽目に。楽しみにしていたディズニーランドも車椅子で回