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叱らないしつけ方。

子どもをもたない僕が「叱らない」「しつけ」などと検索窓に入れたのには訳がある。

宿直バイトで関わる障がいをもつ人たちにどう「しつけ」ができるのか知りたかったからだ。

彼らの多くは成人の年齢を超えている。人によっては僕よりも年上の人もいる。けれど障がいの影響で、その行動は幼い子どもか、時には赤ちゃんと同じくらいのところで止まっている。

そうした彼らが施設を出ても困らないように、幼い子どもにそうするのと同じように「しつけ」がなされることがある。

「しつけ」を検索すると、こんな意味が出てくる。

しつけとは、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞いができるように、訓練すること。概念的には伝統的な子供への誉め方や罰し方も含む。ドイツ語では、しつけのことを、die Zuchtというが、これは人に限らず動物の調教、訓練の意味もあり日本語のしつけと同じである。(『ウィキペディア』より)

僕も、そしてこれを読んでくれている人もきっと人生の最初期にこの意味でのしつけを受け、おかげでスムーズにものが食べられたり、お手洗いを済ませることができる。危ないところに飛び出したりはしないし、割れそうなお皿は気をつけて運ぶ。

でも障がいをもつ人たちは、そうしたことが理解できずに止まっている。見た目は大人なのに、子どもでもできることができないから一見奇妙に見えるが、彼らの中に「人間社会・集団の規範、礼儀作法、慣習」などといったものは存在していない。

だからこそ、どう「しつけ」がなされるのか。そんなことが可能なのかに関心がある。

僕はまだ一ヶ月しか関わっていないけれど、出会った人の多くは「叱られる」ことによって行動を矯正されていた。おそらく周りの大人にとって、それが彼らの行動を制御する一番効率的な方法だったのだと思う。

けれど、僕も含めた多くの人にうなずいてもらえると思うけれど、いつまで経っても叱られながら生きていくのはつらいものだ。まして、彼らはその叱られている理由を理解できない(と外側からは見える)。

検索してみると、子育ての世界にはどうやら「叱らない子育て」の方法論があるらしい。会社での上司・部下の関係でも同様に「叱らない」で伝える方法が模索されている。そんなふうに「叱る」ことの即効性から離れようとする動きが社会のあちこちで見られる。

同じように、障がいをもつ人たちにする「しつけ」においても「叱らない」ことはできないだろうか。

まだ考えはじめたばかりで答えは見つからない。上っ面の理想論を言っているだけかもしれない。それに何と言っても「叱られる」ことの刺激は強烈だ。障がいをもつ人たちにもダイレクトに伝わる。ただでさえ言葉が通じにくい彼らに「してはいけないこと」を学んでもらうには致し方がないことかもしれない(だから彼らを叱った人たちを批判する気はさらさらない)。

でもなんらかの代替案があるような気がする。というか、あってほしい。即効性はなく、時間や手間がかかるものであったとしても。

でもきっと素人の僕だけでなく、みんな同じことを考えてきたんじゃないかな。こうした「叱らない」世界への願望は、障がい分野だけでなく、社会の多くのところに通じるものじゃないかと感じている。

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