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痛むところをかばうように。

こないだ、障がい児の施設のアルバイトに行ったら、スタッフさんがケガをしていた。腕と足に包帯を巻いていて、ずいぶん不自由そうである。

それで、そのスタッフさんがつくろうとしていたおやつをいっしょになって作った。期せずしてそれは僕がおやつをつくるはじめての経験となった。「昔こうやって母親にお手伝いしなさいと怒られたんですよ」なんてことを話した。

翌朝、スーパーの品出しのバイトに行くと、スタッフさんが腹痛だという。それでもシフトに穴を開けられないので出勤はしていた。

運良く手があいたので、僕は彼女の持ち場に行き、デザートを素早く並べた。いつものんびりやっているけれど、今日は快速か特急くらいの感じでやった。

どちらもずいぶん感謝された。自分でも不思議なくらい力がでた。

先週は僕自身が足を痛めていた。周りの人からずいぶんいたわられた。ディズニーランドで車椅子を借りてパークをまわると、まるで王子様のように優遇された。かつて十年近く勤めていたけれど、こんな経験ができるとは知らなかった。

人体は傷ついたところに集中してエネルギーを注ぐというが、それと同じように人間関係も痛むところをかばうように動くのかもしれない。実際、なまけ者の僕であるのにスタッフさんのカバーをしようと思ったら、思いがけない力がわいた。

「困った時はお互い様」という言葉があるが、人と人がそんなふうにつらい時に助けあえるものだと知っていたなら、生きていくことは心地いいものになるように思えた。

そして不思議だけれど、そうやって誰かをカバーする時の力は特に良心的なフリをしなくてもわいてくるし、結構気持ちのいいことでもあったりするのだ。それは体の中の細胞がなにも考えなくても痛むところをかばうようなものなのかもしれない。

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