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テレビとYouTubeがもたらした子どもたちへの悪影響

この記事は広がればええなと思っています。色々な方に読んで頂きたいです。1つの事例として共有出来れば幸いです。


今日ある小学生の子が悩んでいて話しを聞きました。友だちと一緒にクラスの子にドッキリを仕掛けたらしいんです。すると、その子はめちゃくちゃ怒っていたとのことでした。それで謝罪したいけどどう思うかと言う話しだったんです。私は、


「やってしまったことは良くないことだったかもしれないけど、謝罪しに行きたいと思ったその気持ちはとても良かったね。自分で考えてそう決めたのは勇気がいることだったと思う。」


っと答えました。すると、その子は


「謝罪したいけど実は少し怖くて。顔がすごく怒っていたから。」



っと言っていました。うーん、難しいなと思ったんです。私は


「その子がまたドッキリだと思う可能性もあるよね?そう考えたらまたトラブルになってしまうかもしれないね。」


っと伝えました。

「そっかー。どうしよう。」


っと悩んでいましたので、私は


「担任の先生に相談して一緒に謝罪するのが良いんじゃないかな?担任の先生に相談してみな。」



っと伝えました。その子はスッキリしたようでそのまま担任の先生に相談に行きました。


私はドッキリがこれだけではないと思っているんです。きっとクラスの中で何回も起こっているのだと思います。そう考えた時、担任の先生に繋ぐことでクラスでの問題としても捉えて頂き担任の先生に解決して頂くのが一番だと思ったんです。


何かをしてしまって謝罪することは子どもたちの世界では良くあることです。しかし、その謝罪がドッキリと相手が思ってしまう可能性があると言うのは非常に厄介だなと感じた訳なんです。一番確実なのは、


先生が間に入っている謝罪は絶対ドッキリではない


という形を取ることかなと思ったんです。またトラブルになる可能性を考えると大人が間に入る以外の選択肢は難しいなと思いました。トラウマや疑心暗鬼になる可能性を秘めていると思うんですよ。場合によってはケアが必要なケースも出て来ると思います。


最近テレビでもYouTubeでもドッキリってすごい人気ですよね。ある意味ブームだと思うんです。昔からあるコンテンツだとは思うのですが、今のドッキリはYouTubeで気軽にやっていたりと敷居や距離感が近いのかなと感じたんです。ドッキリって


ヤラセだから成立する


っと思うんです。ヤラセでなかったら大半が


相手が不快に感じるだけ



だと思うんです。


これはドッキリだから許される



みたいな正当性も怖いですよね。昔のテレビのドッキリのような非現実的なはっきりした境界線がなく、今のドッキリはあまりにも身近になり過ぎて境界線があいまいになっている印象を受けました。


なぜドッキリがこれだけ流行っているかと言うときっと金銭が絡んでいると思うんです。視聴率だったり再生回数を狙った大人が考えたお金のためのコンテンツです。これを真っ直ぐな素直な子どもたちがそのまま受け取りこのようなトラブルになっていると言うのは非常に残念だなと思いました。怒りすら覚えます。


確かに子どもに悪影響ではないかというものは世の中には溢れかえっています。しかし、このドッキリはその中でも非常にタチが悪いです。うまく使えない人には一線を越えてしまうようなそんな可能性を秘めています。


守秘義務のため大部分の設定は伏せています。今日の記事は沢山の方に見て頂ければ幸いです。皆さまはどうお考えになられますか?ご家庭や教育の場など色々な場面でお話しになるきっかけになれば幸いです。





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