【短編】『僕が入る墓』(遡及編 一)
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僕が入る墓(遡及編 一)
蝉の鳴き声と共に暑苦しい朝日が昇ると、僕たちは長い廊下を抜けて外へと出た。そこら中の外壁や窓は崩壊し、外から見ると久保田家の屋敷はまるで敵軍の奇襲を受けた跡のように廃墟と化していた。門の表には顔を真っ二つに切られた警察が倒れていた。もう一人はお勝手口付近で気を失っており、義父が頬を何度か叩くと目を覚ました。事情を理解できていない様子で僕たちの疲れ果てた顔を見ては、口をポカンと開けた。
「無事だったか。君、すぐに署に戻るんだ。そしてこう伝えてくれ。あとは自分たちでなんとかすると」
彼はどうもピンと来ていない様子で座り込んでいるため、義父が一言付け加えた。
「敵の奇襲だよ。ちょうどさっき帰った」
すると、突然昨夜の出来事を何もかも思い出したかのように目を大きく見開くと、一目散に屋敷を出て行った。しばらくすると、一度大きな叫び声がしてから急いで車を走らせるエンジン音が屋敷に響いた。
義父はスマートフォンを右耳に当てていた。
「ご連絡お待ちしておりました。久保田様ですね」
「あ、はい」
義父は首を傾げた。
「なぜ私の名前を?」
「詳しくはあなたのご自宅でお話しします。もう除霊の準備はできています。今からそちらに向かってもよろしいでしょうか?」
「は、はい」
義父は霊媒師の突拍子もない言葉に動揺しながら思わずそう答えていた。
僕は義母の腕から振り下ろされた平鍬のことが今でも頭から離れなかった。明美を襲ったのも義母だったのではないかと思うとゾッとした。もしそうだとしたら、無意識のうちに霊が義母の体に乗り移り、本人の意志とは関係なく娘を自らの手で殺そうとしたということになる。僕が義母の立場であったら気が気でなくなってしまうような気がした。幸い義父も義母も明美を襲ったのは怨霊そのものだと思っている様子だったため、義母のことを心配する必要はなかった。僕はこのことについては心の中に閉まっておこうと思った。
ピンポーン
玄関からインターフォンの音が響くと、義父が駆け足で屋敷の外へと出て行った。
門を開くと、下は緋袴に上は白衣の巫女の格好をした老婆が立っていた。
「こんにちは」
「お越しいただきありがとうございます」
巫女は何も答えることなく、慣れた様子で敷居を跨いで門の中へと入っていった。義父は巫女の作り出した沈黙に耐えられず、直ちに言葉を発した。
「あの、以前一度お会いしたことは――」
巫女は足を止めると、義父の方を見るわけでもなく抑揚のない冷めた物言いで答えた。
「いいえ」
そして再び屋敷の方へと歩き始めた。義父は電話で老婆が言った言葉が気になって仕方がなかった。老婆は電話をする前から電話が来ることを知っていた様子だったのだ。しかしそんなことはありえるはずがない。おおよそ昨夜のことで疲れ切って聞き間違いをしていたのだろうと自分を慰めた。義父は巫女を屋敷の中へと案内した。巫女の老婆はあたりを見渡してから一度微笑んだ。すると初めて義父の方に視線を送って話した。
「まあ、やはり大変なことになっていますね」
「大変というと?」
「はっきりと見えますよ」
「何がですか?」
「怒りです」
「怒り――。霊は一体どこから来たんですか?」
巫女は義父の言葉を無視して冷たい口調で言った。
「私には、普通の人が見えないものが見えるのですよ。あなたの屋敷で起こっていることも、あなたから連絡がくることもわかっていました」
義父は顔を強張らせて言葉を返した。
「一体どうやって――」
「どうやってと言われても、私が変わった巫女なだけです」
「そうですか、まさか未来が見えるとは――。私には到底信じ難いですが」
「そうでしょうね。霊さえも信じていない様子でしたからね」
義父は何も答えなかった。巫女は体を真逆に向けると廊下を我が家のように手際よく歩き始めた。すると再び義父の方に振り向いて言った。
「一つお願いがあります。屋敷をできる限り暗くしてください。なるべく日差しが入らないように」
「どこの部屋をですか?」
「全てです」
義父は頭を縦に振ると、僕と義母を呼んで巫女の指示を伝えた。僕は居間へと急ぐとカーテンを全て閉じ切った。間から差し込む日差しさえもなくすために台所にあった洗濯バサミでカーテンの端と端を留めた。屋敷全体が数時間前のように暗闇に閉ざされると、僕たちは居間に待機した。老婆の巫女は仏壇の置かれた部屋にひとりきりになり大きな声で何かをひたすら唱え始めた。
しばらくして居間の扉が開くと、老婆が今しがたの気性の荒さとは打って変わって冷静な顔で僕たちを呼び止めた。
「何もかも明らかになりました」
「本当ですかっ!」
義父は動転した様子で老婆に縋った。
「はい。落ち着いてください」
「ああ、すみません」
老婆はゆっくりと居間のカーテンを開けながら語り始めた。
「どうやら、彼らはあなたたちに強い恨みがあるようです」
「一体誰なんですか?」
「まあ、お待ちください。順を追ってお話しします」
義父は気を落ち着かせて座敷に座り直した。僕と義母も黙って老婆の話に耳を傾けた。
「まず、すでにご存知かと思いますが、霊というのは、肉体を持ちません。そのため彼らは物理的に我々に攻撃することはできないのです。彼らは我々を襲おうにも実際の体が必要です。そのため昨晩はお母様に乗り移って息子さんに襲いかかった。警察も同じです。外に立って待っていた一人に乗り移ってもう一人を殺してしまった。昨夜、息子さんがお母様に殺されなかったのは奇跡でしょう」
「なぜ僕は狙われたんですか?ましてや警察も――」
僕は無意識のうちに老婆にそう尋ねていた。
「わかりません。この屋敷の者だと勘違いしたのでしょう」
老婆は僕の方を一度睨みつけてから再び語り始めた。
「話を続けます。では、霊がどこから来たのかについてですが、これが今回の除霊においても重要な点になってきます」
僕たち三人は固唾を飲んで老婆の話に聞き入った。
「霊の正体は、農民です」
「農民? なぜ農民が我々なんかを――」
巫女の老婆は語り続けた。
時は明治九年に遡る。木曽山脈の山腹に鬱蒼と生い茂る木々を抜けると、そこに一つの集落が現れる。およそ二十から三十の家族がその村で暮らしていた。米や麦を主に耕し、他にもゴボウや長芋、大根などを傾斜で育てていた。これらの作物は簡単に腹がふくれるため満足に飯を食べられない小作人たちにとっては欠かせないものだった。彼らは冬になると稲が育たないため、草鞋や蓑などの衣服を作る傍ら、畳表作りのためのい草や、ほうき作りのためのほうき草を栽培した。
当時、廃藩置県を成功させた明治政府による新制度によって、土地を地主に売り払って小作人へと没落する農家が急増していた。その新制度とはご存知の通り、地租改正のことである。その村の人々はそうやって自分の土地を失い、もとは独立していた身分から地主のもとで半ば年貢のような形で小作料を地主に収めるようになり、村社会へと溶け込んでいった。皆、地主のもとで畠仕事を生業にかろうじて生活を維持していたが、その暮らしぶりはと言うと大層貧相で、毎日米が食える家などどこにもなかった。
太助という男も、もとは自分の畠を持って稲を耕していたものの、それを貨幣に変える才がなく、泣く泣く村の顔馴染みであった者に売ってしまったのだ。しかし太助の心のうちでは、愛情を込めて耕した畠を誰かに手放すことは心が傷んだ。畠を買い取った男は元々商売に長けていたこともあり、しまいには村のほとんどの畠を買い占めてしまった。徐々にその男は畠を拡大していき、村一体を地主として管理することとなった。
幸い太助は長いこと稲作を本業にしてきたため、地主からは稲作を続けるよう頼まれた。畠に案内されたときは言葉を失った。売ったはずの畠を今まで通り耕し続けることとなったのだから。――今度は小作人として。やはり米は金になるようだった。太助はどうも貨幣というものに無頓着で、その価値をあまり理解できていなかった。今までは米の量を物差しに日々の家計を回していたものの、それが貨幣に取って代わるとなると、ピタリと思考が止まってしまうのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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