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【短編】『大失敗作』

大失敗作


 僕は来季のギャラリーで展示する絵画作品の選出を任されていた。だが気づくともう締め切りが迫っており、どうあがいても選出に間に合いそうになかった。もうダメかと思っていた矢先にとある新宿の飲み屋で知り合った長年画家をやっている70の男のことを思い出したのだ。僕がギャラリーの営業担当であることを話すとすぐに食いついてきたが、僕の知る限りその画家はこの界隈でも一癖ある画家のようで、僕としてもあまり関わりたくはなかった。しかし、このような事態になった今、仕方なく彼に頼るほかなかった。

「よく来てくれた。歓迎するよ」

「いいえ、仕事ですから」

「まあ座りなさい」

彼はそう言ってどこかに姿を消すと、大きなキャンバスとキャンバス立てを抱えて戻ってきた。

「ちょうど私の最高傑作ができたところだ。他の作品は売れてしまってもうない」

「一作しか残ってないんですか?」

彼の作品の数々はすでに調べ尽くしており、どれも秀作ばかりでなかなかの画家であることは知っていたが、全て売れてしまっているとまでは想定していなかった。

「どれ。どうかね?」

キャンバスには、黒く塗り潰された背景に白い棒人間が二人。そして、二人のすぐ後ろにそびえるこれまた棒でできた一本の木。彼らの頭上には太陽なのか月なのかわからない白い丸が小さく上がっていた。おおよそ新しい絵のスタイルに挑戦してみようかと意気込んで描いたことが見てとれ、あからさまに駄作だった。

「先生、できれば他の作品を見せていただけませんか?」

「なに?この作品がダメだと言うのかね?」

「そうは申しませんが、僕の知っている先生の他の作品と比べてもいかにも手を抜かれているような気がしてなりませんのです」

「なんだと?さては君、芸術というものを知らないな?」

「芸術ですか?僕は人生の大半を芸術に捧げてきたつもりですが」

「そうか、ならもう一度君に問う。この作品をどう思う?」

「これは、一見素人から見ると見栄えも良くこの棒人間や木が象徴的に描かれており優れた作品と評されるかと思いますが、僕の見解ですと、ただのお絵かき同然です。先生が長年作品を描き続けてきたことは十分承知しております。しかし、はっきりと申し上げますと、あなたはご自分を巨匠とお思いでしょうが、全くの見当違いです。あなたはダリでもピカソでも、マグリットでもない。あなたはこのような作品をまだ書く段階にはいないのです」

僕はあまりの男の自信ありげな態度に苛立ちを覚え、少々辛口に言ってしまった。僕は言いたいことを全て吐き出したことで快感を得ていたが、どこか営業担当としては大それたことをしたという自覚があった。男はというと、ここまで素直に物申すとは考えもしなかった様子で、しばらくの間黙り込んでしまった。男は突然椅子から立ち上がり、キャンバスを手で持ち上げると呟いた。

「そうか。君の言う通りかもしれぬ。この絵にはなんの価値もないのかもしれぬ。この作品は私の人生における最大の失敗作と評されても致し方ないかもしれぬ。しかし我これを認めては、この作品が失敗作となる道は避けがたい。もしこの作品が失敗作にならずに済んだならば、君はなんと言う?」

「それは何とも素晴らしいことですが、失敗作は失敗作以外のものには変わりようがありません」

僕は再び男の背中を突くように辛辣な言葉を投げたが、今度は考え込む様子はなくむしろ堂々としていた。男は持っているキャンバスを元に戻すと、倉庫へと去って行ってしまった。やはり先ほどの言葉がよっぽど効いたに違いないと半分反省していたところ、男は倉庫から大きなバケツを抱えて戻ってきた。何をするのかと僕は待ち構えていると男は僕に呟いた。

「少し離れてみていなさい」

男は新聞紙さらに足し部屋の中を新聞紙で埋め尽くした。床に置かれたバケツを指差して言った。

「君、これが何に見える?」

「水が入っているように見えますが」

「水ではない。絵具だ」

「どうみても水ですが」

「最大限に色を薄めた絵具だ」

「これをどうするおつもりですか?」

男は何も言わずにバケツを再び抱えた。そして、掛け声のごとく体を三、二、一と揺らした瞬間、先生はそのバケツの中に入った液体をキャンバスに向けて放った。動きを止めたかと思うと男は呟いた。

「君、画家は描きあげた作品の出来が悪いと感じたらどうすると思う?」

「その作品を捨てるのですかね?」

「そう。絵具を上から塗って消してしまうんだ。では今し方私がしたことは何だと思う?」

「上から水をかけた?」

「違う。上から絵具をかけたんだ。つまりこれはもう作品ではない。そして作品でないのだとしたら捨てる意味もなくなってしまったのだから、君にあげよう」

僕はその言葉に意表を突かれ、一瞬にして目の前のキャンバスに目を奪われた。男のようなことをした画家はこれまでいただろうか。これは一種の運動であり、革命ではないかという錯覚にさえ陥った。僕は作品、あるいは作品の資格を失った絵画を見ながら、ふと一つの題名が思い浮かんだと同時に男に言った。

「先生、これは傑作です。僕に買わせてください」


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