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【短編】『ルックス・クライシス』(中編)

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ルックス・クライシス(中編)


 美容クリニックを前にして、私は立ち止まった。今日は相談がてら来てみたが、実際に値段を聞いてみて自分が払えないぐらいの金額だったらどうしようか。再びショックを受けて家に閉じこもってしまうのではないかと不安が頭を過った。そもそも本当に整形などしてしまって良いのだろうか。地方にいるお父さんやお母さんに縁を切られたりはしないだろうか。と自分の決心すら疑ってしまうほど情緒は揺らいでいた。

「こんにちは。どうぞそちらの椅子におかけなさってください」

私は無言のまま椅子に座った。院内は通常のクリニックとそう変わらなかった。フロントの女性からペンと用紙を手渡され、必要な情報を記入した。

ご予約済みの方、予約希望の方、ご相談希望の方という三つのチェック欄があり、私は三つ目をチェックした。相談内容で気になる部分にチェックを入れフロントの女性に用紙を返した。

「ありがとうございます。椅子におかけになってお待ちください」

私は再び無言のまま椅子に座った。クリニックに響くオルゴールの音楽が私の心を落ち着かせた。しばらくポスターに映る美人の外国人の顔を眺めていると、フロントから私の名前を呼ばれた。

「1番へお入りください」

私は荷物を手に持ち部屋の扉を開けた。中には色黒で顔立ちの良い中年男の先生が座っていた。

「どうぞ、おかけになって」

「あ、はい」

「今日はご相談ということで?」

「ええ」

「施術をご検討なさっているということですかね?」

「はい。整形手術の相談とお値段などをお聞きしたくて」

「わかりました。スキャンしますとより詳細にお伝えすることができますがどういたしますか?」

「はい、お願いします」

「かしこまりました」

私はスキャン室へと連れて行かれ大きな機械の中に座らされた。スキャンは一瞬だった。

「先ほどの診察師へお戻りください」

と言われ、部屋に入るとすでに先生がスキャン画像を眺めていた。

「どうぞ、お座りください。こちらスキャン画像になりますが、どこをどう変えましょうか?」

「実は私もよくわからなくて」

「そうですか。とりあえず今のお顔が嫌だということですかね?」

「は、はい」

「なるほど」

「私みたいな人は他にここに来ないのでしょうか?」

「私みたいと言うと?」

「私みたいに、私みたいに今の顔が嫌だっていう」

「ええ、たくさんいらっしゃいますよ」

私は先生のその言葉を聞いて少し気が落ち着いた。やはり一番気になるのが金額である。先にそれを聞いた上で手術を受けるか決めようと思った。

「あの、顔を変えるのにはどのくらいの値段がかかるのでしょうか?」

「そうですね。変形させる場所と数にもよりますから、一概には」

「そうですよね。たとえば、見た目が多少可愛くするくらいならどうでしょうか?」

先生はスキャン画像を眺めながら言葉を切った。

「あなたの場合、眼瞼下垂矯正と、顎形成手術でかなり顔立ちが綺麗になるでしょう。まあ、要するに上まぶたのたるみを修正して、顎の輪郭を変えるということです」

「本当ですか。その、金額はおいくらぐらいなんですか?」

「そうですね。100万円前後ですかね。」

思っているより金額は安かった。これならバイトをすればすぐに貯められる額だったため内心ほっとした。

「わかりました」

「すみません。実はまだまとまったお金がなくて。今後お金が用意でき次第また手術の予約をしようと思ってまして」

「もちろんです。ごゆっくりご検討ください。いつでも当院はお待ちしておりますので」

「ありがとうございます」

 私は希望が見えたことで、なんとか引きこもりの生活から解かれ再び大学に通い始めた。人に見られることはまだ慣れていなかったため、常にマスクをして授業を受けた。もちろん社会学の授業はあの男子学生に会ってしまうために自ら単位を落とさざるを得なかった。私は授業の合間や休みの日に接客の仕事が少ないクリーニング店でバイトを始めた。店主の指示のもと、洗濯の手伝いからアイロンがけ、服の受け渡しまで行った。要領を掴むと意外と楽に仕事ができ、店主もとても優しかった。100万円を貯めるのには一年ほどかかった。その間大学内で誰とも友人関係を築くことはできなかったが、むしろ顔を変えてしまう前に友達を作ってしまっては、元も子もないと思い一人黙々と授業を受け続けた。

 いざ手術に挑むときには、自分の元のアイデンティティを失うことに対する寂しい思いは全くなかった。これから自分が生まれ変われると思うと、気持ちが昂って仕方がなかった。周りには看護婦が大勢集まり、施術の準備に取り掛かっていた。私は眩しい電灯を見つめていると徐々に意識を失っていった。どこかで金槌を叩く音がうっすらと聞こえたが、体を動かすことはできなかった。

「終わりました。起こしてあげてください」

「手術は無事終了しました。起き上がれますか?」

一人の看護婦が私の背中に腕を回してゆっくりと起こしてくれた。何本か歯を抜き、顎の骨を分断したことで一切言葉を話すことはできなかった。代わりに看護婦に手渡されたボードとペンでなんとか意思疎通できた。顔を動かそうとすると顎と目の上のあたりが少々痛んだ。すると、看護婦が注射器のようなものを持ってくると、私の口の中に入れた。

中から注入されたものは、ゼリー状のもので味があった。飲食物だった。何度か口に注射器を当ててもらい、ゆっくりと自分のタイミングでそれを飲み込んだ。徐々に時間が経つと同時に麻酔によって硬直していた筋肉も緩み始め、やっと言葉を交わせるようになった。私はすぐにタクシーを呼んでもらい、一人暮らしの家まで帰った。術後の顔は腫れ上がっているために顎にバンドをつけたまま上からマスクを被せて隠した。

 一ヶ月が経ち、ようやく顔の腫れも戻り、顔の筋肉も今まで通り動かせるようになった。もうゼリー状の食事も卒業し、普段通りの食事をすることができた。不自由な暮らしを強いられる中、食事ができるようになることが何よりの楽しみだった。私は今一度鏡の前に立った。そこには、以前猪や男っぽいと小馬鹿にされた元の顔の面影はなく、顎がすっきりとして顔立ちの整った一人の女性の姿が映っていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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