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【54】 脳みそは「ひとつ」じゃなかった! どういうこと⁉

精神科医でもある泉谷閑示氏の『普通がいいという病』を読んでいたときのことです。

「自然に眠れるようになりたい」と切望していた私の目に、ある文章が飛び込んできました。

人間には、「頭」と「心」がある

泉谷氏の言



「心と体」とは、よく聞きますが、泉谷氏は「心」を二つに分け、「頭と心」と表現します。


泉谷氏曰く、ここで言う「頭」とは、人間が計算したり、情報を蓄積し処理したり、推測したり、計画したり、反省したりする能力のこと。

それに対して、「心」とは、感情や欲求の場であり、「したい・したくない・好き嫌い」であり、理由や意味、意義などを飛び越えて、いきなり判断だけを突き付けてくる直感的なもの。

分かりやすく、頭はshould、mustであり、心はwant to、likeだと区別しています。

そして「心」の方は、「体」と密接につながっている。

つまり、私の場合、眠ろう眠ろうと、頭が「should」で考えていて、自然に眠れるはずの心や体が置いてけぼりなんだ。

つまり、私は、頭ばっかり、使ってるんだ


「頭と心」かぁ……。

でも「心」って言っても、心臓にあるわけではないし、結局、「頭」(脳みそのミソちゃん)の中にあるわけでしょ……というところまできて、私はギョッとしました。


「ミソちゃん! あなた、ひとりじゃなかったの?」



「……え、何、なんのこと。ちょっと意味がわかんないんですけど」
とミソちゃん。


「だから、ミソちゃんのなかに、アタマちゃんと、ココロちゃんの、二人が住んでいるの?ってこと」

ミソちゃんに、種類の異なる「頭」と「心」の二人格があり、それらを統合して「私」というひとつの人格が作られている? 

そして、二人のうち「心」の方は、「体」と密接に結びついている? 


ミソちゃんが「存在すること」に気づくようになったけれど、まさか二人いたなんて……。


「ああ! そういうことか!」

あれこれと考えていると、ずっと解けなかったナゾが一気に解けました。

 
母娘の闘病中、いつも「二つの選択」で迷い続け、堂々巡りを繰り返した「二律背反」のようなスッキリしない感覚。


例えば、乳がんの治療薬であるホルモン剤を「飲む・飲まない」の選択。

「頭」では、飲むべきだ、医者も提示している、私にはホルモン受容体もある、五年我慢しろ、予防薬があるだけマシだ。と言っている。

一方で「心」では、女性ホルモンを阻害するなんて、絶対イヤ、あり得ない、逆に体が壊れる、やめて、無理。
そう叫んでいる。

(私のすさまじい葛藤を知りたい方はこちらへどうぞ⤵)


そして、母の闘病に付き添っていたときに抱えていた「娘」としての葛藤。

「頭」では、娘として、母を助けなければならない、「義務感」「責任感」そして、放ったらかしにしたときに背負うだろう「罪悪感」が私を縛り付ける。

一方で、「心」では、人のことを気遣っている場合じゃない、私が壊れる、つらい、無理、休みたい。
そう叫んでいる。


私の葛藤は、「頭」の声と、「心」の声の対決だったのだ!


アクセルとブレーキを同時に踏むようなことをしていたから、あんなに苦しかったんだ。

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