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夫に言われて、ショックだった言葉

今日は、私と夫のことを書こうと思います。

私は30歳を過ぎた頃、夫と同居を始めました。

同じ職場で知り合い、すでに何年か付き合っていたので、相手のことを理解していたつもりでいましたが、一緒に暮らさないと分からないことってありますよね。

だから、同居しはじめの頃は、お互いの生活習慣の違いなどもあって、価値観の押し付け合いのような場面も多かったように思います。

そんな日々の中、私が夫に、なにげない「小言」を言ったときのことです。
何の小言を言ったのかはもう忘れてしまいましたが、私の一言のあと、夫がこう言ったのです。


「俺、母親と結婚したわけじゃないんだけど」


えっ!?

母親???


ハッとしました(笑)
ギョッとしました(笑)

母親と結婚したわけじゃない……。
(ちなみに私たちに子供はいません)

つまりは、私の毎日の小言が、母親のようでうるさい、鬱陶しいという意味なのでしょう。
俺は「パートナー」と暮らしているのであって、「自分を育てる母親」と暮らしているつもりはないと。

夫の一言に驚愕すると同時に、

ああ! 今、私、まるっきり、実家の母親とおんなじになっている!

という事実を自覚して、一層ショックを受けました(笑)

18歳で実家を出るまで、母親に対し、あんなに「うるさいなー」「何回おんなじこと言うんだよ」と思って鬱陶しがってきたのに、その母と、私は今、同じになっている……って、マジなのか???

夫にとっては、何気なく言った言葉だったと思いますが、私にとっては多いに考えさせられる言葉になったのです。

そうして、強烈に思ったのです。

このクセは、絶対にやめなくてはいけない、と。「やめる」一択だと。


なぜなら、私は子供のころから母の小言には本当にうんざりしていたからです。

冷蔵庫を早く閉めなさい、ホコリが立つからそっとして、蛇口の閉め方がキツイ、すぐ電気消しなさい、麦茶はすぐしまって、階段を静かに降りなさい、これも食べなさい栄養があるんだから、本当にたくさん食べた? あら、ちょっと食べ過ぎなんじゃない? 皿を近くに寄せて食べなさい、背中が丸いわね、歩くときは姿勢よくね、まったく雑なんだから、センスないわねえ、レベルが低いってことよ、そんなに大きな音立てないでよ……

ああしろ、こうしろ、ああするな、こうするな。
エンドレスの注意と、ダメ出し。
一挙手一投足を監視されているようで、過干渉だったと思います。


でもまあ、母親って、多かれ少なかれそういうものだ。

自分の子をきちんとした大人に育てなくっちゃ!
あなたのためを思って言っているのよ! 
愛しているから言っているの!とな。

夫ももちろん、そのことを理解しています。
かつて夫自身も、子供のころから母親に言われた数々の注意、小言。それは自分を「愛していた」からであると知っているし、逆に子供をしつけるために注意できない親など言語道断だと。

しかし。
しかしね。


私が夫に小言を言うときの心の中をよーくのぞいてみると、「愛しているから言っている」ばかりではないのです。

ただ自分が言わないと気が済まないから言っているにすぎないのです(笑)


例えば、2人で食事をしているときのシーン

私「ねえ、マヨネーズかけすぎだよ」

つけあわせの千切りキャベツに対して、マヨをかけまくる夫に、わたしは何度もそう言いました。
表向きには、「そんなにかけたら太るし健康にも悪い ⇒ あなたを愛し、心配して言っている」ともとれますが、さらにもう一段階あるのです。

つまり、

「夫が健康を害したら私がつらい。私がどうにかなってしまう」

要は私は「自分の心配をしている」のです(笑)


私が困るから、やめてちょうだいよ。私が困る事態になったら、あなたどうしてくれるの、どうにもできないでしょう、だったら言うこと聞いてちょうだいよ、だって私が困るんだからというわけです。

小言って、相手を愛し心配しているように見せかけて、相手をコントロールしようとするような、すごく利己的な行為でもあるのだと、自らの心の内を覗いたときに、気づいたわけです。


だから是が非でも、この「利己的な小言」を減らすべく、私は注意深く暮らすようになりました。

もちろんすぐには止められません。
つい言ってしまうのが「小言」なので。

自慢にもならないが、私はうるさい。
いくらでも細かいことに気づいてしまう。

ただ、これまで100言う小言を、時間をかけて50くらいにはできたように思います。(夫からはそう思えないかもしれぬが)

そうやって毎日、あまり言い過ぎぬよう気を付けてきた結果、今では、夫がキャベツにマヨネーズをかけるとき、私は心の中で「多いなあ」とかすかな痛痒を覚えますが、何も言わずに夫に任せるスタンスをとれるようになりました。

夫のカラダは、夫のモノ。
夫だってバカじゃないんだから、調節して生きている。

……というか、健康を気にしている私の方がガンになった事実を思い出せ(笑)


そして実は、小言は言わないでいる方が、相手も「こちらを尊重してくれる」ようになることにも気づきました。

つまり夫は、私が「マヨをたくさんかけるのがイヤ」だと知っている。
でも私は、それについて「何も言わない」。
すると夫側の方でも、「あなたの心配を、多少は聞き入れましょう」と、そんな譲歩をしてくれていることがあるのです。

ずっと後に知ったことですが、これも実は、脳のメカニズムらしいですね。何かを禁止されると、脳が自由を奪われたような気がして、余計に反発したくなると。

【反発あるある】
親「さっさと宿題やりなさいよ」
子「今、やろうと思ってたのに!(逆にやる気がなくなったよ)」

相手の自由を尊重して暮らしていると、結局すべて自分にもかえってくるような気がします。
私がいちいち言わぬことで、夫も私をどこまでも自由にさせてくれます。
とてもシンプルなメカニズム。

「言わない」を実行するのは、なかなかに難しい。
しかしその先には、相手からも尊重してもらえる特典がついて戻ってくるやもしれません。

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