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片渕須直 『終らない物語』 : 失われた物語たち

書評:片渕須直『終らない物語』(フリースタイル)

私の場合、本書の多くの読者とは、すこし違った読み方になってしまったようだ。
というのも、私は、その若き日にあって「アニメーターになりたかった人間」であり、結局は「アニメーターにはなれなかった人間」だからだ。

本稿の中で私は、片渕須直について、以下「片渕氏」と敬称を付して書くのだが、長年、批評文を書いてきた人間としては、これは異例のことである。批評対象については、それが何様であろうと「敬称略」を原則としてきたからなのだが、片渕氏について「敬称」をつけるのは、それが批評対象ではなく、どこかで「あかの他人」には思えない存在と感じられるからであろう。
例えば、手塚治虫、高畑勳、宮崎駿、出崎統、富野由悠季といった具合に書いて、彼らを論評することには、何の抵抗もないのだが、片渕氏については、そういった位相の人とは違った、妙に近い距離を感じてしまい、例えば、近所の人や同僚について語る時に「誰某さん」「誰某氏」などと呼ぶような感覚になってしまうのだ。
無論、私は片渕氏とは縁も所縁もない未見の他人なのだから、むしろ呼び捨てにした方が良いのかも知れないが、たぶん、以下に書くことは、いわゆる「論評」にはならないと思うので、あえて「敬称略」させていただくことにした。

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私は、片渕氏の二つ歳下の同世代である。したがって、アニメに接してきた期間もほぼ同じ。片渕氏が、東映動画の初期劇場版長編アニメの記憶から本書を書き起こしておられるのに対し、私の記憶は、テレビアニメの記憶が先にくる。日本のテレビアニメ第1号は、もちろん『鉄腕アトム』で、これは1963年から放映が始まっているが、私はその前年に生まれており、『アトム』の放映が終った1966年には、物心もついていた。つまり、私はテレビアニメ視聴者の第1世代というわけだ。

幼い頃からテレビアニメは常に身近なものとしてあったし、私は当時の言葉でいえば「テレビっ子」だったので、テレビアニメ黎明期の作品は、再放送も含めてとは言え、ほとんどすべての作品を視て育った人間である。
それでも、自覚的に自身を「アニメファン」だと位置づけたのは、ご多分にもれずテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974〜1975年)の大ブーム(ブーム自体は、劇場版が公開された1977年)の洗礼を受けてからであった。
そして、社会現象と言われた「ヤマトブーム」の翌年(1978年)に刊行されたアニメ専門誌『アニメージュ』は、創刊号から購入していたが、100号をもって購読を打ち切ることにした。その頃には、社会人にもなり、すでに活字(読書)趣味も持っていたから、アニメばかり視ている暇もなかったので、意識して100号で区切りをつけたのである。
もっとも、その直後と言って良い103号(1987年1月号)で、私が大好きな作品、劇場版『エースをねらえ!』の特集が組まれ、表紙を杉野昭夫の描き下ろしが飾ったので、これは例外として購入したが、それ以降は『アニメージュ』を完全に断ってしまった。
私は、出崎統・杉野昭夫コンビのファンで、杉野昭夫のファンクラブ「杉の子会」の会員でもあったのだ。

私が、このように意識的に「熱心なアニメファン」であることに区切りをつけたのは、高校生時代の「アニメーターか漫画家になりたい」という夢を断念した、その「後片づけ」の意味もあった。
若者らしい夢にとらわれていた高校生の私は、まともに受験勉強をせず、親に隠れて人物デッサンの練習をしたりしていた。当時はまだ、アニメーション専門学校みたいなものは無かったはずだし、あったとしても、そんなところへ通わせてもらえるような恵まれた者は、ごく例外的な人たちだったと思う。つまり、親が子供の夢に理解があり、かつそれに投資する余裕があった裕福な家庭の子女か、もしくは、若くして非凡な才能を発揮し、それを周囲からも認められていたような天才たちか、である。

私の場合には、そのどちらでもなかった。両親は夫婦で飲食店を営んでおり、貧しくはないが裕福でもないという、当時の平均的な「中流家庭」であった。だから、あの当時として、一般的にも、親に「漫画家になりたい」などと気易く言えるような雰囲気ではなかった。まして「アニメーターになりたい」と言うには、アニメーターという職業の説明から始めなければならなかっただろう。それに当時でさえ、アニメーターは薄給で知られた低賃金労働者だったので、とても親に「アニメーターになりたい」などとは言えなかった。
それでも、なってしまえばという甘い夢もあったので、自分なりにデッサンの練習を重ねたりしたのだが、残念ながら、私にはプロのアニメーターになるほどの画力は無かった。子供の頃から絵を描くのが好きで、周囲から「上手だ」と誉められることも多かったが、それは所詮、子供が漫画を模写するレベルの「上手」でしかなかった。

私が地元大阪の公立高校で漫画部に所属していたのは、庵野秀明や島本和彦らが大阪芸術大学の学生だった頃のことだが、高校のクラブ活動でさえ、画才のある人間と無い人間の歴然たる(成長速度の)差というのを、ある程度は目の当たりにさせられていた。だが、それでも「なんとかなるのではないか」という夢を捨てきれず、受験勉強もせずに、親に隠れて絵の練習ばかりしていたのだ。
そして大学受験の年、当時『無敵鋼人ダイターン3』などの作画監督として活躍していたアニメーター中村一夫の「中村プロダクション」のアニメーター募集を目にして、絵と履歴書を送った。しかし、やはり不採用だった。
自分でも、自分の画力にはなかば自覚はあったのだが、やはりハッキリとしたかたちでダメ出しされなければ、夢というのは捨てられないもので、この「落選」によって、私は「普通の仕事」を探すことにしたのである。

以後「仕事は仕事、趣味は趣味」と割り切った人生を歩んできた。おかげで金に困ることもなく、趣味は趣味として存分に楽しんで生きてきたし、今では何の後悔もない。結果論ではあれ、あの時、アニメーターの見習いに採用されていたとしても、私の才能では大した仕事もできずに、失意のうちに転職することになったのではないかと、今では思う。
つまり、今となっては、私に絵描きの才能は無かったと言い切れる。それに、アニメーターに憧れる以前の趣味であった模型(プラモ)作りにしても、やはり立体造形のセンスがないと気づいて、やる気を失ったという経緯もある。片渕氏と同様に、私も『ホビー・ジャパン』誌や『タミヤニュース』を購読していたのだ。

私には、立体であれ平面であれ、プロになる程の才能はなかった。
そう言えるのは、批評文を書き始めて気づいたことなのだが、私の場合、小説は書けない(早々に挫折した)ものの、批評文なら、それなりに納得のできるものが苦もなく書けるし、それがそれなりに評価されるという経験を経たからだろう。そういう満足感や達成感が、模型を作っていた頃や、絵を描いていた頃には無かったのだ。
つまり私は、いわゆる「眼高手低」というのの典型だったのである。

本当ならば、自分独自の「小世界」を創造したいという気持ちがあったのだが、どうやら私にはそういう「創作」の才能はなく、多少なりともあったのは「分析・評価」の才能であったようだ。
私は、批評文を書くことで、尊敬する小説家などからも知遇を得ることもでき、アマチュアながら文庫解説などを任されたり、小説の登場人物になったり、ある画集の編者代表としてクレジットされたりと、「ファン」の側ではない世界に足をつっこみもしたのだが、しかしその頃には、文筆業、まして評論家などというものが、決して(経済的に)楽な職業ではないということを知っていたので、その世界に入ろうという気は起こさず、今日まで「仕事は仕事、趣味は趣味」と割り切った人生を、無難に歩んできたのである。

で、そんな私からすれば、片渕須直氏は、「私にもう少し才能があれば、歩めたかも知れない人生を歩んだ人」のように感じられる部分が、どうしても否定できないのである。
むろん、こんな「if」に意味の無いことは百も承知しているが、やはりそう感じてしまう部分、つまり、その「感情」をどうしても否定することができない。だから、本書を読んだ限りにおいては、私は片渕氏を「アニメ作家」という批評の対象として突き放して見ることができず、どこかで、ごく身近な存在に感じ、それ故に「氏」付けで書かざるを得ない感情にとらわれてもいるのだと思う。

しかし、私にもう少し、いや、もっとたくさん絵の才能があったとしても、やはり片渕氏のようには、粘り強くアニメ創作の道を歩んで、自分の世界を確立することなどは出来なかったであろうと思う。所詮は、やりたくないことはやれない性分なので、意に添わない仕事の中にも意味を見いだし、全力で取り組んで、自分を伸ばすというようなことは出来ずに、途中挫折したのではないかと思うからだ(例えば『ちびまる子ちゃん』の絵を、ずーっと描いているなどという仕事はできないと思う)。初めから、好きでも嫌いでもない仕事なら、給料をもらうための仕事と割り切って、それなりに嫌々ででも続けることができたが、好きなことについては、そう我慢強くもいられなかったと思うのだ。
したがって、私がこのように、アマチュア批評家として楽しく好き勝手やっているのは、その意味では「無難に正しい」選択であり人生であっただろうと思う。夢に挑みきれなかった後悔がまったく無いかと言えば、それも嘘になろうが、しかし、片渕氏のような夢の実現者や成功者は、やはり一握りの人であり、非凡な才能と努力を併せ持った人だからこそなので、私のような、どちらも持っていないような凡人には、無難な選択も、正しいとは言わないまでも、間違った選択ではなかったのだと思う。

結局、自分語りに終始してしまったが、片渕氏については、いずれ作品評価を通した作家論として、敬称略の文章を書きたいと思っている。
負け惜しみに聞こえないように書くのは、なかなか骨の折れることであったが、批評家の文章として「客観的な自己批評」にはなっていることを願うのみである。

【付記】
私が「アニメ作家論」を書けば、どういうものになるのかの参考として、下のレビューをご参照いただければ幸いである。

・ 新海誠『小説 天気の子』レビュー 一一 行きて帰らぬ物語:『天気の子』論

初出:2019年11月10日「Amazonレビュー
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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