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プライバシーという〈概念〉の再検討

書評:宮下紘『プライバシーという権利 個人情報はなぜ守られるべきか』(岩波新書)

あなたは、「プライバシーとは何か」を、人に説明できるだろうか?

多くの人は「言われてみると難しい」と答えるだろうし、中には「だいたいのところは説明できる」という勇ましい人もいるだろう。しかし、実のところ「プライバシー」というのは、時代にしたがって進化するものであり、しかも「文化」によって、その理解が違ってくるものなのだ。つまり「(一義的な)正解は無い」のである。だから、無知な素人に説明することなど、できるわけもない。
したがって、冒頭の問いへの回答としては、「言われてみると難しい」の方が、大筋において正しいのである。

『 本書の主題は、ある意味では、地味なものかもしれません。しかし、プライバシーの権利がどのように生成し発展してきたのかを知らずに直感で語れば、議論は感情論に流されかねません。何がプライバシーとして守るべきものであるのか、その権利の内実を明らかにし、そしてこの権利を取り巻く法制度を正しく理解することが、感情論の克服につながるはずです。プライバシーについて各人が異なる世界観を抱いている以上、好き嫌いを超えて、他者の異なる意見に謙虚に耳を傾けることが何よりも大切な心構えとなります。』

(「はしがき」より)

この「はしがき」の一文に、本書の本質が示されている。
解説すると、まず『本書の主題は、ある意味では、地味なものかもしれません。』というのは、本書で語られることは、実に「正統派の説明」であり、決して、奇を衒ったものや、俗事に入りやすいエピソード集めいたものではない、ということだ。
だから、そうした「基本」としての『プライバシーの権利がどのように生成し発展してきたのか』を『知らずに直感で語れば、議論は感情論に流されかねません。』というのは、「プライバシー」が「多様な形で理解されている概念」であるのを知らないまま、自分の狭い了見と「思い込み」だけで「プライバシー」を語ったり主張したりすると、相手が「全然わかってない馬鹿」にしか見えず、思わず感情的かつ一方的に「自分が正しく、相手が間違っている」という、非理性的な態度をとることになってしまう、ということでなのある。
だからこそ『プライバシーについて各人が異なる世界観を抱いている以上、好き嫌いを超えて、他者の異なる意見に謙虚に耳を傾けることが何よりも大切な心構えとなります。』ということにもなるのだ。

これは、読者に対して、きわめて「知的な態度」を求めるものであり、本書の内容も、きわめて「知的に本質論的なもの」となっているので、サクサク読めて、全て理解できるというほど、ゆるい本ではない。

だが、自身が「知的」であり得ると思う読者であれば、是非とも本書に挑んで欲しい。
それまでの「思い込みだけのゆえに簡明な(プライバシーの)世界」が、じつは「知的に構築されている、複雑な世界」であることを知って、読者は確実に、一歩賢くなることであろう。

(2021年3月14日)
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【補記】

なお、本書と直接的な関係はないが、「プライバシー」に関する「感情的議論」というものを考える上で、下の本をお薦めしておきたい。

・ 梶谷懐、高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)

この本では、「監視国家・中国」の、先進的かつすさまじい状況を報告しつつも、それが必ずしも、ジョージ・オーウェルの『1984』式「ディストピア」ではなく、むしろ国民の多くは「プライバシーを提供することで得られる、利便性に満足している」という事実を伝えている。

(米国 CIAによる個人情報の秘密収集を暴露した、E.スノーデン)

つまり、外野からの「恐ろしい監視国家だ。許しがたいプライバシーの侵害だ!」といった「現実を知らないままになされる、感情的非難」は明らかに不毛である、ということなのだ。

もちろん、中国の「監視テクノロジー」は「新疆ウイグル地区」の少数民族への非人道的処遇という、最悪の道具としても活用されているのだが、それを「正しく批判」するためにも、中国の現状とそれに対応する今の中国人の「プライバシー」感覚を、正しく理解しておかなければならない。
なぜなら、「プライバシーを提供することで得られる、利便性に満足している」というのは、私たち日本人の「現状」でもあり、中国の姿は、数年先の「日本の似姿」かも知れないからである。

(日本政府の公式見解)

だから、私たちは「プライバシーは、なぜ守られなければならないか」「プライバシーを守ることで、守られているのは何なのか」ということまで、考えてみる必要があるのである。

初出:2021年3月14日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年3月27日「アレクセイの花園」

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