いのちの真ん中にあった大切なものについて。(自分を愛せないのは自分のせいじゃないよって話)
自分という存在に自信が持てない。
自分は ただそこにいるだけでは誰かに迷惑がかかる存在だ。
何か人や社会の役に立ち 価値を生産しなければ、私は生きていることが許されないと思う。
程度の差こそあれ、こういう思いって私たちの『生きる観』みたいなものの根底にあると思うんです。
皆がこういう信仰を持っているからこそ日本の社会が回っているのだし、この謙虚な国民性によって秩序が保たれ、私たちは便利で安全で快適な生活を享受できている。
そのような見方ができるということは一応存じております。
存じておりますけれども。。。
それでもね、言いかたどうかとは思うんですけど、やっぱり生物としてまともな感覚を持った人ほど、
冒頭に挙げたみたいな「自分ヘイト」の毒を食らって、元気を吸い取られていってしまうとおもうんすよ
そんなまともな感覚を持った人たちって、この貨幣至上主義の世界では「弱い人」とかって呼ばれて肩身が狭い思いを強いられてるんだけど
弱いんじゃなくて、命が正常に機能しているだけだと思うんだよね。あたいはね。
だって人の気持ちや命よりもお金の価値のほうが重い世界に適応できないって、ふつーに正常だしそっちのが健康的だと思わない??って感じで。
前回かな?のnoteでね
「労働の本質は人身売買である」なんて、大人としてゼッタイに書いてはイケナイことを書いたんだけど、、
そう考えるとさ、
従順な労働者を育成するための教育になじめないとか
従順な労働者であることに大切な命の時間のほとんどを使う という「当たり前」になじめないとか
それってむしろ喜ぶべきことなんじゃなかろうかと思うんだが… わたしの感覚がおかしいのかね
まーそれはそうとして、じゃあ昔の人たちって なんでもっともっと過酷な状況の中を強くたくましく生き抜いてこれたんだろうってずっと不思議だったんだよね
今みたいに物質的に豊かでもなければ便利でもなくて、国や君主のために命を捧げるのが常識だった時代だってたくさんあったわけでしょ
まあたしかに現代人だって、社会とか会社とかお金に人生捧げてるわけだから、信仰先が変わっただけで やってることは同じなのかもしれないけど、
それにしても、こんなにも精神的に貧しくなって干からびてしまったり、優しく善良であろうとする人ほど生きることに希望を持てなくなりさまよってしまう世の中になってるのはなんでなんだろうって。
「自分を大切にしよう」「自己肯定感を高めよう」「もっとわがままでいい」
なんてワードが〝わざわざ〟流行するほど、わたしたちの生命力が削がれてきてしまったのは、いったいどうしてなんだろうって。
…
うちの先祖のおじじ様がね、わたしと一緒で文章書くことが好きでさ
昔、自分が戦時中に軍人として体験してきたことをまとめた本を自費で出版したんだけどね、
最近それを読んでたわけ。無性に気になっちゃって。
この人たちはどーゆーメンタリティで 戦時中という厳しい時代を生きていたんだろうって、直接聞けたらよかったんだけど、もうしんじゃって話すことができないからさ。
この人たちにあって、わたしたちが持てなかったものってなんだろう… って気になっちゃって。
(こんなにもおじじ様たちと 一人の人間として話してみたくなる日が来るとは。。)
わたしたち現代の日本人が失ってしまったもの。
それが何かというのは、一言で言ってしまえば簡単なことだと思うんだけど、
あえて遠回しに書くと、戦後の経済(成長)至上主義的な教育によって信仰の対象があまりに不自然なものに変えられてしまったということなんだと思うんだ。
わたしたちは、自分たちの いのちの真ん中にあった大切なものを、教育やメディアによって何かほかのものにすり替えられてしまった。
それはわたしたちを教育したお父さんお母さんや先生たちがいけないというよりも、お父さんお母さんや先生たちだってそうやって洗脳されてきたわけだから
もっともっと引きで見なきゃいけない話。
歴史の転換点の〝あるタイミング〟で、それまで心の拠りどころとしていたものを奪われて
その代わりに「あたらしい神だよ」と言って与えられたものは、わたしたちにとってあまりに不自然なものだった。って話なんだよね
愛すべきものを愛するということ、誇るべきものを誇るということ、
怒るべきものに怒るということ、知るべきことを知るということを、
わたしたちは、忘れさせられてしまっているんだよね。
これは生きながら眠っているのと同じだから、
自分という人間がなんなのか、わからなくなるのも当然のこと。
物事の本質に無関心になるように、精神的不感症になるように、お父さんもお母さんも先生たちも上司たちも、みんな教育されてきたんだから
自分の存在意義が曖昧なものになるのも当然だし、自分という存在がとてもあやふやなものになってしまったのも当然のこと。
そうなってしまったら、わたしたち人間が本来使えたはずの力だって、使えなくなってしまうのも当然のことだよね。
多くの人が「生きづらい」と嘆くけれども、これって個人の力ではどうにもできない不可抗力だったってこと。
だから、わたしたちが自分を上手く愛せないのって、わたしたち自身のせいというわけではないんだと思うんだよね
日本人が自分を愛せないのは、個人の責任じゃない。
だって自分たちの命の真ん中にあったはずのものを、別の〝何か〟にすり替えられてしまっているんだから。
…
「忘れさせられた」とか「すり替えられてしまった」とか、便宜上そういう受け身的な書き方をしてしまったけど
だからって教育や社会やプロパガンダの被害者として生きるんじゃなくて、いろんな人のいろんな思惑が張り巡らされるこの世界の中で、
それじゃあ自分はどう生きたいのかって考えることをやめたくないよねっていう。
「当たり前」や「常識」の枠から出ることは、痛みや怖さもあるけれど
これまで与えられてきた「当たり前」や「常識」に疑問を持つことをやめたくないし諦めちゃいけないよね
そうやって、本質に少しずつ近づいていけたらいいよね。
本質なんて精神性なんて全然キョーミなくて、カネとチカラを得て優越感に浸って生きられればそれでいいわっていう頭弱い人類もたくさんいるだろうけど
少なくともわたしは、〝いのちの真ん中にあったはずの大切な何か〟を取り戻して美しく生きたいなあ… なんてことを思う今日この頃なのでありました。
それでは本日は以上です。
お付き合い誠にありがとうございました。
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