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「星を編む」から、留学がきっかけの「親にとって良い子でありたい自分」と「自分の人生を歩みたい葛藤」を振り返る

こんなにもするすると読みやすく、それでいて1文1文が自分の過去をなぞって言語化されていくような心地になる物語だった。
凪良ゆう著の「汝、星のごとく」の続編で「星を編む」。

花火のように煌めいて、届かぬ星を見上げて、海のように見守って、いつでもそこには愛があった。

「春に翔ぶ」
瀬戸内の島で出会った櫂と暁海。二人を支える教師・北原が秘めた過去。彼が病院で話しかけられた教え子の菜々が抱えていた問題とは?

「星を編む」
才能という名の星を輝かせるために、魂を燃やす編集者たちの物語。漫画原作者・作家となった櫂を担当した編集者二人が繋いだもの。

「波を渡る」
花火のように煌めく時間を経て、愛の果てにも暁海の人生は続いていく。『汝、星のごとく』の先に描かれる、繋がる未来と新たな愛の形。

凪良ゆう著・星を編む

登場人物の、世間から見れば恵まれている環境であることを自覚しているからこそ、自分の心からやりたいことを主張できなかったり、困難が多いように見える環境にいる人のことが羨ましく輝いているように感じることも辛いほど分かった。

「星を編む」を読んで特に刺さった文章と、自分の過去の留学を巡る葛藤について記録しておこう。

「どんな答えを出しても、それはきみの権利です」

北原先生が教員をする学校の女子生徒に言った言葉。
子供は親が操作する「もの」ではなく、意思を持ち自身で言動を決断できる一人の独立した人間である。
守られている部分が多く、親の求める言動をし、親が良しと言えばほっとしてしまう。

「学ぶことは、ぼくにとって罪悪感と切り離せないものだった。勉強がしたいと願うたびに、自分は親不孝者だと自責の念に駆られた。」


私の大学留学生活において最初の国である、アメリカ。
最初は留学へ行きたいなんて冗談だと思っていた父だが、私がいざ本気と分かると、

なぜ日本の大学からの留学ではなく、正規留学でないといけないのか?
留学して何を学び、それをどう活かすのか?
留学後の就職はきちんとできるのか?

あれこれと質問が飛んできて、親に反発したことのない私は一生懸命頭を捻り答えを考えた。
それでも「日本の大学へ進学し、公務員または安定した企業に就職することが学生の最善の道である」という考えの父を変えることはできなかった。
最後の最後で母の力を借りてなんとか許しをもらうことができたのだが、それまでは何ヶ月も留学の話は私と父の直接的な会話で出ることは一切なく、タブーとなっていた。

この期間は私にとってとても苦しかった。

自分の望む進路を理解してもらえないというのもあったが、何より自分が父の望む進路を何の不満もなく当たり前と考える人間であれば、父をこんな風に苦しめることもなかったであろうと思った。
また、自分が生まれる家を間違えてしまったのではと考えなくても済んだのに、とどうにもできないことを責め続けていることがしんどかった。

「さすがに向こう見ずすぎたかと我を省みることもあるが、不思議と後悔の念は湧かなかった。しんどかろうが、半端だろうが、これはぼくが選んだしんどさだ。」

北原先生が物語の中で行った、今までの先生らしくない、大きな決断。
この言葉は私の留学生活の中でも常に自分の道標となり、自分の励みにもなっていた。

私の留学生活はその華やかなイメージとは真逆で苦しさが98%、楽しさが2%だった。
卒業してから何年も経つが、自分の不器用さや自己肯定感の低さ、周囲の目を気にしすぎて何もできなくなっていた自分に苦笑いしてしまう。
けれども過去に戻ったとして、もっと上手くやり直したいか?と自分に問うてもそれはNoだ。

同期の日本人留学生が続々と現地の学生と友達になり、週末に出かけるのを羨ましがりつつも、無理に同期と一緒に行動することで「現地の友達が多い、イケてる留学生」を装うのもしんどいのでしなかった。
代わりにルームメイトと親友になれたり、アルバイトやボランティアに参加することで着実に年齢や大学内外問わずいろんな人と関係構築をすることができた。

勉強もしんどくない日なんてなかった。
オランダの大学留学時代には、週に2回の授業で教科書が100ページ進む。
きちんと理解したつもりでも、いざディスカッションの授業になるとまるでついていけない。
周りは英語が堪能な、ヨーロッパからの学生ばかりで、誰に何を言われたわけでもないのに、「英語が十分にできない自分」「ヨーロッパ人の中でマイノリティなアジア人」をひどく思い詰めてしまい、うつ状態になり自室から出られなくなってしまった。

結局、オランダの大学は退学して日本に帰国することになる。(その後懲りずにまた別のアメリカの大学へ留学に行くのだが...)
帰国して父に会うと、言われたのは「もっと事前に相談してくれたらこんなことにはならなかったのに。」

私は父の言葉を聞いて、大学を退学したことを「人生の失敗」のように表現されたこと、そしてその言葉に滲み出る「親の言うことが正しいから聞いておいたら失敗なんてしなかった」というメッセージにイラっとした。

それは私が子として、どんな大学を出てどんな仕事に就いたら「正しい」か、といった「唯一の正解」なんて信じていなかったのと、何よりも大学を退学したことに全く後ろめたさや失敗したという感情を持っていなかったからだ。

留学を通して、生死に関わるような体調になってしまったことは無知がゆえにやりすぎたなあと思っている。
しかしそれ以外では、海外の大学へ進学したことも、退学したことも、別の海外大学へ編入したことも、成績が満点評価の優等生から、落単ばかりの劣等生へたった2年のうちに変わったことも全く恥じていない。

「困難」「葛藤」「挫折」なんて言葉で表現できる経験は24時間365日×留学期間の分だけやってきたと自負している。
しかしそれは決して「恥ずべき失敗」「やり直したいこと」ではない。

私は都度経験を客観的に見返し言語化することで多くの学びを得ることができたし、何より「星を編む」の中で北原先生が言うように、自分で選んだ道だからこそ「苦しい状況を楽しんでいる」自分が常にいた。

海外大学への進学を認めてもらうため、親を説得することを諦めないでいれた心の拠り所は「自分が諦めたのに、周囲を逆恨みしながら生きて行きたくない」

もし海外を諦めて親の願う進路へ進んでいたとして、自分の希望する国や大学への留学を叶えた人に会った時、私は「親はどうして留学を認めてくれなかったのか。私の人生は留学をしなかったせいで狂ってしまった」と、自分の説得不足なことを棚に上げて逆恨みしていただろう。
そんなの誰も幸せにならないし、そんなことをする自分のことも嫌だ。

親にはたくさんの心配と迷惑をかける(結果的にすごくかけた)が、ここで踏ん張らないと残りの人生後悔するぞ、と自分を奮い立たせて説得をし続けた。

海外大学を卒業したその後の人生

そんなあれやこれやがありつつも、無事海外大学で学位を取得することができた。
留学生活は国を変え、大学を変え、学び方を変え、結局5年弱 + 2か国 + 3大学に渡ったが、私は過去に戻りたいともやり直したいとも思わないほどに全ての経験に満足しているし、全ての経験が今の自分を創っていると言い切ることができる。

「英語力伸ばしたいな〜」と思っていた留学前に希望していた語学力は副産物であると思うほどに、生きていくために必要なスキルやマインドをたくさん手にいれることができた。
それは自分で選んだ道で、自分から苦しみに行った結果手に入れたものなので、誇りを持って語ることができる。

私が選んだしんどさ

楽しく、わくわくしながら苦しめるか?
今も私の基準の一つになっている。

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