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さぬきの森の奥にあるうどん屋は何故ジャズをかけているのか

この記事は純度100%のフィクションです。

秋(空き)時間

東京~高松

 グーグルで讃岐うどんの本場であるさぬき市の森の奥に一日中ジャズをかけているジャズ喫茶風のうどん屋があると知った時、私は驚くより呆れて開いた口が塞がらなかった。その讃岐うどん屋Swingという珍妙な名前の店はジャズ喫茶風の作りで店内にジャズをかけているらしい。私は昼休みは必ずなまるうどんや丸亀製麺で讃岐うどんを食べ、本場のさぬきうどんを食べにさぬき市まで行くほどの讃岐うどん好きであり、また同じくらいジャズが好きな人間である。そんな私でもさぬきの森にジャズがかかっている讃岐うどん屋があるとは今の今まで全く知らなかった。東京だったらひょっとしたらそのような珍妙な店があるかもしれないが、讃岐うどんの本場でそんな店があるとは想像できなかった。私は讃岐うどんの店が並ぶ市内を通り抜けてわざわざさぬきの森の奥までジャズが流れるという店にうどんを食べに行く自分の姿を想像して苦笑した。

秋(空き)時間先生自作

 まさかさぬきうどんの本場に讃岐うどんとジャズ喫茶風のうどん屋が出現するとは。私はこのような店が何故讃岐うどんの本場に出来た理由を考えてみた。地方の人間にありがちな都会的な物への憧れか。あるいはどこかのコンサルタント会社に吹き込まれたのか。いずれにせよわざわざ食べに行くほどの店ではあるまいと思った。讃岐うどんもジャズも好きな私でも、その二つを一緒に出されても単純に喜べるわけはない。そういうわけで私は自分とは全く関わりない店だと考えて開いていたグーグルの検索画面を閉じようとしたのだが、いざ閉じようとしてチラリとサムネの店内の写真を見たとき妙な懐かしさを覚えてしまい思わず見入ってしまった。それで少しだけなら見ておくかとリンクをクリックして開いたのだ。

秋(空き)時間先生自作

 私はこの店の恐らく常連客が書いたであろうレビューと、その客が上げていた店らしき画像を見て興奮が抑えられなかった。私は常連客の店への熱い思いを綴ったレビューを読んで自らの不明を恥じた。なんて事だ。この店は本物のジャズ好きがやっているのか。しかし何故そのジャズ好きの人間がうどん屋なんかやっているのか。それに客が揃って褒めちぎる店のスペシャルメニューらしいあれとは何か。私は途端にこのうどん屋とマスターと呼ばれる人物と、そしてあれと呼ばれるスペシャルメニューに無性に興味が湧いてきた。元々ジャズを演っていたらしいマスター。そのマスターが脱サラして何故うどん屋なんかはじめたのか。画像には載せていないがkazan_moekoさんという方が書いたレビューによると店にはレコードが膨大にあり、客はそのレコードから好きなのを選んでリクエストしてかけてもらうこともできるらしい。そして最後に客が言っているいわゆる『あれ』だ。この店のスペシャルメニューらしいあれとは一体どんなものなのか。私はそれらのものについてあれこれ想像を巡らせていたが、そうやっていろいろイメージを思い浮かべていると急にその店に行きたくなってきた。善は急げの言葉通り私はすぐさまグーグルマップで店の住所を検索して地図にチェックを入れた。

 そんなわけで私は今高松空港行きの飛行機に乗っている。私はすでに有休を使って四国を旅行する予定だったので別に今回のうどん屋訪問のために予定を割く必要はなかった。いつものうどん屋巡りにジャズのうどん屋が追加されただけだ。しかし今回は自分でも妙に感じるぐらい気合が入っていた。私は部下に今度の旅行は四国に行くんだと言ったが、部下には私のやたら気張った口調がおかしかったらしく彼は笑って言った。「あれ?どうしてそんなに気張った口調で言うんですか?いつものうどんツアーでしょ?」確かにいつものうどんツアーである。しかし今回はそれだけではない。さぬきの森のジャズがかかっているうどん屋に行くのだ。私はその事も話そうとしたが、店への若干の不安もあったため、あえて言わなかった。まあ、言ったとしても今の若い連中にジャズなんかジジくさい趣味だとしか思わないだろうから言う必要はないのだが。ふと飛行機の窓を覗くとその下に瀬戸内海が広がっていた。ずっと前方には瀬戸大橋も微かにみえる。私は四国に行く度に瀬戸内海を見ているが、あまりに馴染み過ぎてこの景色に故郷のような懐かしささえ覚えてしまう。私は東京出身で田舎というものを持っていないが、もしかしたらここが私の第二の故郷になるかもしれない。

 高松空港に降り立つと私は早速空港に置いてあったパンフレットを広げて旅行の計画を練った。今日は高松やその周辺を中心に回る。さぬき市は明日のお楽しみだ。とりあえず今日は普通の観光客として純粋にこの歴史ある土地を十分に楽しもうと思う。しかしたった二泊三日の旅行だ。楽しみすぎて肝心の目的を忘れないようにしなくては。

 香川県は日本で一番小さな県といわれている。かつては大阪府よりも大きいとみなされていたが、しかし国土地理院が1988年に算定法を見直した結果面積が減少し大阪府に逆転されてしまった。県の面積は岐阜県の日本一大きな市である岐阜高山市よりも小さい。しかし、だからこそといえるかも知れないが、この県には文化と歴史がすべて凝縮されている。県内全てが観光名所であるとさえいえるのだ。そのような観光名所を回るのにのんびりなどしていられぬ。私はそう自分に喝をいれると早足で市内に向かうバス乗り場へと向かった。

 勿論この観光の最中でもうどんの事は忘れる事はなかった。別に香川のうどんはさぬき市だけにあるのではない。うどん県だけあっていたるところにうどん屋がある。私はめぼしいうどん屋を見ては立ち止まり、別に空腹でもないのに店の中に入ってしまった。そうして観光地を回ってゆく中で旅は道連れ世は情けの言葉通り、観光客や地元の人間と意気投合し旅の目的や土地の素晴らしさやうどんの美味さについてあれこれと語り合った。話の中で私は彼らに向かってさぬきの森のジャズをかけている店を知らないかと尋ねてみたが誰も知らないと言った。それで私が明日その店に行くと言うと彼らは不思議そうな顔をして逆に尋ねてきた。「なんでそんなものさぬきまで来て食べるんですか?そんなお店東京だったらたくさんあるんじゃないですか?」
 たしかに東京だったらお洒落なジャズ喫茶風のうどん屋など探せば見つかるかもしれない。だが私はあの店にはそんな気を衒ったものではない、何か強いこだわりを感じたのである。それはあくまでもグーグルの検索サイトのレビューと店内写真を見て思ったことしかないが。

 ホテルに戻ると早めのディナーを済ませ、続けてシャワーを浴びた。それが終わると明日の準備に取り掛かった。明日はいよいよさぬき市へと向かう。高松のうどんも美味かったが、やはり本場のうどんとは比べ物にならない。香川のうどんはやはりさぬき市のうどん。いや、日本のうどんの本場こそさぬき市なのだ。他の地域のうどんには失礼だが、彼らには銀メダルか銅メダルに甘んじてもらうしかない。
 そうして明日の準備を終え、後は寝るだけとなった。だが妙な緊張のせいで眠ることが出来なかったので、しばらく高松の夜景を見ていたのだが、夜景の官能的な光景と周りの温かい空気のせいで過去の切なく甘い思い出が蘇って来てしまった。ああ!数え切れないほどの女性との情事の中で私は何度うどんという言葉を口にしただろう。「君の体はまるでうどんだ」「君の腰はまるでうどんのようにプリプリとしている」「君の肌はうどんのようにもちもちとしている」女性の中には私のそんなうどんへの熱い想いを理解できないで自分への悪口と誤解した人も数多くいた。その女性達は何故かみんな私をボッコボコしにてそのまま港の埠頭に置き去りして去っていったが、彼女たちはあれからどうしているだろう。私のことなど忘れてうどんのない世界で虚しく人生を過ごしているのだろうか。
 彼女たちと過ごした甘い日々を思い出すと何だが無性にうどんが食べたくなってきた。しかしもう深夜でうどん屋なぞ開いているわけがない。それで仕方がないので音楽をかけて気分を変えようとiPhoneを取り出してビル・エヴァンスの『セルフ・ポートレート』をかけた。このアルバムはエヴァンスの最高傑作の一つだが、今聞いてもそのクールで情感のあふれる演奏に聴き入ってしまう。こうしてエヴァンスのピアノに耳を傾けていると昔熱心にジャズ喫茶に通っていたあの頃の情景が浮かんでくる。私は甘い過去の思い出に浸りながら、そのまましばらくエヴァンスを聴きながら夜の高松の街を眺めていた。

高松~さぬき~そしてジャズのかかっているうどん屋へ

 そして夜が明けさぬきの森へうどんを食べる日がやって来た。私は早朝に目を覚ましシャワーを浴びるとフロントに電話をかけて朝食を頼んだ。早速ボーイが朝食を運んできたが、大衆ホテルにしてはなかなかのメニューだと思った。特にこのカンカン寿司というやつがうまい。香川は讃岐うどんだけでない。他にも料理がたくさんあるのだ。

 朝食を食べ終わると私は早速出発の準備に取り掛かったが、その時窓から快晴の太陽に照らされた街並みが見えたので、しばし窓から高松の景色を眺めた。街の後ろに海を見ていてると何故か古の遣唐船の姿が頭に浮かんできた。遣唐船は大陸の文化とともに数多くの食べ物を詰め込んで日本に帰ってきたが、その中にはうどんの元となった食べ物もあったという。

 うどんの発祥の説の一つに遣唐使として唐に渡った弘法大師こと空海が温飩(ウントン)という、うどんの元になった麺料理を讃岐に伝えたというものがある。それが伝承であるか事実であるかはともかくとして讃岐うどんはそれほど長い歴史を持っている。空海が唐から持ち帰って来た温飩(ウントン)というものはどんな食べ物だったのか。そしてその温飩(ウントン)が今の讃岐うどんになるまでどんな歴史を辿って来たのだろうか。

弘法大師(空海)
讃岐うどん発祥の地とも伝わる滝宮天満宮

 伝承によると讃岐うどんにおなじみの三大薬味のうちの一つ目の生姜はすでに奈良時代から日本にあったという。二つ目の醤油は室町時代に誕生し、そして三つ目の天かすは西洋から天ぷらとともにやってきた。あの戦国時代の三英傑は現在の我々と同じように讃岐うどんに天かすと生姜と醤油を乗せて食べたのだろうか。特に天ぷらが大好物で鯛の天ぷらにあたって死んだという家康は鯛の天ぷら入りのうどんに天かすと生姜と醤油を乗せて食べただろうか。もしかしたら家康は天ぷらの食あたりで死んだのではなくて、鯛の天ぷらと天かすと生姜と醤油を入れたうどんの極上の旨さに思わず成仏してしまったのかもしれない。

南蛮屏風

 そして時代は下り明治になると日本に西洋化の波が一気に押し寄せきた。当然うどんも近代化の影響を受けてこの時点で今とほぼ変わらないものになったのだろう。更に昭和になってジャズが……。そう、『ジャズ来るべきもの』。それはまるでオーネット・コールマンのようにやってきた。

文明開化

 ここで私は我に返った。こんなところで妄想に浸っている場合ではない。私は今日さぬきの森のジャズが流れるうどん屋に行くのだ。さっさとさぬきにいかねばと私はすぐさまホテルを出てすでに予約してある車を借りに行くためにレンタカーショップへと向かった。
 レンタカーで車を借りると早速さぬきへと出発した。道路はたまたま空いてたようですんなりとさぬき市に到着した。あたりはもううどん屋のだらけだ。うどん屋でない店さえ看板にうどんの絵をつけているからどれもうどん屋だと見間違えそうだ。さてここからさぬきの森にあるあのジャズ喫茶風のうどん屋『讃岐うどん屋Swing』に行くのだが、そこには14時あたりに行くつもりだ。店は10時から22時まで、15時から18時までの休憩を挟んで営業しているが、開店時間から13時の間は客が多く席が満杯になることもあるとグーグルの情報にある。せっかく店の雰囲気を楽しみたいのにそんな慌ただしい雰囲気でうどんなんぞ食べられない。だから私はあえて時間をずらして空いているであろう14時に店に行く事にしたのだ。とはいっても今はまだ9時だ。時間にはまだ余裕がある。私は空き時間を使ってさぬき市内を散策することに決めた。

 さぬき市には何度も来ているからもう慣れたものだ。しかしそうはいってもこの歴史ある場所は何度来ても新たな発見があり、驚きがある。今回もゆっくりと観光することにしようと私はレンタカーを駐車場に止めると、パンフレットを片手に歩き始めたが、もうお腹が空いてきてしまった。それで腹の具合を相談してまずは市内で讃岐うどんを食べることに決めた。別にうどん一杯食べたところで腹はすぐに減るからジャズ喫茶のさぬきも余裕で食べられるだろう。それにジャズ喫茶のうどん屋にはうどんを食べに行くだけではない。店の雰囲気を味わはなければならないのだ。そんな店に空きっ腹で行ったら興がそがれてしまう。私はそう考えながらさぬきのうどん屋を物色していたが、結局いつものうどん屋に入ってしまった。

「よぉ、またこっちにきたのかい?」
 と私が店に入るなり店主がカウンターの奥から声をかけてきた。私はこの思わぬ不意打ちの挨拶が恥ずかしかったが、同時に店主が変わらないことに安心して返事の代わりに手を上げた。すると店主がこっちにいらっしゃいとカウンター席を指差してきた。私は店内の客たちの注目を浴びるなか小走りでカウンターへと向かった。

 私が普通のかけうどんを注文すると店主はにこやかに今日は追加はやらないのかい?と聞いてきた。追加とは天かすと生姜と醤油の事である。私はうどんはいつも最初に天かすと生姜と醤油をドバドバ振りかけてから食べている。みんな何故かそれを嫌がるのだ。昔恋人寸前まで行った女などうどん屋で私が天かす生姜醤油をりうどんを食べるのを見て気持ち悪いとか行って店から飛び出してしまったぐらいだ。しかし今日はあのジャズ喫茶風のうどん屋にいかなくてはならない。ここで腹八分目にしておかないと向こうのうどんが食べられなくなる。私は別の店に寄るから食べられないと正直に答え、店主に向かってさぬきの森にあるジャズ喫茶風のうどん屋を知らないかと聞いてみた。しかし店主は頭を振って知らないと答えた。「申し訳ありませんね。さぬきの森でうどんを食べたことがないもので。そんな店が出来たとは初耳ですよ」店主は他の客にも聞いてまわったが皆知らないという。まあ、当たり前のことである。うどん好きがさぬきの森までわざわざジャズ喫茶風のうどん屋に行くことなど考えられない。しかしその時カウンターの話を耳にしたのかトイレ戻りの客が立ち止まって私達にその店に行った事があると言ってきた。
「お話中のところ口を挟んですみません。今さぬきの森にあるジャズが流れているうどん屋のこと話してましたよね。私行った事あるんですよ」
 私は驚いて思わず客を見た。

「いや、数年前に一回その店行ったんですけどね。なんか敷居の高そうな店で一見さんを寄せ付けないところがあったんですよ。店内にはジャズがずっとかかってて、店のいたるところに私の知らないジャズミュージシャンのポスターなんか貼ってあるんですよ。うどんの値段はこの店と対して変わらないし店主の接客も丁寧だったんですけどなんか居心地悪くて。食べ終わってすぐ店出てきちゃいましたよ。うどんは食えないことはないけど、わざわざさぬきの森にまで行って食べるほどのもんじゃなかったです」
 私はこの客の話を聞いて想像した通りだと思った。妙に敷居の高さを感じさせる店内も、美味しいが特に秀でた所のないうどんもなんとなく想像したとおりだった。だが私はそれを知っても店に行く気が萎えることはなかった。今回この店に行きたかったのはうどんよりも店とマスターに興味があってのことだったからだ。それにもう一つ店にいかねばならぬ理由があった。そうだ。この客はお店のスペシャルメニューであるあれを食べたのだろうか。私は客にあれを食べたか尋ねた。すると客は不思議そうな顔をして私にスペシャルメニューってなんですかと聞き返してきた。
「私があの店で食べたのは普通のかけうどんですよ。一応店のメニュー表見たけどそんなスペシャルメニュー的なものはありませんでしたよ。でもあるといっても大したものじゃないと思いますけどね~」
 やはりあれは常連客にしか出さないものなのか。私が店に行ってあれを注文しても一見さんはお断りだと拒否されるのだろうか。しかし店のマスターはジャズ好きであり私もジャズ好きだから話が合うはずだ。もしかしたら私が自分と同じジャズ好きだと知ったら常連客にしか出さない、そのあれと呼ばれるスペシャルメニューを出してくれるかもしれない。勿論そのスペシャルメニューだってこの客の言う通り大して美味いものではないかもしれない。だがそれでもなおこのジャズ喫茶風のうどん屋に惹かれてしまうのだ。ジャズ好きの男が何故うどん屋なんかはじめたのか。何故ジャズ喫茶風のうどん屋にしたのか。私は今すぐ讃岐うどんswingに行ってそれを確かめたくなった。

「また、寄ってくれますよね?その時にジャズ屋のうどん食べた感想聞かせてくださいよ」という店主の言葉に見送られながら私は店を出た。店主は愛想のいい顔でそう言ったが、その実大して興味を持っていないようだった。本場の讃岐うどん屋のオヤジにとってジャズ喫茶風のうどん屋など酔狂以外の何物でもないのだろう。私もジャズ喫茶風のうどん屋があると知った時はそう思っていた。だが、グーグルの常連客の熱いレビューを読んで私は酔狂だけではないものを感じたのである。私はレンタカーを停めてある駐車場に戻るとすぐにさぬきの森へと車を走らせた。

 さぬきの森には何度も来たことがあるがうどんを食べるために来たの初めてだ。私はさぬきの森の駐車場に車を止めてうどん屋へと向かった。公園とはいえさすがさぬきうどんの本場なのでいたるところにうどん屋がある。あたりからさぬきのつゆの香りが漂っていた。私は香りに惹かれて勝手にうどん屋へと向かいそうになるのを抑えながら目指すうどん屋へと歩いていた。さて我らが目指す讃岐うどんswingはさぬきの森の公園を抜けた先にある。グーグルマップで見ても周りには何もない場所だ。どうして店主はこんなところにうどん屋を始めようと思ったのだろうか。かつてジャズ・ミュージシャンを目指していたらしいマスターと呼ばれる男。彼は一体何者なのだろうか。私は店に近づくにつれ興味と不安で頭が一杯になった。公園を抜けると人はぐっと少なくなった。あたりは一面の森だ。本当にこの先にうどん屋があるのだろうか。もしかしたら道を間違えてしまったのかもしれない。私は何度もグーグル・マップを見たが、矢印はちゃんと店の場所に近づいている。もしかしたらグーグル・マップ自体が間違っているのか。いや、もしかしたら私の壮大な勘違いなのか。私は混乱ししばしその場に立ち尽くした。すると目の前の突然若き日に通っていたあの見慣れたジャズ喫茶が現れたのである。

 私は突然現れたこのジャズ喫茶に驚き何度も目を擦って見た。たしかに店はあった。そして店の看板にはハッキリと『讃岐うどんswing』の文字があった。ここがジャズ喫茶風のうどん屋なのだろうか。私はまるで吸い寄せられるかのように店の扉を開けていた。

さぬきの森の奥にあるうどん屋は何故ジャズをかけているのか

 暗い店内にはかすかな音量でデューク・エリントンのあの有名な『A列車で行こう』が流れていた。この暗い店内とそこに流るジャズはまんま私が昔通い詰めていたジャズ喫茶の雰囲気だった。中心にピアノがあり、壁にはレコードらしきものをぎっしり詰め込んだレコード棚が置かれている。恐らく殆どがジャズのレコードだろう。しかし店内には誰もいなく音楽しか聴こえない。私はもしかしたら休憩時間に入ってしまったのかと焦って時計を見たが、時間は14時を少し過ぎたあたりで、グーグルに載っていた情報によればまだ営業時間のはずだ。私は妙な胸騒ぎを感じて店内を見渡して店主を探した。しかし店内には誰もいず不気味な沈黙が流るばかりだ。その時何処かからか足音が聞こえた。私はハッとして音がした方を向いた。
 突然店内が明るくなった。恐らく店の主人が照明を点けたのだ。さっきまで暗闇でよく見えなかった店内がハッキリと見えた。店内の中心の年代物であろうグランドピアノ。その周りに置かれたテーブルと椅子。さらに店の壁際に並べられた棚にある無数のビニール入りのレコード。それを見た瞬間私は一瞬にして過去へと引き戻された。

 その店の中に全身黒尽くめの格好をした老人がいた。彼はまるで過去からやって来たかのように私のもとに歩いてきた。そう、ジャズ来るべきもの。まるでオーネット・コールマンのように。

「いやいやこれは失礼。あの、お客さん。うどんをご注文ですか?」
 黒尽くめの格好をした老人は呆然として立ち尽くしていた私にこう尋ねた。私はとっさにそうだとうなずいた。すると老人は申し訳無さそうな顔で今日はお客さんが多かったから昼間の分は売り切れてしまい店を閉めるつもりだったと謝ってきた。私はその彼を見て何故かこの見知らぬ人物に対してひどく懐かしいものを感じた。その昔いつも通っていたジャズ喫茶のマスターと同じ佇まい。同じような口調。この男は間違いなく地元の人間ではない。私は知らず知らずこう聞いていた。
「もしかして東京出身の方ですか?」
「そうですが……それがなにか」
「いや、あなたが私が昔通っていたジャズ喫茶のマスターに雰囲気が似ていたもので……」
 私がこう言うとマスターは急に目の色を変えた。そして私に言った。
「お客さんどうやってこの店を知ったのですか?」
 私はマスターに向かってこの店を知った経緯を説明した。私は客がグーグルに上げていたレビューとそこに添付されていた写真を見て同じジャズ好きとして非常に興味が湧いた事などを話したが、マスターは私の話を非常に興味津々に聞いていた。
「なるほど。常連さんがうちの店をそのグーグルというものに書いていたのですね。私はご覧の通り年なのでそのグーグルというものがどんなものかわからないのですが……ああそういえば最近やたらジャズ好きのお客さんが来るようになったんです。多分そのお客さんたちもそれを見ていらしたのかな」
「多分そうだと思います」
 二人の間に沈黙が流れた。
 曲はいつの間にかA列車から『ムード・インディゴ』に変わっていた。私ははっと気づきマスターに言った。
「これってデューク・エリントンの『ポピュラー・アルバム』ですか?」
「そうです。お若いのによくご存知で」
 まさかこの年になって若いと言われるとは思わなかった。まあ、私のようにいくら人生半分を消化した人間でも、彼のような老輩に比べたら若輩もいいとこだろうが。しかしこのマスターは全く謎だった。東京出身でかつてジャズ・プレイヤーを目指したほどジャズ好きの男が、何故さぬきの森の奥でうどん屋をやっているのだろうか。ジャズとうどんなんて結びつきようがないではないか。私は興味を抑えられず彼に尋ねた。
「あの、マスターはどうしてここでうどん屋を始めようと思ったんですか?グーグルのレビューで見たんですけど、マスターはかつてジャズ・ミュジシャンを目指していたそうじゃないですか。それがどうしてうどん屋なんて始めようと思ったんですか?」
 尋ねた途端自分の言ったことに後悔した。勢いで口走った事とはいえ、あまりにも他人の事情に口を突っ込みすぎたと思った。だからこう慌てて付け足して質問を取り消そうとした。
「いや、突然変な質問してすみません。なんかお店の中に入ったら昔の事を思い出して頭がどうかしてしまったんです。申し訳ありません」


 しかしマスターは謝る私を制してそんなに知りたいですかと逆に笑いながら尋ねて来た。
「ここに来るお客さんはみんな聞くんですよ。なんでジャズミュージシャンを目指していたあなたがうどん屋なんかやってるんだってね。これにはちゃんとした理由がありましてね。まあ、少し長くなるけどお時間大丈夫ですか?」
「是非聞かせてください!」
「あっ、席に案内するのを忘れてましたな。申し訳ありません。ここでよろしいですか?」
 とマスターが丁寧にすぐそばのテーブル席の椅子を引いて私に座るように促したので恐縮して座った。マスターは話の前に麦茶持ってくるから待っててくださいと言ってカウンターの方へと行こうとしたが、その時私の方を見てもしよかったらレコードかけたいのだが、なにかリクエストはあるかと聞いてきた。私はハッとして我に返った。もうレコードはかかっていなかった。私は学生の頃に返ったような気分だった。最初にジャズ喫茶に来た時他の客にバカにされないように考えに考えて当時の先鋭的な曲をセレクトしたものだ。それは若さゆえのいきがりと思うが、しかし今となってはそんな事さえ愛おしい。私はそんな過去を思い出して興奮し思わず先程から何度も頭にちらついていたレコードをリクエストした。
「オーネット・コールマンの『ジャズ来るべきもの』かけてください」

 しかしマスターは怪訝な顔して私を見た。私は彼の顔を見て自分があまりに場違いな事を言ったことに気づき恥ずかしくなった。ああ!ここはジャズ喫茶じゃなくてうどん屋じゃないか。フリージャズなんかかけるうどん屋があるか。もっとおとなしいものをリクエストするべきだ。私はすぐにリクエストを取り消そうとしたが、その時マスターが申し訳無さそうな顔でこう言った。
「えっと、すみません。うちはフリー・ジャズのレコード置いてないんですよ。まあ、私の好みの問題ですが」
「いえいえ、私こそ場違いなリクエストして申し訳有りません。私学生時代によくジャズ喫茶でフリー・ジャズかけてもらってたのでつい。じゃあマイルス・デイヴィスなんかは大丈夫ですか?」
「アコースティックならありますよ。それ以降のレコードは持ってません」
「ビッチェズ・ブリューもですか?」

「そうです。『マイルス・イン・ザ・スカイ』以降のアルバムは私にはついていけないんですよ。マイルスはフリー・ジャズを批判していたのにいつの間にか彼もエレクトリックジャズをやりだしてジャズの本流から離れてしまった。私にとってジャズっていうのはやっぱりデューク・エリントンなんです。つまりスウィングですよ。『スウィングしなけりゃ意味ないね』ですよ。ああすみません。つい喋りすぎてしまって。それで何をかけますか?」
 私は久しぶりに聞くこういったいかにもジャズ喫茶的な語りに少々上がってしまった。まるで学生時代に戻されたようだった。私は頭が回らずとにかく何かあげようとマイルスのアコースティック時代の名盤中の名盤である『カインド・オブ・ブルー』をリクエストした。するとマスターはニッコリ笑うと棚からレコードを取り出してカウンターへと向かった。
 レコードプレイヤーから甘い暗さを持つマイルスのトランペットが流れてきた。マイルスのトランペットを支えているのはビル・エヴァンスのピアノだ。
「久しぶりに聴きましたがやっぱりいいですね。マイルスのトランペットも伸びやかだ」とマスターは言った。私はマスターに頷いて同意する。マスターは私に水の入ったコップをさしだすと静かに話しはじめた。

 マスターによると彼は音楽好きの両親のもとで小さい頃からジャズに親しんでいた。ピアノの稽古以外専門的な音楽教育は受けなかったものの、ピアノやドラム、ギターなどを見よう見まねで習得したそうだ。残念ながらトランペットやサックスは肺活量がないせいで挫折したらしい。彼は高校時代に同級生とジャズバンドを組んだのだが、大学時代に本格的にプロになることを決意しジャズ・バー等で演奏活動をしていた。マスターがとあるジャズの世界ではプロの登竜門と呼ばれている某有名なジャズ・バーで演奏したと言った時、その店の常連であった私は思わず身を乗り出して、私もその店の常連だったんですよと言った。そしてもしかしたら私達店で会ったことがあるかもしれませんねと話したが、マスターは首を振ってそれはないと思いますとつぶやいた。
「何せ、私がジャズ・ミュージシャンのマネごとをしていたのは大学卒業してから一年ぐらいまでですからね。お客さんとは年が合いませんよ」
「でもどうしてジャズをやめたんですか?あのバーに出演できるってことはプロの道を約束されたようなものじゃないですか」
 この私の問いにマスターは目をつぶって答えた。
「私の目指していたジャズと世間が求めていたジャズの食い違いですかね。当時はマイルスのエレクトリック・ジャズの後をついだハービー・ハンコックやチック・コリアとかがよりエレクトリック的なものが流行っていたんだ。それはやがてフュージョンになっていくんだが、私はそういうものに背をむけてモダンジャズを極めようとしていたんです。やっぱりそれがデューク・エリントン以来の伝統ですから。……というのは表向きのカッコつけた理由ですよ。本当は違うんですよ。実はジャズを演っている最中、ずっと自分の才能に疑問を抱いていたんです。私はさっき話した通りピアノもドラムもギターも出来るんです。だけどどの楽器でプレイしていてのめり込めないんですよ。プレイしていても恍惚感や達成感がいまいち感じられなくてね。アドリブも手垢の付いたフレーズばかりしか思い浮かばなかったんです。時折良いフレーズをひらめくことはあるんですが、それも一瞬で消えてしまう。ずっと好きだったはずのジャズなのにどうしてこんなに弾けないのだろうって思い続けながら演奏活動をしていたんですが、ある日自分にジャズの才能がないことに気づいたんです。本当に身にしみて感じてしまったんです。私は思い切りは良い方なのですぐにジャズと縁を切ってオヤジのコネでとある商社に就職したんです」

「私は就職してからまもなくして結婚しました。まあ親戚が縁談持ち込んできたので縁談相手とそのまま結婚したんです。私はもうジャズはもう鑑賞のみと決めて楽器には触りませんでした。これからは普通のサラリーマンとして生きていく。そう決めて良き夫としてずっと生きてきたんです。だけど」
 とマスターはここで話を止めて私を見た。そしてこう言った。
「ここでうどんと出会ってしまったんですよ」

 マスターは定年間近に出張でさぬき市に来たそうだ。といってもその頃の彼は特にうどんには興味がなかった。だがたまたま入っった市内のとある手打ちうどん屋で調理人が麺を作っているのを見た瞬間、運命的なものを感じたという。
「その調理人は私よりずっと年上の爺さんなんだけど、そのうどんを捏ねている姿がまるでジャズドラマーみたいだったんです。異様にスウィンギーなノリでうどんを捏ねていました。それを見た瞬間血が沸騰するようなものを感じましたね。こんな感覚ジャズ演ってた頃は全く感じることが出来なかったものです。うどんの生地を伸ばしているところなんかまるでスティックで軽くドラムを叩いているみたいだった。私はこれは運命だと思いました。今まで自分が探し求めていたものがここにあるって思ったんです。これこそ自分の探し求めていたジャズだ。スウィングだって」

 それからマスターは会社を定年まで勤め上げるとうどん職人になるためにすぐさまさぬき市に引っ越したという。長年連れ添ってきた妻は当然大反対ですぐに離婚した。マスターは離婚のせいで退職金が半分以上吹っ飛んでしまったと笑いながら語っていた。
「だけど捨てる神あれば拾う神っていいますけど本当に私はいい人たちに巡り会えました。まずこの爺さんの私を弟子にしてくれた親方。そして昔から交流のあったジャズ仲間。この人達のお陰で店を持つことが出来たんですよ」

 しかし不思議な話だった。ジャズミュージシャンへの道を挫折して会社員になった男が定年退職してから全てを投げ売ってうどん職人になった。こんな話をしても誰も信じてはくれまい。かえって作り話にしてもあまりにも突飛すぎると笑われるだろう。しかしこれは全く本当の話だ。私は店内を改めて見渡してマスターに尋ねた。
「あの、マスター。どうしてこんなジャズ喫茶みたいな内装にしたんですか?」
 マスターは私の問いに深い溜め息をついて話しはじめた。
「いや、最初は普通のうどん屋にするつもりだったんです。だけどね。こっちの知り合いがそれじゃ売れないと言ったんですよ。私のような地元出身ではない。ろくにうどん屋での修行経験のない人間が普通のうどん屋なんて始めたって誰も注目しない。だったら人から奇をてらったと言われてもジャズ喫茶みたいな店にしたらいいんじゃないかって助言してくれたんです。たしかに言っていることは間違いではない。私のようなよそ者の老人がやっているうどん屋なんて誰もこないでしょう。だからといってジャズ喫茶風のうどん屋なんてやったらキワモノ扱いされてなおさら客が寄り付かなくなる。私も友人たちの助言を蹴って普通のうどん屋にしようとしたんです。だけどですね。私その時改めて私をここに結びつけたあの日のことを思い出したんです。あの職人のうどんをこねる姿はまさにジャズだった。リズミカルにスウィングを刻んでいたんです。その姿を思い浮かべながらもう考えたら別に悪くないと思うようになりました。そう決まったら後は店の敷地を借りるだけだったんですが、まあこの街はいたるところにうどん屋がありますからね。なかなか目ぼしいところは見つかりませんでした。それでは郊外へ行こうと思ってさぬきの森を物色していたら何故か人のいない奥へと入ってしまいましてね。今から思えばジャズのミューズに誘われてたんでしょうな。ついにここにたどり着いたわけです。初めてここに来た時ニューオリンズの森を思い出しましたよ。なんか自分のルーツに帰って行くような感じがしたのを覚えています。私はここに来た瞬間もうここだと決めましたね。自分が店を持つならここにしかないとね」

ニューオリンズ公園

「私のこの決断に流石の友人たちも呆れましてね。こんな辺鄙なとこでうどん屋やっても客なんてくるわけがないと強く反対したんです。でも私には妙な確証があったんです。確かに満杯の客がくることはないだろう。だけど絶対にお客さんは来るはずだと。私はそう友人たちを説得したのですが、友人たちも私の頑固さに諦めたのか、とりあえずやってみろと開店資金を融通してくれたのです。確かに友人が警告したように最初はほとんど客は来ませんでしたね。友人たちは色々宣伝してくれてたみたいなんですが、それでもさっぱりでした。たまたま客が来たと思ったらお酒目当ての客でこっちがうちはうどん屋ですっていったら、紛らわしい店の作りしてんじゃねえとか文句を言ってそのまま立ち去ってしまいました。だけどです。しばらくしてからうどん目当てのお客さんがポツポツと来るようになったんです。最初はジャズ好きの方がこの店の事を聞いて冷やかし半分で来たんだと思います。だけどジャズ好きがジャズ好きを呼ぶみたいな事がありましていつの間にお客さんが増えて行ったんです。みんな店の事を褒めてくれるんですよ。ジャズとうどんって水と油だと思ってたけど意外と合うな。まるでここはニューオリンズみたいだって……」
 その時マスターは突然あっと声を出した。私はびっくりしてマスターを見たが、彼はその私に向かって急に謝ってきた。
「そういえばお客さんはうどんを食べにいらしたんですよね。すみません。自分語りに夢中になってつい忘れていました。うどんなんですが、さっきも言ったように作り置きのものがないんです。もしまだお時間がおありでしたら今からうどんを捏ねますがお召し上がりになりますか?」
 私は慌てて時計を見た。時計は15時前を指していた。さっきまで流れていた『カインド・オブ・ブルー』のA面はとっくに終わっていた。
「いや、時間がないのだったらまたのご来店をお待ちしていますが、私としてはこうしてお話を聞いていただいたお礼にうどんを作って差し上げたいのですがどうでしょうか?」
 誘いを断る理由はなかった。もともとうどんを食べに来たのだし、マスターのあまりに濃い話を聞いてなおさらそのうどんを食べたくなってきた。私は代金は払いますので是非うどんを食べさせてくださいと言った。

 マスターはうどんを作る前に再び私にかけたいレコードはあるかと聞いてきた。私は『カインド・オブ・ブルー』の続きが聴きたくなったのでそのままB面を聞かせてほしいと言ったが、マスターはそれを聞いてにこやかに微笑んだ。
「ところでうどんはなににいたします?メニュー表はテーブルにありますからそこから選んでください」
 私はマスターに言われたテーブルのメニュー表を見た。やはり市内のうどん屋の客が言った通り普通のうどん屋のメニューしかなかった。『あれ』らしきものは全く書かれていなかった。やはりあれは常連客専門のメニューなのだろうか。だがそうはいってもせっかくこの店に来てマスターの話も聞いたのだ。ここで普通のうどんなんぞ食べてサヨナラなど出来るはずがない。私は勇気を出してマスターにこの店のスペシャルメニューみたいなものはないかと尋ねた。しかしマスターは不思議そうな顔をしてこう答えたのである。
「スペシャルメニュー?そういうものはうちにはありませんよ。メニュー表に書いてある物が全てです」
 意外なマスターの答えに私は混乱してしまった。やはりレビューであれと呼ばれているスペシャルメニューは常連客にしか出さないのか。はたまた本当にそんなものはないのか。どういうことなのだろうか。私はマスターに常連客がレビューであれについて書いている事を話し、再度尋ねた。すると主人はああと顔をほころばせて答えた。
「ああ!あれですか。はっはっは、あれのことをみんな書いていたのですね。あれは常連さんに評判がいいんですよ。だけど本当にあれを召し上がりになるのですか?あれを嫌いな常連さんもいるんですよ。店の雰囲気が壊れるって」
「食べますよ。ここまで来て引き下がることなんて出来ませんよ」
 マスターは私の冗談に笑い、ではあれを作るには揚げ物も作るのでお時間少々頂きますが大丈夫かと重ねて尋ねてきた。私は大丈夫だと答えた。

 マスターは私の返事を聞いて早速うどんの生地を作りはじめた。この店は客席から厨房が開けているのでマスターのうどんを作っている姿が丸見えである。今私の目の前でマスターがうどんを捏ねている。私はそのマスターの姿を見てアート・ブレイキーを思い出した。アート・ブレイキーの代表作『モーニン』の中の一曲「ドラム・サンダー組曲」はアートのドラムを全面に出した曲だが、マスターのはそのアートのようにパワフルにうどんを捏ねていた。それはまさにうどんによるジャズセッションだった。ドラム、更にはピアノの音さえ感じられた。捏ねたうどんを丁寧に切る姿はまるでエレガントにピアノを弾くビル・エヴァンスだ。無意識に出す鼻歌はグレン・グールドさえ思い起こさせた。マスターは切った麺を煮え立った釜に入れ、それから天ぷらを揚げはじめた。

 麺はほぼ出来上がりもう茹でるだけとなった。つゆはすでに仕込んであるということだ。後はうどんが茹で上がるのを待つだけとなった。コトコトと鍋から音とともに漂う茹でている麺の匂いが食欲を掻き立てる。もう少しであれが食べられるのだ。しかし変に期待してもその分期待外れだったときの失望が大きくなるだけだ。私はできるだけ自分を抑えようとした。しかしそれでも期待は抑えようがない。このジャズにのめり込んだ自分の過去を巡る小旅行を最高の結末で終えたい。そんな期待が勝手に溢れ出してきたのだ。

 ジャズ来るべきもの。マスターが釜のスイッチを止めた瞬間私の頭の中に再びオーネット・コールマンのデビュー・アルバムのタイトルが浮かんできた。マスターはうどんをこちらに背中を向けてうどんの仕上げをしている。うどんをどんぶりに入れ、それからつゆを入れ、さらにその上から何かを入れた。いよいよあれが食べられる。マスターはにこやかな顔でこちらを向いて言った。
「うどん出来上がりましたよ」

 東南アジア一帯の森にラフレシアという世界最大の花が生えている。この花はよく知られている通り見た目が非常にグロテスクに出来ている。まさに花の化け物といった植物で私も一度見たことがあるが好事家以外には正直にいって全く醜いものだ。恐らく私のさぬきうどんの食べ方も他人にとっては汚い、醜いもの以外何者でもないだろう。しかしそれでも私はその食べ方でないとさぬきうどんを食べた気にはなれないし、同僚から嫌われようが何しようがやめるつもりはまったくないのだ。だが今私の目の前にその汚い、醜い食べ方のうどんが置かれていた。ああ!天かす生姜醤油がたっぷり入ったうどんが目の前にあったのだ。確かに目の前のうどんは私より盛り付けは丁寧だ。しかしそれでもラフレシアのような天かす生姜醤油全部入りうどんであることに変わりはない。
「お気に召しませんか?」
 あからさまに動揺している私を見てマスター心配そうに尋ねてきた。
「こ、これがあれなんですか?」
「そうですよ」
 私は自分の恥部を見せられたような気分になり思わずうどんから目をそむけた。
「これが常連の方があれと言っているものなんです。元々私はうどんをこうやって食べるのが好きでしたね。一度いたずら半分に常連さんに出して見たんです。そしたらみんなうまいうまいと言い出してね。それでリクエストがあれば出すようになったんです。どうですか?やっぱりお気に召しませんか?」
「いいえ、そんなことはありません。実は私もうどんはこうやって食べていたんです。残さずに食べますよ」
「じゃあ早めに食べてください。うどんと揚げたての天かすたちを混ぜて食べるのが一番美味しいんです」
 私はマスターに言われた通り箸でうどんと揚げたての天かすたちを混ぜた。そしてゆっくり混ぜて油が染み込んだところで麺をつまみ口に入れた。麺を口に含んだ瞬間うどんと天かすたちの香ばしい感触と味が舌に突き刺さった。なんだろうこれは。うどんはまるで植物の茎のような生命力で私の舌に踊り入っていった。天かすはその茎のてっぺんで咲いた花だ。硬い天かすはまるで雪のように私の舌で溶けてゆく。生姜はその花を育てる肥料だ。そして醤油は花に生命を与える土だ。ああ!今天かすうどんの白い花と醤油の黒い土が私の舌の上で激しいセッションを繰り広げている。白と黒、エボニー・アンド・アイボリー、これはジャズだ。
 東南アジアの森のラフレシアは糞便の匂いを放つという。だがここさぬきの森に咲いた天かす生姜醤油全部入りうどんはジャズの匂いがするのだ。私は感激のあまりこんな事を口走った。
「フォレスト・フラワー」

「それってチャールズ・ロイドのアルバムですか?」
 私のつぶやきを耳にしてマスター聞いてきた。
「そうです。このうどんを食べてたら何故か浮かんできたんですよ。マスターも知ってるんですか?」
 しかしマスターは首を振って聴いていないと答えた。
「だけど良いタイトルですね。森の花か……」
「マスター、僕はこのうどんを見てラフレシアを思い出したんです。グロテスクだが、人を引き付けてやまないあの花を。だけどこのうどんはあの腐臭漂うだけの花とは全く違かった。噛めば噛むほど味の染み込むまるでジャズのように美しい花だったんです」
 マスターは私の言葉に照れ笑いをしていた。

 それからしばらく店に滞在して私は店を出たが、そのときに勘定の事で少し揉めた。私が代金を払おうとしてもマスターが頑なに受け取らなかったからだ。私が代金を払おうとお金を差し出しても、マスターはお金分のものは受け取ったといって受け取らないのだ。それで困り果てた私はあのチャールズ・ロイドの『フォレスト・フラワー』をプレゼントする事を提案した。マスターは私の提案にびっくりしていたが、『フォレスト・フラワー』に興味が湧いたらしくどんなアルバムなのか質問してきた。
「キース・ジャレットが参加しているアルバムなんです。基本的にはラテン・ジャズなんですが、フリー・ジャズの要素も入っているんです。だけどそれでもすごく美しい世界がそこに広がっているんです。まるでマスターが作った天かす生姜醤油全部入りうどんのように」
「そのアルバム少し興味があるな」
「よかったら東京に帰ったら送りますよ」
 マスターは頷き、そしてためらいがちにこう言った。
「できたらレコードで送ってくれませんか。私CDプレイヤーは持っていないんですよ」

《完》



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