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他人に感情の選択を任せる人生は味気ない

心の中に、確かな【自分】という意識、が育っていない人は、どうしても他人が気になります。

気になる、と言うよりも、もはや心を他人に乗っ取られている状態に陥ります。

【自分】が育っていない、と言うことは、自分の中に、判断の基準が無いに等しい、のです。

【自分】が育っておらず、その事に気がついていない人は、きっとこう思うのではないでしょうか。

「それでも今日まで、普通に生きて来たし、自分で判断して、自分で決定しながら生きて来たんだ」と。

しかし、心の中に【自分】が育っていないのですから、判断基準は無い、のです。

【自分】は、自分の人生の主役であり、感じること、の主体です。

出来事に直面した時、感情が湧き出すのは、まるで光りの速さです。

比べて、思考の動きは、ずっと遅いのです。

だから、先ず感情が、快か不快か、好きか嫌いかを半ば自動的に判断し、続いて判断に則した言動を思考が選び出します。

暗がりで、「わっ!」と脅されれば、「うわっ!」と驚きます。

これは、感情に思考が追いつかず、びっくりして、意味の無い「うわっ!」を発した訳です。

それぐらい感情は速く、思考はゆっくりです。

その湧き出した感情を拾い上げる、主体、の【自分】が育っていないと、何でもかんでも、思考で対応する様になります。

つまり、思考一辺倒の人になります。

感情を拾い上げる事が出来ないので、例えば、クラスのみんなが楽しそうにしていたら、周りの様子を見て、自分も楽しげに振る舞います。

湧き出した感情を拾い上げる事が出来ないので、放ったらかしにして、周りの空気を読んで楽しそうにしたり、悲しそうにしたり、はしゃいでみせたり、塞いだ雰囲気を醸し出したりします。

本人は楽しいのは、自分の感情だと思っていますが、同時にしっくり来ない感覚を持ちます。

住む世界に現実感がありません。

周りに合わせて笑って見せても、自分の感情では無いから、自分だけ膜一枚を隔てた様なリアリティの欠如した世界に、その人は棲んでいます。

どうしても自分で決めなければならない局面を迎えた時、その人は感情を拾い上げる事が出来ないから、思考でリカバリーします。

判断基準は、規範意識や道徳や常識の皮を被っていますが、
実は心に居座っている親の判断基準、つまり親の好みであり、親の考え、親の常識、です。

その人は幼い頃から、心を親に乗っ取られています。

湧き出す感情を放ったらかして、親の顔色を伺い、空気を読んで、親が好む感情を選択して、演じて見せていたのです。

それが、クラスメートと一緒の時には、親の顔色を伺う代わりに、クラスの空気を読み、皆の様子を伺って感情表現を決定するのです。

親といれば親、クラスメートといればクラスメートを伺って、自分の感情を決めるのですから、

もはや、心を他人に明け渡してしまっている状態です。

心を他人に明け渡して、自己不在の自信の無さが現れる人もいれば、反動形成で他人の言う事を聞き入れない自己中心的とも思える特徴が現れる場合もあります。

また、自信無さげな一面と、自己中心的な側面の両方が、不安定に入り混じる様な現れ方をする場合も多い様に思います。

いずれにしても、心に確かな【自分】という意識は育っていません。 

自分の感情を決定づけるのが、他人であれば、他人が気になって仕方が無いのは、当然です。


私達がコントロール出来るのは、自分の心だけであり、直面する出来事や他人の心はコントロール出来ません。

そのコントロール不能な他人に心を明け渡し、感情の決定権を握らせれば、
心は不安定極まり無い状態になってしまいます。

不安定極まり無い心で歩む人生は、

当然、安定したものには成りづらく、

感情を他人に決めさせる人生は、

味わい深い訳がありません。


【自分】が無い、と表現することが多いですが、
正確には、【自分】は充分に育っていないのであって、消えて無くなることはありません。


生きづらさとは、

【自分】が育っていないこと、

そんな自分を嫌っていること、

と、いつもお話ししています。


これまで、自覚が無いままに自己不在で生きた人は、

感情を拾い上げること、が苦手です。

だから親の判断基準を使って、周りの顔色を伺って生きるクセがついています。

そのクセに気がついたから、即座に感情が滑らかに動く、という訳ではありませが、

しかし、長い間苦しんだから、感情が滑らかに動き始めるのにも時間がかかるという訳でもなくて、

自分の快不快、好き嫌い、を注意深く拾い上げることから始めて、

驚くほどあっけなく、自分の感情を拾うことが出来る様になります。

感情を拾い上げることが出来ると同時に【自分】は再び育ち始めます。

【自分】が育っていないから、生きづらい、生きづらいから自分という存在が嫌いです。

感情を拾うことが出来れば、

自分を好きになります。

生きづらさを手放す第一歩は、

湧き出す感情を拾い上げること、だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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